アクセスポイントたらしめる

昨日『END展』に行ってきた。

この展示は最近出た関連書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』の中から諸々抜粋したものと、書籍にはなかったアート作品などをプラスしたものになっている。

実際の展示で色々感じるところはあったが、またしてもWEB墓である。
(こちらの記事参照)
それにインスパイアされたようなアート作品もあった。
アーティストが意思を持ってデジタル作品を墓として作るなら、確かにそれは墓になりうるのだろう。
しかし、そうではない人にとってのWEB墓とは…

どうもしっくり来ない。
だが、帰ってきてから読んだ『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』の中の玉置妙憂さんのインタビュー記事にそのヒントがあっさりと書かれていた。

お墓は、死者とのアクセスポイントです。
(中略)
リアルの再現とは別の方向で、VRなどデジタル技術の活用の仕方はまだまだ可能性があると思います。従来のお墓という形式にこだわらず、例えば宇宙のような空間をつくるなど、ダイレクトに人の感性に訴えかける方法やかたちを探っていけば、十分にアクセスポイントとして機能できるようになるはずです。

妙憂さんはいつも、なんだかモヤモヤしてる疑問に端的な言葉を当てはめるのが本当にうまいと思う。
だからすごく説得力があるんだろうな…それはさておき。

そう、お墓はアクセスポイントなのだ。
(余談だが、仏壇もアクセスポイントだと思う。簡易な写真とお花だけでもその役割は果たせると思う)
現在の墓をアクセスポイントたらしめるのは、ひとえに身体性だと私は思っている。

これは逆から言えば、WEB墓でも身体性を伴えば可能性があるということだ。
墓地という場所の特異性、「お骨」という故人のカケラという最強アイテム、墓石というシンボリックな形状。
その全てをWEB上で代替できるなら、十分WEB墓の可能性はあるだろう。

それを満たすには、おそらくVRは必須だ。
気軽にアクセス出来たとしても、他のインターネットのサイトとは明らかに違う場所だと思わせる仕掛けが必要だと思う。
そのためには既存の何かに似ていてはダメだろう。
(現在のWEB墓は、昔よくあった個人的なHPやSNSのアカウントページと大差ないものばかりだ)

…というわけで、ここ数日ずっと私をモヤモヤさせていたWEB墓論争は決着がついたようだ。やれやれ。
WEB墓を開発しようとしている事業者は、その辺がヒントになるのではと思う。
多分、デジタルに長けたアーティストと、アートに理解力があるエンジニアの協力と、葬いや供養に関する宗教・民俗学・人類学の学びか必要なのだろう。

私が生きているうちに、WEB墓の新しいかたちは見られるだろうか?

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。