27歳、失うものなんてない
「27歳まで」。
自分が当事者になると、年齢に関する表記が目にとまることが増えた。
一番ハッとしたのは、ある求人情報。
洋服がすきで、特にお気に入りのお店のInstagramを眺めるのは日課になっているのだけれど、その店がスタッフを募集していた。
募集要項には「27歳まで」の表記。
新卒で働き始めた23歳のころと、24歳の前半のころは、第一次結婚ラッシュの波にまんまと呑み込まれ「結婚できない女は人間失格なのだろうか」と根拠のない焦りと不安で心がささくれだっていた。
けれど、25歳になりたての9月下旬とそれ以降、いろんな出来事が重なって、わたしのなかで「結婚」とか「女の幸せ」とか、そういう言葉に押し込められていたキラキラもドロドロもしている要素が、いったん粉々に、弾けた。
当たり前だと思われていること、タテマエ、見栄、不安、孤独、幸せだと名のつくさまざまな概念……そんなものがいったんすべて、ゼロになった。
爆発して散った、わたしの固定観念の灰から新たに生まれたのは「自分の幸せは自分で決めていい」という感覚。
自分の人生は、自分の心持ちでいくらでも幸せにも、おもしろくもなる。
当たり前だけれど当たり前すぎて本当にうっかり、すぐ忘れる。
「若い方が良かったわ」とやさぐれるよりも、歳を重ねて艶を増していく女性の方が、そりゃあ魅力的に決まっておる。
ただ、年齢は関係ない、という思いがありつつも、今こうして自分が27歳になってみると、いよいよ、と身が引き締まるというのも正直なところ。
「27歳まで」なら、大好きなお店の店員にだってなれる。
「27歳までなら新人になることを許される歳」ということなのかな。
年齢は、関係ない。
関係ないけど、間違えることが許されない場面が増えてくるのも、事実。
身体の老いは、どうしたって止められないし、無理がきかなくなってくる現実からも、目をそらしたくないとは思う。
知れば知るほど分からないことって増えていくので、世界をひらいていくのは、厄介だし、疲れてしまう。
“ほどほど”に、“年相応”に、当たり障りなく生きていくのは省エネで、一見無傷でいられそう。
けれど、年齢なんて構わずに、広がってゆく知らない世界をドンドン泳いでゆける自由があるならわたしはそちらを選びたい。
世界が閉じて仕舞えば、あっという間に老け込むし、身体的年齢は意外と関係なかったりする。
もちろん、奔放で無邪気で無学な自分は大切にしつつ、それに甘えたくはない。
新人でいることを許されるなら、まだいくらでも「ゼロ」に戻れるなら、スクラップ&ビルドを繰り返す。
「歳を食う」と言うけれど、ありったけを下品に喰らい尽くすような、知ったかぶりのカッコ悪さは嫌というほど知っているから。
幸い、すてきだなあと思う大人たちが周りにいてくれるおかげで腐らずに済むけれど、「ナメんなよ」と思わせられることもたくさんある。
年齢を、ステータスとしてとらえるか、それとも足を引っ張る欠点だととらえるか。
どっちにしたって、失うものなんて、今のわたしは無いのだもの。
この身軽さを、精一杯、謳歌しようではないか。
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