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カテゴライズされたくなければ、自ら定番であることを認めよ

「椎名林檎好き=メンヘラ」というお決まり方程式の話をしたとき、日本の雰囲気として、一定の嗜好、思考、系統のひとたちを束ねる傾向がある、ということを書いた。

これまた海外一人旅のときにイヤってほど感じたことだけれど、とにかく日本では、そういう「~系の人」に名前を付けてカテゴライズすることに対して非常に熱心。

日本語と英語を二つ並べた場合の話に限られる(わたしが他の言語をよく知らないから)のだけれど、「メンヘラ」然り、流行語にもなった「草食系男子」、「リケジョ」とか、「社会人」だって、そのひとつ。リア充、非リア充、女子大生、女子高生だってソレ。

英語で「社会人」を表すことばは、きっと無い。女子大生、も無い。リア充……これの英語ってなんだ?? perfect man ?

身分として社会人であっても、誰も「I'm a working man」なんて言わない。「I have a job.」だって、すごく不自然な英語なんだそうで。
だから、「あなたは何をしている人?」という問いかけに対して、英語で会話しているうちは、仕事内容を話すことがほとんど。「I'm a writer.」とか「I'm an engineer.」とかね。

ちょっと前、大学の言語学の授業で、名前があるということは、そこに対する興味関心が深く生活に必要不可欠なものだからだ、ということを学んだ。
だから、たとえば日本語で雪、と一言で言えども名前がいろいろあって(粉雪、吹雪、細雪、みぞれ等)英語で言うと「焼く」という動詞にもいろいろな表現がある(bake, burn, roast, grill 等)。
それだけ、日本の生活において雪は大事で、英語圏において炎の加減や「焼く」という動詞は重要だったんだということ。

この考えにのっとれば、おそらく、日本人(と、あえて一括りにさせてもらうけれど)は、個人のステータスに興味があるんだろう。既婚なのか未婚なのか、働いているのかいないのか、女なのか男なのか、キャラクターをおおよそ一括変換できることが重要なのだ。
これってつまり、自分がどう在るかってことよりも、相手の目にどう自分が写るかということに起点していて、そのイメージに寄り添って自分を見せていることなのだと思う。
だから束というか、典型的な枠組みにおさまっていることが望まれる。それからはみ出ると「変人」という、いわゆる「その他」カテゴリーに埋没するのだろう。

名付けることで、名付ける前の表現をすっかり忘れてしまう怖さ。いろいろなことがスリム化される中で、ことばもどんどん省略されて、当てはめるのが、すこーんとウマいせいで、表現に試行錯誤していた思考は考えることをやめてしまう。草食系男子とか、パラサイトシングルとか、よく考えたよなマジで。

あたらしい言葉が、ものすごい速さで一掃されては構築されていくのに時々追いつけないでいる。DQNとかね。新しいゲームかIT用語かと思った。
しかも「DQNってどういう意味?」と誰かに聞けばggrks(ググれカス)、という次なる合言葉が待っていて、そこにぽーんと放られてしまうんだから逃げ場がない。

もはや、典型や定番を逃れることはできないのかもしれない。つまり、前みたいに「椎名林檎がすきだからって、わたしのことがメンヘラだと思ったら大間違いなのヨ!!」と言ってみたところで「みんなそう言うんだよね」と一掃されるのがオチ。もう「如何に個性的であるか」という志向すら定番だから。

というわけで、素直が一番です。だってカテゴライズできない、注釈すらつかない細々した事情は、みんな持っているんだから。それを、ウマい一言に甘えず、必死に表現しようとし続けることが大事なのかもしれません。いや、表現しようとせずとも、きちんと自覚的であることが、大事なのかな。
つまり、枠は用意されているだけで、「わたしはリケジョだから」とか「僕は草食系男子」と、入りたければ入ればいい。入りたくなければ入るべからず。入ったら最後、各枠が抱えるイメージを生きなければいけないから、そこだけご注意。

……前もこんなこと書いたなあ。でもこういう、日本ならではの「区画整理癖」みたいなの、以前は嫌悪感を持っていたけれど、最近は、けっこうおもしろいなって思うよ。「個性的」で。




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