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女子大生が空き家に1年住んだ話

こんにちは、あたです。
めっちゃ久しぶりのnoteです!

皆さんどうお過ごしでしょうか。
私は大学がオンライン授業となり、家でYouTubeを見るか寝るか食べるか、バイトに行くかで過ごしています。

さて、TwitterやFacebookでも言いましたが、この度私は今住んでいる長崎市中新町の斜面地にある空き家から引越しをすることにしました!
引越し先はワンルームのアパートです。場所的には中新町からはそんなに離れませんが、斜面地ではないです(笑)

理由は色々とありますが、それも含めて、この1年空き家に暮らした感想を書いていこうと思います。

ちなみに引越しは6月を予定しています。
斜面地空き家生活はあと1ヶ月です。


あまりこれまで人に話してこなかった私の本心を書いています。アタは本当はこんなこと思ってたのか、まじか!と思っていただければ書いたかいがあります(笑)

是非感想等もFacebookのコメントかTwitterのリプ欄DM等でいただければ幸いです。


①簡単アタのプロフィール

・長崎大学経済学部3年
・福岡県北九州市出身
・出身校 福岡県立東筑高等学校
・年齢 20
高校時代はバドミントン部でした。
昨年の7月から斜面地の空き家を借りて1人で住んでいます。


②空き家に住むきっかけ

そもそもなぜ私が空き家に住むことになったのか、お話しします。

私は大学1年の夏頃から長崎大学がスタートさせた、「アントレプレナー育成事業」というものに参加しました。

アントレプレナー育成事業とは
学生が長崎の地域課題を解決するようなビジネスプランを考案・実行するというものです。
第一期は五島市と大学が手を組みスタートしました。学生のビジネスプランを評価し、大学が学生に最大50万円出資をしてくれるというプログラムです。

私は第一期生としてこのプログラムに参加し、フィールドである五島市三井楽町で空き家問題に取り掛かることになりました。

そんなこんなで私は三井楽空き家再生プロジェクトなるものを開始したのですが、だんだん口先だけ空き家再生空き家再生言っていることが、薄っぺらいなと感じはじめました。

そして長崎市で空き家を再生してコミュニティをつくっている「つくる邸」に行って話を聞いたり、まちづくりとして空き家再生に取り組んでいる人に会ったりしていくうちに、私も長崎で実際に空き家に住んでみようかな、、、と思い始めました。

もし、今、空き家に住もうとするならば、私はまず、まちづくりをしているあらゆる人に空き家の情報を聞いて、立地と空き家の状態と家賃を吟味し、住む場所を決めることでしょう。

しかし、当時の私はまだ長崎のまちづくりにほとんど関わりがなく、空き家情報もネットで探すだけ。
結果、今住んでいる空き家を管理している不動産にたどり着き、何故かわかりませんがもの凄いスピードで中新町の空き家の賃貸契約を締結させたのでした。
まあ景色も良かったですし、涼しくて気持ちのいいところだなーと思っていました。

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それと自治会長がめちゃめちゃ良い人でした。
これは重要です(笑)

ただ、引越し初心者空き家初心者の私にはこの空き家に住む上での問題や大変さまでを考慮することができませんでした。

みなさん、ここで言わせてください。
行動力があることと、軽率であることは違います!!!
今考えれば、この空き家に住むとあっさり決めたことはかなり軽率な行為でした。
もっとよく考えて、慎重に行動をすることが大切です!(学び①)

ちなみにこの空き家
・一戸建て(二階あり)
・家賃 4万円
・初期費用なし
という条件で借りていました。

え、めっちゃ条件よくない?と思いましたか?私もそう思いました。
ただその分多くの問題がありました。
私ははじめからそれに気がつくことができませんでした。

そして地域コミュニティづくりを夢見た当時の私は、この空き家を地域の人が集まる場所にしよう!何人かで暮らせるシェアハウスにしよう!インバウンド向けの民泊も楽しそうだな!なんて思っていました。


③空き家へのお引越し

賃貸契約をしたのが去年の4月。引越し予定日が7月。それまではフリーレント出来たので、引越し当日までに住める状態にしようと片付けを開始しました。

大変なのはここからです。

まず、この空き家には大量のタンスがありました。全部で10くらいだったと思います。まずこいつらを処分しようとしました。
しかし、実はこの空き家車の横付けが出来ません。車が通る道路までは階段を下って上って100メートルくらいあります。(体感です。本当の距離は知りません。)業者に見積もりをとってもらうと15万円と言われました。もちろんタンスを捨てるだけにそんなお金は払えません。結局全部自分で解体しました。

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解体したゴミはしばらく1階に放置することにしました。

もともとこの家は2世帯住宅だったようで、2階にもトイレと小さなキッチンがありました。1階が汚かったのもあり、私は2階で生活をすることにしました。

次は電気系統の問題です。SNSでお手伝いを呼びかけた時に、電気工事などの仕事をしている方からコンタクトがあり、手伝ってもらえることになりました。
その人にはコンセントの設置やテレビ線の工事、エアコン取り付けやその他ちょいちょい問題のあった部分を直してもらいました。しかしボランティアではありませんから、当然工事費などをお支払いします。
結局トータルで10万円ほどかかりました。
エアコンの購入を考えていた時には、その方に勧められたウィンドウエアコンをさらに3万円ほどで購入。しかし、これが全く全く効かなかったのです(笑)
さらに一階部分にも中古のエアコンを購入設置しました。
今思えば一階には結局誰も住まず使わないのだから買う意味は無かったです。
他にも引越し代、それからdiy工具代、材料費などであっという間にお金は無くなっていきました。

私が小さい頃からコツコツ貯めていたお年玉貯金約40万円はいつのまにか無くなっていたのです。


④空き家での暮らしとまちづくり

7月から空き家暮らしが始まりました。

まだ一階はタンスの残骸が散らかったままです。ここを片付けたら、地域の人が集まる場にしようという想いがありました。
そのためにまずは人脈を広げ、仲間集めをはじめました。まちづくりに関する様々なイベントに顔を出します。そして自分の活動と想いを伝え、私の活動を応援してくださる方に数多く出会いました。

みなさん、応援ありがとうございました。
たいして期待に応えられずに空き家生活を終えることが残念です。

私を応援してくださっていた皆さん、その頃の私はどう見えていましたか?
多くの方に、すごい行動力だね!女の子なのに凄いね!あなたみたいな子がいると嬉しい!などの言葉を頂きました。とても嬉しかったです。そしてそれは私の活動源でした。

一方で、知らず知らずのうちにそれらは私のプレッシャーとなり、重荷となっていました。当時の私は気が付いていませんでした。

まずその頃私にはお金がありませんでした。

平日は学校、放課後や土日はイベントに通って人脈づくり。その頃は本当に沢山のイベントに通っていました。断れない性格もあり、無知な自分はとにかく学ばなければという思いもあり、行動力だけが自分の取り柄だと思い込み(まあそれは今でもそう思っていますが)、誘われれば行く、誘われれば行くを繰り返していました。

イベントも参加費があります。交通費もあります。たとえ500円だとしても、それが積み重なればかなりの額です。イベント後の飲み会なども誘われて行きました。学生ですから大人の方々がお金を負担してくださることも多かったです。それでも出費はあります。
さらに、その頃はアルバイトにほとんど入れていませんでした。たくさん働けるチャンスの土日はほぼほぼイベントに通っていたからです。おそらくその時の収入は月1〜2万円ほどだったと思います。
家賃光熱費は両親が負担してくれていました。後は奨学金が月2万円でした。

皆さん、お金は大事です。本当に大事です。お金がなくなれば人の心は荒んでいきます。
私の心も次第に荒んでいきました。


だんだんイベントに行くのも嫌になっていきました。それよりもバイトがしたい。お金が欲しい。どうせまちづくりをしている人たちは他にも本業があってお金にはそこまで困っていないんだろう。私がしていることは何なんだろう。私財をそこまで突っ込んで何がしたかったんだろう。もう嫌だ。辞めたい。でもあれだけ周りに期待されて、辞められるの?地域の人も喜んでくれている。まだ何の活動もできていないのに辞めちゃったらみんなにがっかりされるよ?どうにか活動できなくならないかな。
もし今私が交通事故にあったらやめられるのかな。もし今死んじゃったら?意思ではなくどうしても辞めざるを得なきゃならない状況は?

とこのような思考回路になっていました。
ああ、思い出すだけで涙が出そうです(笑)

ちなみに今は全くこんな悩みはないのですが、基本ポジティブが取り柄の私が死を考えるなんて、よくよく考えたら鬱の一歩手前だったんじゃないかなーと思います。

さらに私を追い詰めていたのはこの空き家です。みなさん、先ほどお金は大事だと言いました。それと同じくらい住む環境も大切です。
もしこの時私が、綺麗な学生マンション暮らしだったらここまで追い詰められることはなかったと思います。しかし、私が暮らすのは坂と階段を15分間登ってたどり着くおんぼろ空き家です。引っ越したばかりの時はまだ荷物も片付かず、ダンボールとタンスの残骸で部屋も散らかっていました。

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Gにも出会いました。でかいクモがいました。トイレが壊れました。給湯器が1週間使えなくてお風呂に入れずネットカフェでシャワーを浴びていました。

はい、思い出すだけで涙が出ます(笑)
こんな状況で、私は誰にも相談できませんでした。
そもそも引っ越しを決めたのは自己責任です。
友達に言っても頭おかしいと思われそうで言えません。学校ではいつも通りに振る舞っていました。両親にもこれ以上心配をかけたくありませんでした。まちづくりをしている人たちにもがっかりされるのが怖くて言えませんでした。

そして、夏休みになりました。
夏の斜面地は辛いです、暑い日差しの中階段を上り続けるのは、とてもこたえました。

家では(私の生活スペースの)2階のウィンドウエアコンが使い物にならず、扇風機でやり過ごしていましたが、限界を迎えました。

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見かねた両親がエアコンを買ってくれました。エアコンは素晴らしいです!!これだけでわたしのQOLは爆上がりしました。

この頃には部屋も片付いてきて、少しだけ暮らしが落ち着いてきました。そしてタンスの残骸の運び出しにも成功しました。これは相当きつかったです(笑)
お手伝いくださった方々本当にありがとうございました。

しかし、そんな中またしても不幸が私を襲います。
9月の帰省中に虫垂炎、いわゆる盲腸で入院することになりました。
帰省中の入院だったのは幸いでした。しかし、この入院は私の空き家活動のモチベーションをとんでもなく下げることになりました。
エアコンの効いた病室。清潔なベッド。虫が出ることもない。トイレが壊れることもない。母が毎日病院に来てくれる。みんなが心配をしてくれる。そして何より私のお金がなくならない!(笑)

もう長崎には戻りたくない!!!!

こうなるわけですね。
実家サイコー地元ラブです。

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退院後に高校時代の友達が連れて行ってくれた地元皿倉山の夜景。長崎とは違って平地感があります。

そんなこんなで9月はほとんど北九州の実家で過ごして終わりました。
そして嫌々長崎に戻るのでした。

ここから、わたしは少しずつ生活を見直していくことにしました。
まずはバイトを優先させる。そしてイベントやセミナーやワークショップに行くのを減らしました。
よくよく考えてみれば、そんなに沢山のイベントに行く必要はなかったです。もちろん楽しいイベントもありましたし、学ぶことも多く、たくさんの人と繋がることができました。なので、もういいのです。これ以上無理して人と繋がらなくてもいいし、ワークショップももういいやと思いました。本当に行きたいやつだけ行こう。あとはとにかくバイトをしよう。そう思いました。

そして、お金が少しずつ入り出すとわたしの精神状態も安定してきました。
やはりお金は大切です。

そして、季節も変わり、涼しくなってくると、坂を上ることもそこまで苦ではなくなりました。

相変わらずまちづくりのプレッシャーはありました。とにかく空き家を地域のコミュニティ拠点にしたり民泊にしたりイベントを開催したりするのは無理だと思いました。だってお金かかりますもん!時間も取られますもん!

ここで私は「空き地開拓プロジェクト」というものを開始しました。簡単に言えば近くの空き地の草抜きです。これは、お金がかかりません。そして地域に貢献してる感を出すことができます。草抜き中も通りがかりの人にありがとうね、助かるよ、と声をかけてもらいました。
うん、もう私やるのこれだけでいいやと思いました(笑)

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まちづくりは無理してすることじゃありません(学び②)
できる範囲で無理なくするくらいがちょうどいいのです。

まちづくりなんてほぼほぼボランティアですから、特に学生の身分で自腹切ってするようなことでは無いと思います。
地元長崎を、なんとか盛り上げたい!あの頃の活気ある街に戻したい!という熱い想いがある方もいると思いますが、私は長崎出身でもなくたまたま大学で長崎にきただけですので、自分が楽しめる程度でやるのが合ってるのかなと思います。


⑤引っ越す理由

今は割と私の生活と精神状態は安定しています。
アルバイトに力を入れだしたことと、季節の関係です。
なんとなくこのまま空き家で過ごすのかな〜と感じつつ、夏になるのが嫌だなとも思っていました。
冬の間は坂登りもそこまでキツくないし、虫もほとんど出ません。
でも夏になると1年前を思い出して涙が出ます(笑)嘘です。でもやっぱり嫌だなーと思っていました。

そんな時突然母に引っ越しを提案されました。
せっかく地域に入って頑張ってるから、みんなにも期待されてるし、裏切れないよ、と最初は引っ越しを渋っていました。

しかし、だんだん、あれ?私そんなに期待されてるのか?自分が思うほど期待されてないんじゃないかな。みんな頑張ってくれたら良いなとは思っているけどやめると言ってもそっかー、くらいの感じなんじゃないか?という考えに辿り着きました。
実際はどうなんでしょう。わかりません。皆さん教えてください(笑)

とにかく、そう思ってしまってからはめちゃめちゃ引っ越したくなってしまいました。
そして引っ越し代は両親がコロナの10万円で出してあげるよと言ってくれまして、もうそんなの引っ越すしかないでしょう!
本当に私は両親に感謝してもしきれません。
結局、空き家暮らしは相当辛かったんだなーと今更ながら実感しました。

引っ越す理由はそんなもんです。特にこれ、というのはありませんが、1年間空き家で暮らしてみて、もうやめても良いかなと思った、そんな感じです。

ちなみに「空き地開拓プロジェクト」は「さかのうえん中新町」として続けていきます。

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夏野菜育てる!
これもこれまで同様皆さま温かく見守っていただけたらと思います。

引越しのことを自治会長や地域の方に伝えた反応は、そっか、それがよかよー、あの家は大変やったやろ!ってな感じでした(笑)
少し寂しそうにもみえたかな、自意識過剰かもしれません。

長くなりましたが、ざっくりとこの1年を振り返ってみました。他にも色々ありましたが、悪口祭りになるのでやめておきます(笑)

ここまで読んでくださった皆さん、大して面白くない話ですが、お読みくださりありがとうございます。

お前、マイナスなことばっかり書いとるやんけーー!と思われたでしょうか。
そうですね、でも人と違うことをするのは思ったよりも大変なんだということをお伝えしたかったです。
そして、人と違うことをする方々を心の底から尊敬します。キラキラして見える人たちももきっと陰で多くの苦労があるのだと思います。

本当にこの1年、辛いこともありましたが、色々と学ぶことも多く、多くの方に支えられていることを感じました。
アタハウスを応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。皆さんの応援のおかげで私は約1年間頑張れました。

これからもまちづくりに関わっていきます。ただ空き家から引っ越しただけです(笑)
「さかのうえん」頑張りましょう!


皆さんありがとうございましたーー!!

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長崎大学経済学部3年 阿多美咲


※文頭でも申し上げましたが、感想等頂けるととても喜びます。
※引っ越しは6月はじめを予定しています。それまでにアタハウス見てみたいって方がもしいらっしゃればご案内します。


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