こだわりを手放し、分離(敵)から統合(協力者)に

さて、セカンドオピニオンを聞いた私はその後、どうなったか?
 
結論から言うと、私は今の眼科医を信頼し治療を続けることになったのである。
これは自分でもまったく予期せぬ展開であった。
セカンドオピニオンを聞く前の私と聞いた後の私とでは、まったく違う感覚になってしまった。
 
病発覚後、体のことに専念して以来、私は過去にこだわってきたことや当たり前にやって反応や価値観
がどんどん不確かになってきている。
これは心もとない感覚でもある。
長く作り上げてきた心の固い基盤が、、、底の方から揺らされているようで落ち着かない。
確かな考えや凝り固まっていたこだわりが溶解してるかのようだ。
まるで意識の硬い殻の中に入っていた私がそこから浮いてどんどんと離れているような感覚だ。
特に昨年からは体に良い食べ物・ふさわしい食べ方や医者への対応がまったくわからなくなっていた。
今までの医者への対応に自信がなくなり、今回のように他の医者の意見を聞くことに至ったのだ。 
今思うと私が母親の胎内に居た時から、医者に対して疑心暗鬼であった。
当然、西洋医療はできるだけ避け、自然な東洋医療を選んでもきた。
しかし、今回は、、、外科的な処置なのでどうしても医者にかからなくてはいけない。
 
♥このセカンドオピニオンは私の古い思い込みを払拭した
 
自分が内側で信じていることは外界に現れる。
そのことに深く気づかされる出来事が今回医師の治療により恐怖を通して起こった。
つまり、私は外界(見える世界)を信じていなかったのだと気づいた。
生まれる時に医者に誤診されたことや、過去世において自然療法が迫害を受けてきた想いがあり、西洋医療や医師を信頼できていなかった。 
しかし、セカンドオピニオンを聞いて、
私はただ外界に起こる嫌な人・出来事を一方的に悪く受け取っていただけなのかもしれない。
もし、それらが中立だとしたら、それがそのように起こっていただけなのかもしれない。
私は良いか悪いか判断することで、そのことにいちいち反応しいちいちイライラしていた。
これでは今まで良い医者、良い医療を引き寄せられないのは当然であった。
●外界で見えるできごとは「ある」ということ。
しかし、それをどのように受け取るか?
戦争していることや、人の搾取や差別されていることなど、外界に起こっていることはある。
これは事実である。
これらはもちろん良くないことだ。
しかし、それをどう見るかは本人次第ということになる。
 
 勇気を出して今回セカンドオピニオンを聞いたことで医者を信じることにした。
セカンドオピニオンを聞いた女の眼科医は今の眼科医の治療を信じていいと言った。
この医者を知っていてかなり優秀だという。
性格ともかく・・・(笑)
女の眼科医の説明は丁寧でとても温かく、私の疑問や迷いを一掃してくれた。 
それと同時に自分が今まで見ていた医者への偏見にも気づいた。
もちろん偉そうな対応や不親切な対応を許せということではない。
それを私はどう見るかだ?
私はたとえ有能な医者に対しても、わからないことがあればしっかりと聞いていくつもりだ。
医者とはあくまで対等な関係を築いていきたい。
それが信頼関係となるからだ。
しかし、私が一方的に良くないと思っていたことも確かだった。
観る人が違うと同じことでも反対になる。
医者を信頼するということ、、、これは私にとって大きな気づきとなった。
胎内記憶により医者に不信感を持ち医者(外界)を信じていなかったが、それはイコール私の内側を信じていないことになることにも気づいた。
これこそ「分離」である。
外界を信頼すること、すなわち、それは内側の世界を信じること。
これが私の外界と内側の世界の「統合」になる。
●ここから学んだことは西洋医療も東洋医療もどちらも「ある」いうこと、
今回の私の恐怖は、、、医療に対する私の「分離」した想いを「統合」へと導いたことは間違いない。
分離していた意識、そして、統合した意識のどちらもよく客観的に理解できたのはありがたい経験だったと言える。
まだまだ治療が続くが、まったく同じ治療で同じ医師なのに、私は以前とはまったく違う気持ち、軽くなっている・・・ふしぎである。
 
※「ミサエ・ハートリーのお話し会」を開いてみようと思っています。
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