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"わたし"は"わたしであること"から逃れられない。

みなさんこんばんは。
美沙です。

本日は普段とは趣向を変えて、テーマを掲げてそれについて論じる形式ではなくパーソナルな内容にも触れながらわたし自身のお話をできればいいなと思い、本記事を書いています。
最後までお読みいただけるととても嬉しいです。

この記事は次の3段落で構成されています。

あの日から、今

昨年末、2019年のわたしの歩みを整理してTwitterにて投稿をしました。

わたしにとって、2019年は勇気と行動の年でした。

カミングアウトから始まり、何かに急かされるように行き当たりばったりではありましたが1年弱を全力で走ってきました。
様々な場所へ行き、様々な人と出会いました。
自分なりの表現を模索し続けてきました。
今までにないペースで周りの環境が変わっていき、その中でなんとか自分の立ち位置を確立しようと動きました。
自分の「好き」に基づいて、やりたいこと・実現させたいことに向かって邁進し、様々な方のご協力をいただきながらイベントとして開催したり、コンテンツとして発表したりすることができました。

こんなにも自分自身をさらけ出す経験は今までにありませんでした。
とても充実した濃い1年間になりました。
関係者の方々、またわたくしを応援してくださったたくさんの方々に改めて御礼申し上げます。

2020年も引き続き頑張ってまいります。

あなたとわたしは"違う"。

もちろん、嬉しいこと・楽しいことばかりではありませんでした。
"中性"という存在として世の中に向き合う中で悩む場面も数多くありました。
わたしの在り方が、とある場面や意思疎通の際に障害や障壁となってしまう場合も多々ありました。

世間一般ではそれが当たり前とされているような事象や事柄について、わたしにとっては"なぜそうなるのか"がどうしてもわからない。

誰かと言葉を交わすたびに、自分にとって「わからない」事象を考察しようとするたびに自身の異質性を目の前に無造作に放り出されるような感覚を覚えます。
あの感覚は孤独や孤立よりもむしろ絶望に近い。

「あなたとわたしは違う。」

生き方という点においては、互いを尊重できたとはしても決して交わることはない。
もうどうしようもないんだということがわかってしまう。
それがたまらなく苦しくなることがあります。
でもそれはどちらが正しいとか間違っているという話ではなくて、本当に仕方がないことなのでしょう。

ときに考えることが怖くなります。
わたしの言葉は果たして何かの意味を持つのか?
仮にわたしの言葉があなたに通じないのならば、そんな言葉を語る意味があるのか?
一体わたしは何のためにここにいるのか?
わからなくなる。頭が痛くなる。自分の内側でいろいろな言葉がぐるぐる回ってどうしようもなくなる。

わたしたちは、愛するもののために悩もう。

でも、それでも。

それでも、諦めてしまってはダメなんだと思う。
考えても考えても答えが出ないことであっても、それでも考え続けることが大切なんだと思う。
そしてきっとその先に在るのは、わたしだけの答えになり得るのは、いつだってシンプルでいて強い言葉なんだと思う。


「どれだけ怖くても、自分の信じるままに行動しなければならない。」

生きていれば誰しも、自分の人生に真正面から向き合わなければならない瞬間が絶対にあるはずでしょう?
それはわたしにとってはカミングアウトだったけど、それだけに限定しなくても例えば受験、就職、転職、独立、結婚。

"これから自分はどうやって生きていけばいい?"
"自分の人生は果たしてこれで正解なのだろうか?"

あなたが迷いながら、苦しみながらそれでも自分の人生を選び抜こうとしたときに、責任を取ってくれるのは奇をてらったような言葉でも誰かの決意を小馬鹿にするような言葉でもない。聞いているこちらが恥ずかしくなってしまうような、それでも心に響いてしまう綺麗事の言葉です。

突き詰めるところまで突き詰めて、考えて考えて考え抜いた先に見えてくる言葉はいつだって綺麗事です。
絶っ対に綺麗事です。
そこで逃げてしまってはいけない。

「自分の心に嘘をついてはいけない。」

わたしは、あのカミングアウトの日にこの言葉を自分の心の一番深くに刻み込んでから、生き方の全てが変わりました。

①ありがとうとごめんなさいを素直に言えるようになりました。
②やりたいと思ったことをすぐ行動に移せるようになりました。
③自分の夢や希望を恥ずかしがらずに語れるようになりました。

全ての根底にあったのは"自分の心に嘘をつかない"という信条です。
身体と心は密接に繋がっているから、心が変われば行動が変わる。行動が変われば人生が変わる。そして人生をより豊かに生きることができるようになる。

言葉の字面だけをなぞっただけで、それがもつ意味の全てを理解したような気持ちになってしまってはダメです。
この言葉は一体どういう意味なんだろう。何を表しているんだろう。何を伝えようとしているんだろう。
自分なりによくよく考えて、落とし込んで、そしてその言葉通りに"行動・実践"してみる。
そして、まさにその言葉通りに自分の周りの世界が変わっていく様をまざまざと見せつけられたとき、人は本当の意味で言葉の意味を理解する。

この覚悟は重いかもしれない。怖いかもしれない。
でもそれは当たり前なんです。重くなければ嘘なんです。
だって、わたしの表現は"生きること"と直結しているから。

どうか、わたしの覚悟を甘く見ないでほしい。
わたしは綺麗事を語り続ける。
馬鹿馬鹿しいと笑われてもいい。
でもきっと、誰かが言わなくちゃいけない大切な言葉なんだよ。

わたしは、格好良くなりたい。
わたしは綺麗になりたい。

「美沙さんには不思議な色気があるよね」
「他の人にはない特別な雰囲気を感じます」

活動をしている中でお褒めの言葉を頂ける機会が何度かあります。
すごく嬉しいです。本当にありがとうございます。

でも、わたしにはそんな自覚がないんです。
わたしはただの中性の人間だから、自分自身に特別な価値もしくは性的価値を感じることもなくただ普通に生きているだけ。
それでも、何かを感じていただけているのならとても嬉しいです。

きっと、わたしの考える"表現"もそのような形をしていました。


──"わたし"は"わたしであること"から逃れられない。
根底。根幹。わたしの一番深い部分を強く握って離さない言葉。

だって、わたしはずっとそうやって生きてきたから。

朝起きて、一番最初に目に入るのは男性としてのわたしのカラダ。
決して心が苦しいわけじゃない。辛いわけでもない。
ただ、ただ、"認める"だけ。
それを、何十回、何千回、何万回、ずっと繰り返す。それだけ。向き合わなければ生きていけないだけのただの命題。
それを背負って生きていく中で、わたしは自分の中に何かを飼い始めたのだと思う。
果たしてソレに"色気"や"魅力"と名前を付けてしまってもいいのか、わたしにはよくわからないけれど。


わたしにとっての表現は、"自分以外の何者かになろうとすること"ではないです。

自分自身に何かを重ねるのではなくて引いていく。
握りしめているものを手放してみる。
自身とそれを取り巻く外界の境目を慎重に見極めながら、ノイズを取り除いていく。
そして最後の最後に残されたもの、それが"わたし"という存在の核であり本質だと思う。

深い部分から本質を抽出しようとする営みが、表現が、生き方が、わたしはとてもとても美しいと思う。
いつかはわたしもそれになりたい。

きっといつまでも逃れられない。
"わたしであること"からは逃れられない。

男性的特徴は誤魔化せません。
輪郭、骨格、肩幅、デコルテ、指先。
確かに、それは"呪い"であったはずです。

それでも。
それでも、これはわたしだからこそできる表現です。
わたしにしかできない大切な表現なんです。

わたしは、表現の起点を「自己否定」にしたくない。

そう決意したときに、呪いは希望へと姿を変えて眩く輝きだしたんです。
わたしは確かにその光を見たんです。


わたしはわたしであることから逃れられない。
上等です。
ならばそれさえも受け入れてわたしは闘おう。

わたしには必要としてくれる人がいる。
わたしには応援してくれる人がこんなにたくさんいる。

じゃあ頑張るしかないじゃん。やり遂げるしかないじゃん。

わたしは誰かのための存在になりたい。
あなたのための存在でありたい。

わたしに居場所をくれてありがとう。
闘う理由をくれてありがとう。

わたしがあなたのためにできることがあるとするならば、それはきっとあなたの方を向くことではない。
ひたすらに前を向くこと。
あなたの顔色を伺うでもなく、あなたに媚を売るでもなく、ただ前を向いて何かを為す姿をあなたに見せること。見せ続けること。


そうだよ、一緒に愛するもののために悩もう。
大切なもののためにこそ涙を流そう。
全てをかけて闘おう。


わたしは幸せになりたい。
あなたにも幸せになってほしい。

あなたも生きていていいんだよ。
胸を張って歩いていいんだよ。
心の底から伝えたい。
あなたはたった1人の大切な"あなた"なんだよ。

絶望に沈んでしまうのはとても簡単です。
「一緒に不幸になる」という形の幸せもある。
確かにそうかもしれない。そうかもしれないけれど、表現者としてのわたしがそれを口にしてしまったら、本当に"全て"が終わってしまうでしょう?

思い出してみてほしい。
本当に、本当の本当に、あなたに手を差し伸べてくれた人はただの1人もいてくれなかったの?
もしかしたら、その手を払いのけてしまっていたのはあなた自身ではなかった?

一番恐ろしいのは、不幸を再生産してしまうこと。
それだけは絶対にやってはいけないこと。
確かにわたしも何度も絶望を味わったよ。何度も地獄を見たよ。それを敢えて言っていないだけ。

わたしは、絶対に不幸をふりまかない。
呪いを吐かない。
わたしは絶望と呪いをこれでもかと味わって、泥だらけになって、傷だらけになってでも乗り越えて、それでも最後には希望を語る。
理想だけを語り続ける。
わたしはそうなりたい。

これはわたしの宣戦布告です。

わたしたちは、そして僕たちは、愛するもののために悩もう。

きっとこれに勝る幸せはない。


美沙

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