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【母性を尊重する社会に】私たちにはいろんな形の海がある 〈キャリアと健康〉#自分で選んでよかったこと

「社会人なんだから、体調管理も仕事のうちだ」

お腹に手を当て、顔色が悪い20代女性新入社員に対して、上司はこう言い放った。その日予定より早く月経が来た彼女は、急に休むこともできず、休憩しながら仕事をしていた。その男性上司は「大丈夫?」と、とりあえずの気遣いを見せたあと、彼女に一時間説教をした。

彼女は何も言い返さなかった。説明したくてもすぐに言葉にできないことが多すぎて涙が出た。その日は彼女の誕生日だった。

その頃、彼女の月経には多少問題があった。黄体期には頭が重いし、胃や腸がさぼり気味になることもあった。集中力が落ちて、眠気に襲われることも少なくない。でも、会社勤めを始めるまでは特別問題視しなくても済む程度のものだった。週に5日フルタイムで働いて初めて、月経は「大きな問題」になった。学生時代、彼女は勉強が好きで野心もあったから、頭脳労働市場でも戦っていけると信じていた。月経がこんなに足枷になるなんて想像していなかった。

それは子宮が少し後ろに傾いているからかもしれないし、ホルモンバランスの変化に敏感な性質が影響しているかもしれなかった。座りっぱなしですぐ隣に座る上司から、頻繁に叱責される仕事環境も体調不良に拍車をかけただろう。でも、それらの要因を知って冷静に自分の性質を受け止められるようになったのは、フルタイムで働き始めて3年近く経ってからのことだ。


あの日、誕生日に説教されているときの私は若くて、何も知らなかった。

当時、月経周期は安定していたし、痛みがひどいわけではなかったから、ただ自分の気持ちの問題だと思っていた。「体調管理できていない自分」は不良品だとさえ思った。


新卒で働き始めた年、「働く女性には、低用量ピルがおすすめ」という情報に触れる機会が増えた。でも彼女は考えた。「正常な生理現象の範囲内でも、排卵を止めるべきなのだろうか」と。痛みが酷過ぎる場合や、特別な疾患がある場合に適切に使用することは大切だと思う。排卵による負担を軽減するとか、避妊を目的とした利用も全く批判するつもりはない。でも、ひと月のうち約一週間、自分に優しくすることが許されるのなら、わざわざ排卵を止める必要はないのではないか。フルタイムで働いているからといって、ピルの副作用のリスクを背負ってまでやりたいこと、やらないといけない仕事なのだろうか。彼女は少しだけ休暇を取った。そして、仕事を変えた。

結局彼女は、前兆のある片頭痛が出てきたため、ピルは使わないことにした。親身になって話を聞いてくれる医者や薬剤師を見つけることが大切だと思った。できれば複数の人の意見を聞くべきだ。そもそも話しやすい相手でなければ、大事なことを伝えそびれることだってあるから。

私が彼女の親だったら「月経が嫌なら、ピル」と安易に選択しないようにと伝えるだろう。それはむやみに副作用を警戒してのことではない。もちろん頭痛がある場合などは特に、副作用を考慮する必要がある。ただ、そもそも自分の心と身体の取り扱いは、自分にしか決められないことだし、よくよく考えて決めるべきことだと思うからだ。会社や社会、無責任な他者からの要請に無理に応える必要はない。誰もが、心身が悲鳴を上げない自分に合った環境で働ける社会を作れたらと私は思う。


彼女はその後、子宮の検診に加えてエコー検査をし、MRIも撮った。今すぐ治療が必要というような疾患は見つからなかった。

どんなに辛くても、やりたい仕事に支障があっても、休んだ分のお給料がもらえなくても、その悔しさや悲しさは宙に浮いたまま。辛さを打ち明けたところで、「病気じゃないんだから我慢しなさい」と言われて、その辛さをわかってもらうことは難しい。

でも彼女は、できる限り具体的に、自分の状態を伝えることを心がけた。どれくらい休めば済むのか、どういう仕事には支障があるのか。そして、伝える努力をしたうえで、周囲の人に「わかってほしい」と期待はしないと決めた。人間、わかり合いたくても、わからないことは山のようにある。

同時に、彼女は自分を不良品だと思うことも止めた。


生理を含めた「母性」はもっと尊重されるべきものだ、と私は思う。
忌み嫌われながら、隠れて流すような安い血ではない。月経が、母性が、罰ゲームのように感じられる社会は、まだまだ変える余地がある。

女であることが嫌になったとき、私は、ある詩を読むことにしている。

ふたつの乳房に
静かに漲ってくるものがあるとき
わたしは遠くに
かすかな海鳴りの音を聴く

― 詩集『見えない地面の上で』(高良留美子).
 詩のこころを読む. 茨木 のり子 著.

高良留美子さんの「海鳴り」という詩。第三連でなる短い詩だが、母性への敬意を思い出させてくれる。

「わたし」のなかにある自然に目を向ける。
子宮という海の音にどれだけ耳を傾けられているだろうか、と問う。
産んでも産まなくても、身体に備わる母性を否定する必要はない。

いろんな形の海があって、そこから私たちは生まれてきた。
そのことを忘れちゃいけない。

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