私のこと。
8年間うつ病や自殺未遂、ODや過食症、依存症、不安症など様々な精神疾患に苦しみましたが、今はそれを克服することができました。
そんな私のこれまでについて書き留めておこうと思います。
✔️過去の経歴
■小学生〜
私は小学校低学年の頃からピアノをはじめました。 これが私の人生で一番本気でやってきた音楽との出会いです。
そのあと中学生になりチェロも始めてオーケストラで弾いたりして更に音楽にどっぷりハマる。専門的な音楽の勉強を始めたのもこの頃から。
そしてこれからのことを考えていく上で、どうしても音楽が続けたかった。
私が下した決断は音楽科高校進学。
■高校生〜
そして音楽科は監獄のようなきつい日々でした。
毎日4時に起きて学校にいって朝からピアノの練習をし、昼休みも練習をし、放課後も練習し、夜中も0時まで練習し・・・で学校に行きながら毎日8時間は練習していたんじゃないかな。
そんなこんなで高校の頃から過食症と鬱になってしまいました。
ただこの頃は負けたくないのと、まわりに置いてかれたくない、という焦りでいっぱいでした。
今思うとこんなに頑張れたのはこの時期ならではだったし今となってはいい思い出。
そして大学受験を迎える頃にはもう精神がすり減ってしまってました。
受験のために1年前から勉強と音楽を取り組んでいたにもかかわらず、 「もう大学行きたくない、受験なんてどうでもいい」
そう思って推薦入試の一週間前から全部やめてしまいました。
そんな状態でいっても受かるわけはなく、担任の後押しに負け一般入試でもう一度受けることにしました。
そして合格。3年間の積み重ねが本当に結果に繋がったと思えた時でした。
■大学生〜
そのまま音楽を勉強するべく大学生になりました。
ただ大学になるとはじめて味わったことない自由で、漠然と勉強することに意味を見出せなくなってしまいました。
そして「何もかもどうでもいい」この時期に突入してしまい大学を休学しました。
休学期間はバイトと遊びでいわゆるただのパリピでしたね。笑
一生分はお酒飲んだと思います。
結局そのあと大学には戻らず、ずっと興味のあった海外へ行きたいと思い、ある日突然親に「大学やめるわ、アメリカ行くわ」と告げると
「あ、そう。」とあっさり返されアメリカの大学に行くことにしました。
1年間英語や様々な準備をしてアメリカへ旅立ちました。
■アメリカ〜
アメリカにきてからは日本人も結構いたりして、今でも仲の良い友達ができました。
ただ、アメリカにきてまで感じてしまったことは自分は集団行動が苦手であるということ。
特に狭いコミュニティではそれがより強く感じられてしまいました。
ここでも真面目を発揮していた私は毎日頑張りすぎて楽しむことができませんでした。
そしてある日気づいてしまいました。
「私は誰にも必要とされていない」
そう思ってからはもう鬱が悪化に悪化。恐ろしく毎日リスカを繰り返す日々。
学校で友達はいるけど孤独に耐えられなかった。
そしてもう学校に行きたくない。行くのをやめるということは学校にいられないということ。
限界を迎えた私は親にも言わず、その日のうちに退学の手続きをし、帰る航空券のチケットをとりました。
そして親に一言。「明日日本帰るわ。駅まで迎えにきて。」
「それと、ごめん。たくさんお金かけてくれたのに。」
親は何も言わなかった。
そして帰ってきてからが本当の地獄のはじまりとなります。笑
■作曲、自殺未遂〜
日本に帰ってきてからはとりあえずいろんな心療内科や精神科にいったりしていました。
この頃から自分の精神疾患に向き合うようになり独学で様々な勉強や試行錯誤を始めます。
そしてその時に音楽の仕事と出会います。
このことについて今でも思い出したくないぐらい辛い出来事なので日常でも避けて生きています。
あんまり詳しくここで書くことはできないのですが、毎日毎日罵声を浴びせられ、人権も決定権も意思も私にはなく、呼ばれたら訪ね、毎日朝5時まで曲を作り続けるだけの機械でした。
鬱もピークに達し、毎日死にたい以外の感情が何一つありませんでした。
1年間毎日休みはなく、休めるならどんな方法でもいい。
私がとった方法は自殺。未遂。生き延びているので未遂ですね。笑
病院の先生にも驚かれました。生きていることに。
私の心臓はとっても強いみたいでした。
肝臓も透析しないといけないと言われていましたが。。。
そんなことを何度か繰り返し、私の体も心もボロボロでもう限界でした。
仕事をやめたい、と言ったら「やめたら殺すぞ」と言われました。
お金も何百万と使い。
もう何もかも限界でした。私がやりたくてはじめた音楽なのに。
なぜこうなってしまったのか。
この状況をどうやったら抜け出せるのか。
私が親に言ったことは「弁護士を雇ってほしい、第三者がいないとやめられない」でした。
親が言った言葉を今でも覚えています。
「そういってくるのをずっと待ってた。」
こんなにも迷惑をかけたのにそんな言葉が返ってくるとは思わなくて涙が止まらなかった。
自分が好きで始めた音楽でこんなにも周りに迷惑をかけることになるとも思いませんでした。
音楽を始めなければよかった、もっと早くやめればよかった。と心底後悔しました。
■休憩を経て、鬱克服〜
そのあとカウンセリングにいったり、何もせずゆっくり過ごしたりしたのちジムで働きはじめました。
ここの職場が本当に自分には良い環境だと思いました。
皆さん優しくて、自分が生きてきた世界とは全く違う。
こんなに普通に暮らしていいんだ。ってはじめて思えました。
そしてトレーニングにも力が入り、現在は心と体の健康にフォーカスした毎日を送っています。
体と心はやっぱり大きく関係していると思います。
自分は今までの経験を通じて「健康」がどれだけ大切かということを痛感しています。
鬱だった時の様々なことの影響で肝臓や胃はもう弱ってしまっています。
ですがそれでも楽しく元気に今を大切に生きることができることが幸せです。
これからは自分とたくさん向き合い大切にしながら生きたいと思っています。
そんな私がこれからやりたいことはカナダワーホリ、と世界一周です。
ワーホリはもう手続きも後半にさしかかってるので春あたりから行く予定をしています。
世界一周についても計画中です。
鬱がひどかった時からは考えられないぐらい元気に暮らせていて、またこうやって普通に暮らせるとは自分でも想像できませんでした。
そして私が何度も自殺に失敗し生きていることには何か理由があるのかな、とも思っています。
自分が経験したことや鬱を自力で治したことが誰かの役に立てばいいなと思っています。
鬱を通じて感じたことは、自分を大切にすること、そしてこれからは人のためになることもしていきたいと思いました。
またよければ覗いてみてください。
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