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一人の夜に。

この一週間から十日ほど、わけもなく、つらかった。体調的にじわじわきていたのもあったけど、家族旅行の精神的負担が一番大きかった。

キャンセルする、しない、行く、行かないで、
家族内でも意見が割れ、価値観の違いが如実になった。
いつしか、私は、母から責められているような感覚に陥っていた。

結果、体調不良のために、娘と両親と、姉夫婦と姪っ子だけが、
北海道旅行へ行くことになり、私は留守番となった。

私以外には誰もいない家。一人でお風呂をわかし、ゆったりと湯船につかる。好きな時間に、好きなものを、適当に一人で食べる。

くだらない映画を、gyaoの無料動画で見てみたり。

最後はノラ・ジョーンズを聴きながら、このnoteを書いている。

心の底から、ホッとした。

娘が生まれてから、こんなふうに静かに、家で一人過ごしたことがなかったと気づく。

さらに面白いのは、娘や両親がいないと、
まるで五年前、独身でひとりでいたときの感覚が、
そのまま残っている自分に気づいた。
なーにも変わっていない部分があるのだった。

結婚生活は二年にも満たない上に、半分以上が別居生活だったので、
人からもよく云われるが、所帯じみてないし、生活感もない。

逆に、結婚生活の楽しさも喜びも醍醐味もたいして味わってないので、
一度も結婚したことない人みたいに、
無知で無邪気なようなところがある。
結婚ってどんなものかしらと、想像のなかで思い描くような。

今の彼氏も離婚経験者なので、そちらの少しでも長い結婚生活の話を聞くと、へえそうなんだと、面白いから興味津々。

一人親で、母親業もやっているが、それほどママママもしていない。

あれだけ悲惨だった結婚生活は、何一つ私には残さなかったみたいだ。
面白いくらいに、わたしは、何もなかったころの私とそのまま同じなのだった。

残ったのは、可愛い娘と、
何があっても、再び一から生きなおせるという自信と覚悟。

こういう感覚を知ると、人間ってふしぎだな~と思う。

普段、自分だと思っている自分は、
関係性の中で、自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれない。

人から言われた自分、とか、誰かから慕われている自分、頼られている自分、とか。

世間でいわれている基準からみたら、自分は~~だ、とか。

〇〇の親、〇〇の娘、〇〇の社員、とか、社会的役割での自分とか。

過去に縛られて、あいつにああされたから、今の私は悲惨だ、とか。

そういうのと、

自分が一人になったときに感じる自分って、全然ちがう。
もっと静かで、素の自分。
誰のためにも、かっこつけなくていい自分。

そして、こちらの自分のほうが、ほんとうの自分であるように思う。

誰にも影響されないところにいる、
単純に好きなものや、好きな感覚にだけに浸っているときの自分。

これが、ほんとの自分に近いんじゃないだろうか。

この頃、あまりに色んな状況に取り巻かれすぎて、
一つ一つ愛しいのだけれども、それすらも少々重荷だったのかもしれない。

責任やら誠実さやら愛情やらに、自分を捧げすぎると、自分を見失ってしまう。

たまには、自分のために、なにかをする、でもよいのだろう。




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