見出し画像

『されど愛しきお妻様』

発達障害をそうと認識されることなく、生き辛いままに大人になった人はかなり多い。生き辛さはそこここで社会との軋轢を生み、当事者は自己否定を重ねながら二次障害に陥り、更に苦しく辛い立場に追い込まれてしまう。幸か不幸か社会適応への努力が実り、なんとか一般化がなったとしても、本来の自分を抑え込んでいるために多大なストレスを抱え込み、やはり二次障害を負い苦しみぬくことになるのだ。

この本は、そんな社会不適応から精神を病むことになる女性を妻とし、更には自らも脳梗塞を起こして高次脳機能障害者となったジャーナリストの手記。

自分が健常だった頃の妻との壮絶な生活を振り返り、のちに脳障害を経験することで妻の様々な不思議と苦悩を身を以て知り、漸く互いの過ごしやすさを追求工夫しながら、穏やかに共に暮らすに至るまでが語られている。

本文は、重い内容であるにもかかわらず、妻とのやり取りや生活のハチャメチャぶりがそのまま描かれているので、軽いタッチで文章もするするっと読めてしまう。いや、でも何冊も本を出しているジャーナリストの文ではないでしょうこれは…機能障害ゆえか?とちょっと疑ってしまったが、やはり敢えて柔らかく書いていらしたようだ、それはあとがきを読めば一目瞭然。しっかりとしたジャーナリストとしてのプロらしい文章となっている。あとがきだけ読んでもオッケーなのでは?!と思ってしまうが、いやいや著者が敢えて柔らかく事細かに書き綴った18年もの結婚生活(同棲期を含めて)を読んでこその、まとめなのだから。本文はやはりしっかり読まねば。

私個人としては、発達障害についての本はそれこそ人前で話せるくらいに読み倒してきた。専門家のものも、障害者本人の手記も、親兄弟の体験記も、配偶者が書いたものもあった。が、生来の障害者と結婚をし、のちに自らも脳障害を持つことで、同体験を通して理解を深め、その視点から発達障害を語るというパターンはまさに初めてのもの。ものすごく解りやすい。それは逆に、どんなに本人に近く理解して接しているつもりであっても、同じ経験を通してでないと理解ならないことがいくらもあるということだ。

著者は本文の終盤に繰り返す。
不自由を障害に変えるのは周囲の環境であり家族であり社会であると。社会の最小単位である家族、家庭という中での理解がまずは最も大切なものとなる。当然のことなのだが、それがやはり難しいのだと思う。
そして大きく同感するのが、発達障害者はその発現の仕方にもよるけれども、周囲の環境に馴染めない場合はひとり苦しみ、出口を求めるが余り暴力的になったり人の意を汲めずに迷惑をかけること多々あり、被害者とも加害者ともなるのだということ。加害者としないためにもまた、本人が決して障害者とならないよう理解を深めることが大切であると。

まずは知ること、何でもそうだけれど、知ることから全ては始まるのだと私は思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?