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で、どうするか?

Turmali

この一週間のニュース(テレビではなくネットやネットを通じた海外の)が、

ボディブローのようにじわじわ効いてきて、

みぞおちの部分に重い感じがあった数日前。

(違和感あるな~と思っていた世の中の流れが、

ああ、そういうことになってたのね、という

腑に落ちたパターンの多さで)


地政学的ないろいろな条件が、

ある人々にとって国の状況に常に危機感を抱かせ

いつ以来なのか(開国なのか敗戦なのか)ある意味鬱状態にさせ、

それがひいては他国への侵略、大きな戦争に繋がったり

躁鬱状態が二代三代と続いて、加害者と被害者と作り

解消する努力のないまま三代四代と続いて…

今も、ずっと国全体が鬱と躁を繰り返している感じ。

日本に限った話じゃないかもだけど…


何と言おうが政治は生活に直結していて、その政治が怖い。

こういうことを言うと周囲の人には

「また難しく考えて~」とか言われるような気がする。

そっちのが難しい。

気楽に構えていつつ、

投票用紙にはシビアに書いているなら良いのだけど。

もしそうならこの結果はないわけだよねぇ。


小さくて島国で資源もなくて…ということは

この国が無価値であるということとイコールではないのだから

何をそんなに不安になることがあるのだろう?(わかるけど)

何をそんなに誇大になることがあるのか?

それはひとりの人間を喩える際にも言えること。


海外に行ったとて自分という意識は同じだろうしな~。

外国人になってしまえば、

この普遍的人間のしょうもなさにもフィルターがかかって

楽になるのではという都合のいい憶測もある。

行ったり来たり常に移動中、が一番なんだろうけど

そうなると、今度は虚しくなってくるのかな?

いろんな気持が出てくるけど、そんな感情も観察して、味わってみる。

自分や人々に対する嫌悪感が次々生まれてくる。

それを消す必要もない。

その中にとどまって、身を任せる。終わったら手放す。

こわばっているところに意識を向けて、

泣きたくなったら泣けばいいわけだ。

叫びたくなったら叫ぶし。(周囲に気を遣いつつ)


言うまでもないけれど、

感覚的にやばいと思うものからは距離を置くこと。


ずーっと、もうずーっと、何が起きようと、3.11だろうと

どんな危機だろうと

その時だけ盛り上がり消費して終わり、というそういう国だけに

今回もそうなるのか、という重い感じ。

3年後だろうが同じこと(さらに麻痺している)になっているのでは?

という気がしてしょうがない。

このマゾなわりに反省の利かない国民性なんとかならないか。

(自戒込みで)

来るべき失望に自分を慣らしておくのもどうかとは思うけど

すこし前からそうしとかないとやってられない。

それで私はどうするか?というのが最終的かつ唯一の問い。

ブレスワークの新しいプレイリストでも作ろうかなと。

なんだか分かんないけど自分なりにやってくしかない。


#日記 #ひとりごと #ブレスワーク

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