離婚寸前?!間違いだらけの二人目妊活

ひとりっ子じゃダメですか?」の続きです♡



誰のための二人目妊活?

「いい人」マニアだった私は、家族の希望のために娘に兄弟を作ってあげたいと思うようになっていた。それはネットでいろいろな人の意見に触れたことも理由の一つではあったけれど、やっぱり娘のお姉ちゃんになるチャンスを作ってあげたいと思えたことも大きい。娘が望んでいないとわかれば、キッパリと諦めることもできただろうけれど、幼稚園の娘に「欲しい?」と聞けば理由なく「欲しい」と答えるのはわかっていた。それが兄弟であろうと、目の前のお菓子であろうとなんでも。

妊活ができるようにと、私は一年半婦人科でホルモン治療を受けた。その治療中は妊娠できない状態だったので、早く妊活したいと思っていた私は焦っていた。婦人科の受診で記入する問診票に、薬をもらうために「現在妊娠の要望はない」という項目にチェックしなくてはいけないのだけれど、いつも胸がチクっとした。そして副作用に悩み、太った私をみて「妊娠した?」と聞かれるようになると、薬を続けることが嫌になった。

やっと状態がよくなって、薬を辞めて妊活をスタートしようという頃、私の環境は一年半前と大きく変化していた。主人の勤務先が変わり、ほぼワンオペ育児のような日々になっていた。単身赴任でもなければ、出張があるわけでもなかったけれど、確実に娘の幼稚園生活が基準となった我が家では、夫婦間の時間のすれ違いが生じていた。休日はもちろん、娘ファースト。全力で遊び、娘の満足を得ることで主人のエネルギーは精一杯。「パパ」としては完璧でも、「夫婦」として私の理想とズレていると感じ始めていたのはこの頃だった。そしていつの間にかそれは不満へと変わっていったのだ。

「家族のために一生懸命働いてくれる」
「休日の日は全力でパパをしてくれる」

それでも私は不満だった。「二人目が欲しいと言ったのは誰?」「何のために婦人科に通ったんだっけ?」だんだんとその想いが膨らんだ。


可哀相妄想劇場がスタート


主人が「仕事」と「パパ」を頑張ってくれることに反比例し、私の中の「夫」という評価はどんどん下がっていったのだけれど、その頃は自分の中での「女性」という評価も落ちているように感じていた。どんなに疲れていても、私を女性として見てくれているのなら、現実は違うのではないかと考えていたのだ。そして私の脳内で「可哀相妄想劇場~夫が女として見てくれない~」がスタートしたのだ。

私の女子力が向上すれば、「夫婦」の関係も理想のものとなると信じて、下着や部屋着、化粧品などを見直した。幼稚園生活でクタクタでも、深夜過ぎに帰宅する主人を健気に待っていた。それでも何も変わらない夫婦生活に、私は女性としてだけでなく、「妻」としての自信もなくなっていた。

今ならわかる。形だけ整えたところで、うまくいかないということが。だけど、あの頃はそれが精一杯で、私は可哀相妄想劇場のヒロインになるしかなかったのだ。


周りの二人目妊娠ブームで毎日自分責め


私が悲劇のヒロインを演じて後ろ向き生活をしていた頃、娘を通じたママ友の二人目妊娠ブームがピークを迎えていた。当然、報告を受けたときに、「たかちゃん、二人目は?」と聞かれることもしばしば。その質問に特に深い意味がないと知っていても、自分がそのブームに乗れないことで疎外感を感じた。

「二人目妊娠おめでとう」の言葉に嘘はなかった。けれど、どこかでモヤモヤした感情が自分の中にあることも感じていた。その頃になると、娘も「お姉ちゃんになりたい」と話すこともあったからだ。この子に兄弟を作ってあげられないダメな母親なんだと、ブームに乗り遅れた自分を毎日のように責めていた。

そして最終的に、家にいることがしんどくなった。毎日自分を責めてしまう私を、どう勇気づけていけばいいのかわからなくなってしまったのだ。娘の子育ても、なかなかの体力勝負。家にいるのにほっとできず、ずっと毎日孤独のようなものを感じる生活を終わらせたいと思うようになっていった。

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