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先日マッキーこと槇原敬之氏が逮捕された。私は特別彼のファンってわけではないのだけれど、「どんなときも」は歌えるし、「もう恋なんてしない」の8センチCDだって持っていた。ヒルナンデスだって口ずさむ。

そんな彼の作品の中に、私を支えた曲がある。それは「遠く遠く」。

遠く遠く 離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい
僕の夢をかなえる場所は
この街と決めたから

18歳の時に上京して、関東で暮らし始めて気が付けば38歳。地元で暮らした時間を越えた20年。くじけそうになった時、私はよくこの歌を思い出した。

地元を出る時に、私には明確な夢があったわけじゃなかった。それでも、自分の好きなものが東京にはあって、毎日の中に、好きなものを集めるのが楽しかった。昔から私の手帳は、楽しい予定でいっぱいだったし、それを眺める時間も好きだった。

見上げても、地元のような綺麗な星空は見えなかったけれど、見降ろせばどんな季節もイルミネーションのような夜景が見れる高層ビルやタワーがあったし、何でも話せる友達にはなかなか会えなくなったけれど、好きなアーティストのライブには家から通えた。地元なら、すぐに噂になるようなことが起きても、東京という街では、私のことなんて誰も知らない。それが、新鮮だった。

ひとり暮らしをすることは、とても自由だったけれど、それは同時にとても孤独だった。その孤独を求めて上京したようなものなのに、矛盾しているけれど、自由を削るような生き方を求めた。学生時代は、学校生活以外の時間はずっとバイトをしていたし、上京してから結婚するまで、恋人がいない時期がなかった。人に言えないような恋愛もした。とにかく一人になんて、なりたくなかったのだ。

常に誰かに寄りかかって過ごしていた青春時代。どんな夢を叶えたいかなんてわからなかったけれど、ただ、幸せになりたくて、もがいていた。

最近、そのもがいていた頃をよく思い出す。矛盾の中で、もがいていたあの頃の私が、ちょっと羨ましいのだ。今は大人になって、かっこ悪いことをする勇気がない。綺麗にするっと生きていく、そんな無難な私に、いい加減飽き飽きしているのだ。誰も私のことなんて注目なんてしていないのに、あの頃のようにもがけない自分にがっかりしている。自惚れるには、まだ青い。そんな風に、昔の私が語りかけてくるのだ。

確かにあの頃に願った「しあわせ」は、今の私は手にしていて、それでも十分なのかもしれない。だけど、みんなと並んで、同じような人生を歩むために、18の頃に飛行機に乗って、家を出てきたわけではないのだ。

奇しくも、最近のニュースはあの頃の私を思い出させてしまう。まだ、誰も私を知らないと疑わず、自由にもがけたあの頃を。私はここで、あの頃の自分ともう一度出逢えることができたのだ。

だから私はもう一度、夢を見る。
夢を叶える場所は、この街と決めたから。


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