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人口崩壊の全貌――今後、日本の少子高齢化は別次元の恐ろしい姿をとる

 人口減少は日本から漠然と人が減っていき、労働力が失われていくこと。少子高齢化は子供が減って、お爺ちゃんやお婆ちゃんが増えていくということ――。いま進行しつつあるこれらの問題について、私たちはどこかそのようなイメージを抱いているのではないでしょうか。

 確かに今までは、それもあながち間違いではなかったのかもしれません。しかし今後は全く別次元と言っていいような恐ろしい面が剥き出しになります。ここでは地域別・年齢別の人口の検討から、その実態に迫ることにしました。

全国集計から恐ろしさは見えてこない

 人口問題の議論では、しばしば次のようなグラフがあげられます。

将来推計人口

 図1:日本の将来推計人口(国立社会保障・人口問題研究所による2018年推計による)

 これは日本の人口が今後どのようになるかを予測したものですが、このグラフには人口減少の真の恐ろしさは表れていません。実際、「2045年には日本の人口は1億0642万人まで減少する」と言われたところで、なるほどそうなのか、その程度なのかと受け止める人も少なくないのではないでしょうか。

 なぜ上のグラフには真の恐ろしさがあらわれていないと言えるのか? それは、今後予測されている人口減少が、地方で激しい過疎化が起こる一方で、東京などの大都市は逆に過密化するできごとであるためです。人口減少というのはその総和として減少していくということですが、全国集計では大都市の過密化と地方の凄まじいまでの過疎化という極端化の恐ろしさが多分に中和され、覆い隠されてしまうのです。

 単に人が減るがゆえに、あるいは単に労働力が減るがゆえに、人口減少が恐ろしいのではありません。地域のアンバランス化が進行する結果として、過疎化した地方と過密化した大都市の中で人々が一層生きずらくなるがゆえに、労働力の減少に輪をかけて生産力が失墜することが予見されるわけです。

「私は悲観的な1億2千万人の国より楽観と自信を持った6千万人の国の方がよっぽど強いと思う」(自民党・小泉氏)といった政治家の発言は、このまま人口が減っていった時に何が起こるのか、社会はどういった状況になるのかということに十分な考えが及んでおらず、あまりに危機感が足りないと言わざるを得ないでしょう。


日本のバランス崩壊こそが問題の核心

 地域別の検討を行うため、国立社会保障・人口問題研究所による『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)』をもとにして、各市町村について2015年を100とした指数の計算を行いました。それによって作成した2015年から2045年までのアニメーションを下の図2に示します。黄色から赤で示された指数が100以上の自治体では今後の過密化が、水色から青で示された100未満の自治体では今後の過疎化が予測されています。

 なお、地図の塗分けは市町村別に行っていますが、福島県に関しては「福島第一原子力発電所の事故の影響によって、市町村別の人口の動向および今後の推移を見通すことが依然としてきわめて困難な状況にある」(報告書--『日本の地域別将来推計人口』(平成30年推計) より)として全県での推計が行われているため、ここでもそれに従って塗っています。

総人口の指数アニメーション

 図2.総人口の指数

 都市と地方で異なった現象が起きていることに注目してください。人口減少といっても当面のところ、それは決して大都市の過密化を解消してくれるわけではありません。過疎の地方はさらに過疎化に向かう一方で、東京、横浜、名古屋、福岡などの過密な大都市はさらなる過密化の進行がおきています。多くの地方都市はというと、これは次第に脱落して人口減が進行しています。過疎化はやがて地方都市へと波及するわけです。

 次に同様の地図を生産年齢人口で表示してみましょう。生産年齢人口は15~64歳の人口です。下の図3からは、総人口と比べて地方の減少がいっそう厳しいことが見て取れます。

15~64歳人口の指数アニメーション

 図3.生産年齢人口の指数

 2045年の時点では、図2に示した総人口は392の市町村で半分以下となっています。これが図3の生産年齢人口だと、およそ2倍にあたる787市町村で半分以下となる見通しです。

 日本全国にある1718の市町村から福島県内の59市町村を除くと1659ですから、これが比率としてどれほど大きいかお分かりになるでしょう。2045年までに減少する人口は、日本全国でみれば15%ほどにすぎません。しかし総人口が半減する市町村は22.8%、生産年齢人口が半減する市町村は45.8%にまでのぼるのです。この半減というのは自治体の存続にとって致命的な数字です。また普通の生活者にとっても、例えばお店を経営している人は「客が半減する」という現実をつきつけられることになるわけです。

 なお参考までに、より詳細な10歳別の人口の推移を地図化しているので以下に示しましょう。地方から若者が姿を消していくこと、そして圧倒的な高齢化が予測されていることを確認してください。

年齢別統合アニメーション

 図4.10歳別の人口の指数


連鎖的・加速的な進行が波及する

 ここまでで示してきた都市と地方のバランスの崩壊は、ただ単に人口や労働力、生産力の偏りばかりを意味するのではありません。人口の極端化が進行すれば、それとともに一人一人が力を発揮して生きていくことが困難な状況が必ず拡大していきます。それはまず地方において深刻なものとなるはずです。

 人口減少によって交通機関や商店などの採算がとれなくなっていけば、それらはやがて撤退に向かいます。すると若者の就職先はいっそう少なくなり、地方を出て都市部に行くことを余儀なくされてしまうでしょう。また、税収が減れば行政サービスも劣化していきます。極端な話、災害があったときに復旧もできない、橋も道路も直せないというような状況におちいって、壊れたものがそのまま放置される日が来ないとも限りません。

 こうした問題はすでに一部の町村部で起きつつあることですが、一定以上まで人口減少が進めばいっそう生活しにくくなるがゆえに人口減少に歯止めがきかなくなり、やがては地方の村から町、市部、地方都市までに至る連鎖的・加速的な進行を阻止することが不可能となります。

 単に子供が減ったり、お爺ちゃんお婆ちゃんが増えていくというような平成時代のイメージとは異なり、今後それは次々に生活の場が失われるものへと変わっていく。今後は別次元の恐ろしい面が剥き出しになると書いたのはこのことです。


若者の移動がアンバランスをつくりだした

 都市と地方のアンバランスが拡大しているのはどうしてなのでしょうか。その原因を地域別の転入超過率に見ることができます。下の図5は年齢別の転入超過率を都道府県別に示したもので、折れ線が0.0%よりも下に陥没している県では人口が流出し、上に尖っている県への流入が起きています。最も動きが大きいのは黒線で示した20~24歳の区分で、就職にともなって地方から都市部へ若者が動いていることがうかがえます。

年齢別転入超過率

 図5.年齢別・転入超過率(2020年 住民基本台帳人口移動報告による)

 さらにこれを各地の最低賃金と比較してみましょう。下の図6は、図5の20~24歳(黒線)を抜き出して、2020年度の最低賃金(水色)と重ねて表示したものです。

最低賃金と超過率

 図6. 20~24歳の転入超過率[左軸]と最低賃金[右軸](2020年 住民基本台帳人口移動報告、および厚生労働省発表の令和2年度地域別最低賃金改定状況による)

 最低賃金が低い地方から若者が流出し、高い都市部への流入が起きている――。これは所得格差や雇用状況の点で、不利な地方から有利な都市部へ若者が動いていることの反映といえますが、そうした所得格差や雇用状況にはまた、この最低賃金に象徴されるように政治が多分に関わっているわけです。

 もちろん都市に出たい若者が都市に出て活躍するのはよいことです。しかしいま都市部へと流れている若者は、地元にとどまりたくても職がないがゆえに都市部へ行かなければならないという場合が少なくありません。


地方を守らなければ確実な日本の破壊がもたらされる

 このようにして人口の移動を都市と地方のアンバランスに結びつけると、過去には今よりも都市への移動が激しかった時期があるという批判を受けるかもしれません。しかしながらそれは高度経済成長とバブルの時期であり、まだ都市と地方がともに発展を続けていた時代だったのです。

 けれどもバブル崩壊後の30年で地方の状況は大きく変わってしまいました。そして今や地方の衰退は一線を越え、過疎が過疎を呼ぶという状況に入りつつあります。地方の自治体が連鎖的・加速的な衰退に入ってしまうと、やがて地方から大都市への若者の流れはなくなってしまうでしょう。 

 地方から移動してくる労働力をとりこんで大都市の発展を維持してきたこれまでの政策は、いわば地方を犠牲にした大都市の延命策というべきもので、地方が衰退し続ければ破綻することが確実です。最低限、地方の中核となる地方都市を守れなければ東京が守れず、やがては東京の衰退に至るでしょう。そうなってしまった時、その衰退はもはや回復不能な八方ふさがりの衰退を意味するというわけです。

 東京五輪や大阪万博も、政治家は日本の景気をもちあげるものだと考えていたのかもしれませんが、それらは都市部にお金を投下して、いっそう人を集めることを結果します。ある場所に投資する政策を行って人を集めるというのは、その地域に限ってみればよいのかもしれません。けれどその背後では常に別の何かが失なわれていることを見落とすわけにはいきません。五輪も万博も日本のバランスをいっそう損なうものであり、日本の未来をいっそう暗くするということです。

 この30年間続けられた自民党の政策を転換しなかった場合、確実な日本の破壊がもたらされるであろうことは、いくら強調してもし過ぎることはありません。


日本で起きている少子化はただの少子化ではない――そこには少子化を加速する仕組みがある

 次に示すのは、日本の合計特殊出生率の分布です(以下、単に「出生率」と表記します。これが意味するのは、簡潔に言えば一人の女性が生涯に生む子供の数の平均です)。

合計特殊出生率

 図7.合計特殊出生率(国勢調査による)

 図7からは、沖縄や九州地方、中国地方を中心として、地方は比較的、出生率が高い自治体が広がっていることが読み取れます。それに対して関東や大阪などの都市化が進んだ地域では低い傾向となっています。

 つまり図5や図6で見たような地方から都市部に若者が移動するという現象は、出生率の高い地域から低い地域へと移動することにあたっているわけです。これにともなって、地方にいれば生まれるはずだった子供が、いったいどれほどの数、生まれないままになってしまったのでしょうか。

 もっとも厳密を期すならば、ここに示した事実だけからは「都市部の環境が出生率を下げており、そこに若者が流入したのだ」ということのほかに、「子育てをしないという選択をしがちな若者が都市部に移動する傾向を持っており、都市部の出生率を下げたのだ」という解釈も成り立ちます。

 しかし出生率がその地域固有の子育てをめぐる環境を反映したものであると考えるなら、都市部が不利であることは腑に落ちます。過密な都市部では、家賃も高いうえに子供の遊び場も限定されています。保育園や小学校も満員で、校庭を一部つぶしてプレハブの教室を建てている地域もあるほどです。それは決して子育てに有利な環境だとは言えません。

 また、後者の「子育てをしないという選択をしがちな若者が都市部に移動する傾向を持っており、都市部の出生率を下げたのだ」という話であれ、「子育てをしないという選択」がどこに起因するのかを考える必要があるでしょう。それには、若者が都市部へ移動することにより、都市と地方で世代が切り離されてしまうという問題が関わっているはずです。

 もし地方の若者が都市部に行くのではなく、地元で働いて生活していけるのなら、やがて結婚して子供を育てていくときに、必要とあれば実家を頼ることができるでしょう。母親が働きに出かけるとなったときにも、地方ならお爺ちゃんやお婆ちゃんに子供を預けられるような環境があるはずで、世代をこえた助け合いのなかで子育てをしていけます。しかし若者だけが都市部に移動してしまえば、そうした環境はなくなってしまいます。

 バブル崩壊以降の30年間はまた、労働者の非正規化が進み、安定した雇用の中で結婚して子供を育てるという従来の生活スタイルを作ることが難しくなっていった時代でした。都市に出てきた若者の多くが置かれるのはそうした状況です。このとき、子育てに協力してくれる世代がいたらどれほど助かるかわからないのに、都市に出てきた若者にとって、地方の実家は正月とお盆に帰るだけのものになってしまうのです。

 こうした点に考えを及ぼすと、いま日本で起きている少子化は、単なる少子化ではないことが見えてきます。子育てに不利な都市部に若者が流入していったこと、そして都市に出ていく若者と地方にとどまる高齢者がばらばらにされていったことにより、人口の減り方もまた加速的に起きたものなのだという恐ろしい仮説が浮かび上がってくるわけです。

 本来、人と人はばらばらに生きるものではなく、お互いに関係し、支えあって生きていくものです。子育てもまたそうした中で行われることであるはずです。それにもかかわらず人間関係が都市と地方でばらばらにされ、世代が切り離されてしまったなら――。それが人口減少にどれほどのインパクトを与えたのかということは、検討されるべき大変な問題であるはずです。


切り離された高齢者も活躍の機会が失われる

 都市と地方で世代が切り離されることは、都市の若者だけでなく、地方で生きる高齢者からも活躍の機会を奪うことを結果します。

 もしも子供の世代が近くにいて、そこで孫が生まれ育つというふうであれば、お爺ちゃんお婆ちゃんはその孫のために、様々な場面で子育てや教育に関わっていけるでしょう。けれども世代から切り離されてしまえば、そういったことは不可能になります。

 また、育てた子供が都市部へ行ってしまい、遠く離れたところで生活していくというふうになれば、地方の高齢者が頼れるのは自分が持っているお金だけという状況を強いられます。そうなれば、たとえいくらお金を持っていたとしてもそれを使うことはできず、もしもの時の病気や介護に備えなければいけなくなってしまうでしょう。孫に服やおもちゃを買ったりということも少なくなるわけです。

 このように地方の高齢者もまた、世代が切り離されてしまえば、できるであろう様々なことができなくなってしまうのです。

 もちろん誰もが何か生産的なことに携わって活躍しなければならないという訳ではありません。またそのようなことが強いられる社会は健全ではありません。しかし活躍したいと望む人が活躍の場を持てないとしたら、それは政治の問題です。特定の属性、特定の世代、特定の地域に住む人たちに対して不利な状況が押し付けられるなら、それは政治の失敗であり、日本の未来に対する大きな損失であるわけです。


都市に出ていった若者もまた切り捨てられてきた

 下の図は2020年の時点における日本の人口ピラミッドの分布です。

日本の人口ピラミッド2020全国

 図8.日本の人口ピラミッド(2020年)

 この図からは2つの人口のピークが読み取れます。ひとつは第1次ベビーブーム(1947~1949年生まれ)で、戦争が終わり、生活のめどがつきだしてきた時期に多くの子供が生まれたことのあらわれです。もうひとつの第2次ベビーブーム(1971~1974年生まれ)は、第1次ベビーブームの子供にあたる世代です。親世代の人口が多ければ、それに応じて多くの子供が生まれるというのは普通に考えれば自然なことであるはずです。

 第2次ベビーブームの世代が20代となって社会に出ていく時期を直撃したのがバブルの崩壊(1991~1993年)です。これによって打撃を受けた日本の経済を回復させるべく政府がとった政策は、非正規雇用を増やし、労働を強化し、大資本を守ることでした。その背後で、多くの若者が、安定した雇用の中で結婚して子育てをするという従来の生活スタイルを持てなくなったのです。

 未来が見通せず、疲れ切った体で家に帰ってきてろくに睡眠もとれないでまた働きに行かなければならないような状況があるなかで、子育てしようと考える若者が増えるはずもありません。また社会に出る時に、少なからぬ若者が奨学金を大きな借金として背負わなければならない状況で、果たして出生率の向上が見込めるでしょうか。この時の政治の失敗によって、少子高齢化は決定的なものになりました。

 子供を産む、育てる、保育する、教育するというようなことは、産業以前の事柄として、将来の働き手の数と質に関わり、社会の基盤を左右する問題です。政治はそれを犠牲にし、未来のない延命に走ったということです。そう、まさに今の政治は延命にすぎません。

 地方を犠牲にし続けることも、若者に苦境を強いることも、いずれも表裏一体の未来のない政策であり、日本の衰退をもたらしてしまうのです。


求められる政治の転換――日本のバランスをとりもどすということ

 はじめに掲げた小泉氏の発言は、より広く引用すると次のようになります。

「皆さんは将来に悲観的な1億2千万人の国と、未来に楽観的で自信を持つ6千万人の国だったら、どちらの方が未来があると思いますか。極端な例かもしれませんが、私は悲観的な1億2千万人の国より楽観と自信を持った6千万人の国の方がよっぽど強いと思う」(出典:朝日新聞 2016年9月28日)


 これは朝日新聞の記事で、見出しは「人口減を悔やむ発想から早く飛び出せ」というものでした。

 しかし単に人口が減ることを悔やむのではありません。

 ここまで示してきたとおり、地方から都市部への人の流れが日本のバランスを損なっており、少子化の加速など多くの問題がもたらされているのでした。そしてこのまま地方の衰退が続くなら、様々な人の生活の場や活躍の機会が加速的・連鎖的に失われていきます。現在の大都市の成長は地方から移動してくる若者を前提として成り立っているものの、地方が連鎖的に衰退する段階に入れば大都市へ向かう人の流れはなくなっていくわけです。

 こうしたことを踏まえて敢えて直言するならば、バブル崩壊以降に自民党が行ってきた政策は、総合的に言って地方を犠牲にした大都市の延命にすぎず、転換しなければやがて大都市が衰退のフェーズに入った時、何も打つ手立てがない状況になることは必定です。それは日本を根本的に破壊する道であり、アジア有数の貧困国めざして転落してくことすら避けられなくなってしまうでしょう。ここに楽観できる要素など何一つありはしないのです。

 そして、だからこそ今、こうした問題を自覚したうえで、日本全体のバランスを取り戻すべく政策を転換することが求められるのです。


おわりに:「未来を変える存在」

 ここに示したものはいわば絶望の統計であり、あまりの見通しの厳しさに驚かれた方も多いかもしれません。しかしこれは、あくまでこのままの政治を転換できなければ待ち受けている未来です。私たちはそれを変えうる存在であるはずです。

 バブル崩壊以降30年にわたる日本の停滞をもたらした政治は、バブル以前の昭和期の貯蓄を切り崩し、地方を犠牲にし、ロスジェネ以降の若者を使いつぶすという形で行われてきた、いわば社会の延命というべきものであるのでした。それは決して自らの意志によって未来へ踏み出すという姿勢ではなく、ただ未来へと運ばれていくことを受け入れる姿勢です。

 けれどもそれは、ある意味とても日本らしい姿であるのかもしれません。思えば日本の民主主義は敗戦で与えられたものでした。戦後めざましい発展を遂げたとはいえ、「共産圏への防波堤」や「資本主義のショーケース」としての役割もまたアメリカに与えられたものでした。

 冷戦の狭間で実現された昭和期の発展には確かに輝かしい面もあったでしょう。けれどそれは朝鮮戦争やベトナム戦争によってもたらされた面もあるのです。決して自らの意志と決断で進むのではなく、状況に流されてきただけの私たち。そしてバブル崩壊という出来事の後、30年もの停滞から脱却できないでいる私たち――。

 そう考えたとき、果たして私たちは歴史を歩んできたのだろうか。歩まされてきただけではないかということが頭をよぎります。

 けれど今や私たちは自らの意志で歩みださなければなりません。自らの決断で政治を転換しなければなりません。そうでなければ社会がもたないという状況が近づいているのです。

 この衰退から立ち上がるとき。

 それは多くの政治に失望した人たちが力を取り戻すときであり、30年前にバブル崩壊とともに失墜した投票率が回復するときであり、そしてそのとき、私たちは本当に自分の意志で歴史を歩み、未来を開いていくのではないかと思うのです。

2021.06.20 三春充希

画像8使用した人口データおよびソフトウエア

 図1~4のデータは、国立社会保障・人口問題研究所による『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)』をもとにし、2015年を100とした指数を10歳別に計算しています。地図の作成には地理情報分析支援システムMANDARA10を用いました。掲載した図表は全て三春充希によります。

 データの出典:『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)』

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note: みらい選挙プロジェクト情勢分析ノート