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託された祈り…大切な人との別離が教えてくれたもの

95歳、大往生。

5月中旬、大好きな祖母が亡くなりました。享年95歳。4年ほど前から施設に入所していましたが、先月初旬に誤嚥性肺炎で入院。

コロナ禍で実家の両親さえお見舞いもままならなかったのですが、亡くなる前日まで会話できていたそうです。病院からの連絡で急ぎかけつけた両親を待つことなく、すーっと旅立ったとのことでした。

母から一報が入った時は大いに泣きましたが、いくら心で呼びかけても祖母の気配は、もうこの世のどこにもありませんでした。遺体に対面してもそこにあるのはただ亡骸だけでした。おそらく振り返りもせず一瞬にして天に昇ったのでしょう。立つ鳥跡を濁さず。あまりの清々しさ。とても祖母らしい最期だと感じました。

私は母方の初孫で、とても大切にされました。とくに祖母とは特別な絆で結ばれていたと思います。

祖父の家が代々、八幡宮の宮司を務めていた関係で、祖母は毎日神棚で祝詞をあげていました。物心ついた時には気功やヒーリングを普通にやっていましたし、占星術にも詳しかったです。

私もその影響でスピリチュアルなんて言葉もまだなかった10代の頃から自然と精神世界的なことに触れていました。

「あなたの◯◯が上手く行くように祈っておいたからね」「今年は年回りが悪いから気をつけなさい」

私たち家族に対するこうした祖母の言葉を、母は「恩着せがましい!」「またしょうもないこと言って!」と嫌っていましたが、私はむしろありがたく思っていました。多少押し付けがましい感じはありましたが、むかしの人っぽい愛情表現と受け止めていました。

10代の頃、自分の価値観を押し付けて来る母がうっとおしくで、何かとぶつかっていた私。娘との関係を愚痴る母に「見容は絶対に大丈夫だから」「あんなに優しい子はいない」と庇い続けてくれたのも祖母でした。

2年ほど前、祖母から早朝にいきなり電話がかかってきたことがありました。「見容、私はもうすぐ逝く。今から言うことをよく聞いて」と遺言めいたことを託されました。

内容をひとことで表すなら「祈りを絶やすな」ということでした。

私が仕事で行く先々の神社で参拝していること。自然の中で自分を整えることを習慣にしていること。祖母は私が何気なく話したことをよく覚えていました。

人のために祈ること。世の中が少しでも良くなるように祈ること。あなたにはその役目があるからこれからも続けていきなさい。

普段は噂好きでチクっと毒が入ってるキャラなのに、こういう時だけこういうこと言うのもまた祖母らしいとな、と。

それから少し時が経ち、会うたびに「逝く逝く詐欺やな」と冗談を言い合いながらも、別れる時は毎回今日が最後かも知れないと思っていました。

最後に会ったのは去年の12月。でも不思議と喪失感はありません。清々しい旅立ち方という教えを、また一つ遺してくれた気がしています。

おばあちゃま、また会う日まで。受け継いだものを大切にしていきます。

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