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岡村さん炎上で考える、正義とは何か?について

岡村隆史さん、炎上してますね。
さんざん報道やネットで出回ってる話なので、細かい内容は割愛しますか、

実は私もあの発言を聞いて「これはアカン!」と強く思ったひとりです。

なぜかというと、休業要請の対象業種に「風俗業」があるのを見たときに、真っ先に「そこで働いてる人はどうなってしまうか?」と密かに思いを寄せていたからです。他のどの業種で働く人よりも窮地の声が上げづらいだろうな、と想像できました。

私自身は風俗で働いたことはありませんが、風俗業って働く側からしたら生きるためのセーフティーネットみたいな側面があるとかねがね思ってました。

もちろん自ら進んでその世界で頑張ってる人もいると思いますが、自らやりたくてやってるわけではない人も多いだろうな、と。しかも人生に2、3個不運が重なっただけで容易に足を踏み入れざるをえないことってあるよね、とも。

上手く言えませんが「それは自分だったかもしれない」という気持ちです。だからこそ火の中から脱出して必死で飛び込んだ防火水槽の底が抜けてたら、いったいどうしたら良いの?と思っていました。

なので、今回の岡村さんの発言、当然アカンと思いました。しかしその後の炎上具合には、それ以上に同意できない自分がいます。

発言内容は当然ダメですし、それを公共の電波で流してしまった罪は重いです。ただ「ダメな場所でダメなことをうっかり言ってしまう」こと自体は自分にもありえるな、と私は思ってしまうんです。

さっきも言った「それは自分だったかもしれない」という感覚です。

彼の発言うんぬんより、彼の考え方と人格そのものが許せない!という人もたくさんいらっしゃるでしょう。

もちろんそれもそうなのですが、じゃあ自分自身に置き換えて考えたときに、いっさい邪な気持ちを持たず、誰も傷つけず、真っ白に生きてるか?と問われたら、私はまったく自信がありません。

「そんなこと言ったら誰もなにも言えなくなるじゃないか!」という声が聞こえてきそうです。いいえ、そうは言っていません。

自分の意見は言っていいんです。民主主義ですから。でも一方で「じゃない方の意見」があることもまた認めておきたいよね、と思うんです。なぜかというと、誰もが大衆を敵に回すような「じゃない方の立場」にいつでもなりえると思うからです。

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以前ベッキーさんが不倫で炎上したことがありました。

好感度の高いタレントさんだからこそ、その行いとのギャップが火に油を注いだという点では、今回の岡村さんのケースと根っこは同じでしょう。

ベッキーさんに関しては、個人的には彼女の何が悪かったのか未だによくわかりません。

まぁ不倫がアカンって話なんですけどね。もちろん建前上は当然ダメなんですよ。でもこれもまた自分に置き換えて考えたら、ぜったいアカンと言い切れない自分がいます。

若くて恋愛経験がまだ浅い時にできた大好きな恋人から「実は嫁がいて」と急に告げられたとして。でももうすぐ別れる予定になってて、実家の親に君を紹介したいから来てくれないか?と言われたら、、、、断れるかなぁー、と。あまつさえ奥さんの立場になんか、とうてい考えが及ばないだろうなー、と。

もちろん今だったら絶対行きませんよ。でも若さとはバカさだと身をもって知ってる人間としては、「まぁ、あるかもね」と思ってしまうのです。

あと確か、お相手とのラインのやりとりに世間がドン引きしたんだったと記憶していますが、そもそも私的なやりとりってあんなものでは?と思ってました。表面上取り繕ってるけど裏では勝手なこと言ってるのって、みんな同じやん?と。

しかもあれって、もっとも叩かれるべきは個人のラインを世間に流出させた「誰か」の方だと思うのですが、誰も当時このことを言わないことにも違和感を持っていました。

要するに正義を振りかざして人にとやかく言えるほど、真っ白に生きてる人って一体どれほどいるのかと。

私自身は自分の過去を振り返った時に、人に正義を説くなんで、とてもじゃないけど恥ずかしくて無理(赤面)

世の中は、真っ白なことも真っ黒なことも多分なくて、無限のグレーのグラデーションで成り立ってるんだと思うんです。
 
そのグラデーションの細やかな機微をどれだけ見分けられて、どれだけ受け入れられるかを「優しさ」と呼ぶのだろうと、個人的には思っています。

そしてともすれば心がカサつきやすいこんな時は、大切な人を大切に思いながら、過ごしたいと思います。


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