見出し画像

50.炎の蜃気楼(ミラージュ)

~富山県高岡市の雨晴(あまはらし)海岸から立山連峰を臨む風景~

2019年7月、筑波大学陸上競技部長距離パート(駅伝チーム)の副主将となった、尾原健太(おはら・けんた)くん。
ネット上に、彼の足跡はほとんど残っていない。
相馬崇史くんが関東学生連合チームとして5区を走ったときの公式レポートの中に、わずかに痕跡が残るのみである。

<往路のゴールで相馬を出迎えた尾原のコメント>
相馬は、レース後しばらくは動けないほど力を出し切っていました。そんな相馬を見るのは初めてのことです。やはり、箱根駅伝は特別な大会だと感じました。相馬は落ち着いた後、“やりきった!”という充実した表情を浮かべ、レースの模様を熱く語りだしました。その話を聞いて、さらには、相馬の輝く目を見て、より一層“箱根駅伝を走りたい”という気持ちが僕の中でも強くなりました。これからの1年、箱根を経験した相馬と切磋琢磨し、チーム出場を目指して頑張っていきたいと思います。
(上記記事より引用)

彼は付き添いとして、芦ノ湖のゴールで相馬くんを迎えていた。

『そんな相馬を見るのは初めてのことです。』

「初めて」という言葉は、過去のデータと照らし合わせて使われる表現である。彼の、物事を客観的にとらえようとする科学的な姿勢が透けて見える。
ところが、その後は、相馬くんのようすを冷静に説明しようと試みながらも、「充実した表情」「輝く目」という主観的な描写が続く。このアンバランスさに、彼が受けた衝撃の大きさを感じずにはいられない。

私が、彼に特別な思い入れを持っていた理由は、陸上競技部の部員紹介に掲載されていたプロフィールにある。そのくだりをご紹介する。

暇な時間は新聞や分厚い本(現代日本語とは限らない)を読んでおり、学力の高さが溢れ出ている。筑波の二宮金次郎と呼び声高い。
(筑波大学陸上競技部サイトに掲載されていた尾原健太くんのプロフィールより抜粋)

この紹介記事のキモは、学力の高さ…ではなく、彼が読んでいるモノの「形態」である。
小説やマンガだけではない、ということを筆者は伝えたかったのだろうが、この情報から私は多くのことを(勝手に)読み取った。

たぶん尾原くんは、息をするように読書するタイプである。
活字を見つけたら、それがどんなジャンルであれ読まずにはいられない。
"分厚い本(現代日本語とは限らない)"とわざわざ注釈がついているのは、周りの学生さんが「現代の日本語じゃない」と思うような、古い文学作品や文献なども読んでいる、ということをあらわしている。
分厚い本を読んでいる理由は簡単だ。分厚い本(=単行本)でしか出版されていない作品を読んでいるか、文庫化されるまで待てずに買っているか。あるいは、大学図書館で借りているかだ。

話は横道に逸れるが、筑波大学附属中央図書館は、開架(かいか)式の大学図書館として、日本屈指の規模を誇る。中央図書館だけで190万冊、大学全体で約280万冊の蔵書があり、その大半が開架式で提供されている。自分の研究と全く関係のない分野の専門書や、手に入りにくい珍しい書物も、気軽に手に取って読める。その圧倒的なスケールは、本好きにはたまらないはずだ。

【補足】本屋さんや公共図書館のように、誰でも直接本を手に取れる提供システムを、専門用語で「開架(かいか)式」と呼ぶ。一方、国会図書館などのように、書庫に本を所蔵し、特定の人しかアクセスできないシステムを「閉架(へいか)式」と呼ぶ。大学図書館は開架と閉架を併用しているが、専門書が多いことと、収容スペースの問題もあって、多くの大学では閉架の割合が多い。900万冊の蔵書量を誇る東大も、ほとんどが閉架である。


さらに、彼が富山県出身であることは、同じ日本海側の雪国育ちの私にとって、同郷の士のような親近感を抱かせた。
生命環境学群・地球学類専攻というのも、さもありなん、と思った。

富山県は、世界的に見ても特殊な地理環境を有している。
標高3000m級の山々が連なる立山連峰は、世界有数の豪雪地帯であり、富山湾は深いところでは水深1000mにもおよぶ。じつに高低差4000mもある急峻な地形だ。
その急峻さが、富山湾に蜃気楼をもたらす要因となる。冷たい雪解け水がそのまま大量に富山湾に流れ込み、海面近くの空気を冷やすため、空気密度に極端な差が生まれ、光の屈折現象が起きる。
畏怖すら覚える荘厳な立山連峰、豊富な水産資源をたたえる富山湾、その海上に現れる、この世のものとも思えぬ神秘的な蜃気楼。
富山を訪れる人々は、ダイナミックな自然の姿に感動するだろう。

その一方、自然は理不尽で、暴力的で、残酷でもある。
尾原くんが専攻している地球学類には、フィールドワークがある。特に山岳地帯のフィールドワークは、綿密な計画と準備を行い、かつ、メンバー一人一人が自分の役割をしっかりと果たさなければ、命の危険さえある。
彼の育った富山には、それを教える「美しく、理不尽な自然」が、人の営みのすぐそばに寄り添っている。

富山県民は、明治時代の測量隊による剱岳登頂の話や、昭和の大国策事業、黒部峡谷に作られた数々のダム工事の話を、必ずどこかで学んでいる。とくに、黒部ダムに行ったことのない富山県民は皆無だと断言してもいい。
また、本好きなら、これら歴史的事実を題材にした有名な文学作品をも読んでいるはずだ。
新田次郎の「劒岳〈点の記〉」を。
吉村昭の「高熱隧道」を。
いずれも、過酷な自然と対峙し、極限状態に置かれた人間の、壮絶な心象風景が描かれている。

本は、自分が歩んでいる人生とは異なる世界を、時も場所も超えて「疑似体験」できるツールである。
筑波大学陸上競技部の長距離コーチである弘山勉さんは、かつて、妻の晴美さんとともに世界に挑戦し、日本の長距離陸上史に大きな足跡を残してきた。
筑波大学に招聘される前、弘山さんが身を置いていた世界は、前掲の作品に例えるなら「明治に至るまで未踏峰だった剱岳」であり、「岩盤温度が摂氏166度(水を掛けたら瞬時に蒸発する)のトンネル工事現場」である。
そういう極限環境を体験している人の信念や思考は、二十歳前後の学生さんたちの想像を超えているだろう。

しかし、たくさんの本を読んで、たくさんの別の人生を「疑似体験」してきた尾原くんの脳内データベースの中には、弘山さんのような生き方をしていた人物がいたかもしれない。
弘山さんが見ている世界軸を、当時のチームメンバーの中で一番理解していたのは尾原くんではないだろうか、と私は想像していた。

多くの陸上ファンにとって、彼は、突然海上に現れた蜃気楼のように「不思議な存在」であったろう。
ただし、ち密に観測していれば、それ自体は予測できた事象だと私は思っている。

想定外だったのは、それは彼自身をも焼き尽くすほどの、激しい炎をまとった蜃気楼だったことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?