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58.金栗足袋と金栗カップ

チームつくばタイトル

練習前のミーティングは終了し、学生さんたちは本格的にウォーミングアップを始めた。
「彼ら、まだしばらくアップしてるんで、よろしければギャラリーを見学なさいませんか」とアシスタントコーチの山田さんが誘ってくださった。
私の方が勝手にやってきたのに、と恐縮しつつ、ご厚意に甘えて山田さんの後ろにくっついていった。

歩きながら、ずっと気になっていたことをきいてみた。
「今までクラウドファンディングされてる方で、見学に来た方はいらっしゃるんでしょうか。」
「いえ、初めてです。」

えっ、一人も!?

【注】山田さんのアシスタントコーチ就任以降、この時点までの話であります。

クラウドファンディングのリターン(返礼)として、練習見学の項目もあったので、何人かは見学に来ているのでは、と思っていた。
確かに、つくばは都心から少し離れている。大学の敷地も広いし、一般的には足を運びづらいのかもしれない。
競技場の場所は今回の訪問で覚えたから、いつか他のクラファン支援者さんと巡り会えたら、見学に誘ってみよう。

陸上競技場の先にいくつかの建物があった。それぞれの建物の2階をつなぐように、ペデストリアン(高架歩道)が伸びている。
一番高い建物に向かって行った。体育専門学群の「校舎」だろうか。
中に入ると、廊下に面した壁沿いにガラス張りのギャラリーがあった。
バスケットボール、ラグビー、体操…
選手たちが躍動する大きな写真(中にはアフロスポーツさん撮影のものもあった)とともに、数々のトロフィーやカップが並んでいる。

「こちらがTSA(筑波大学スポーツアソシエーション・弘山さんや山田さんが所属している組織)の事務所です。」
フロアの奥にこじんまりした事務室があり、その横に、金栗四三氏の特設ギャラリーがあった。

この年(2019年)、大河ドラマ「いだてん」放映に合わせて、筑波大学では嘉納治五郎氏や金栗四三氏に関連する特別展を開催していた。
閉館時刻の17時を過ぎていたので、係りの人は既にいなかった。
だが、山田さんは「過ぎちゃってるけど、大丈夫です(笑)」と言って、特別に中を案内してくださった。
金栗氏の写真や直筆の書、実際に使用した足袋などが展示されている。
日本の長距離走の歴史はこの足袋から始まったのか…
大河ドラマは見ていたけれど、実際にご本人につながる物を目の当たりにして、気持ちが昂った。

壁際の展示台には、金色のカップが置かれている。何の表彰カップだろう。
私の視線を追った山田さんが教えてくださった。
「それは、箱根駅伝の金栗四三杯のカップです。鐘ヶ江さんが筑波大学に寄贈くださったものです。」

はぇ!?

箱根駅伝の金栗四三杯とは、第80回(2004年)から創設された最優秀選手賞のことである。筑波大学OBの鐘ヶ江幸治さんは、この賞の初代受賞者である。
カップを見つめながら、鐘ヶ江さんのあるメッセージが脳裏に浮かんだ。
相馬くんの第95回箱根駅伝出場にあたり、鐘ヶ江さんがプロジェクトに寄せた応援メールだ。

「箱根と言うと普段とは全然違う大舞台ですが、その雰囲気や周囲の期待はあまり気にせず、いつも通りの練習と気持ちで臨んで下さい。
(中略)
私も箱根駅伝当日は休みなので、邪魔しない程度に現地に行って応援させていただきます。リラックスして頑張ってください!」
(上記記事より抜粋引用)

文面から、鐘ヶ江さんの大らかで無為自然(むいしぜん)な人柄がうかがえた。
個人賞の金栗四三杯の記念カップを、惜しげもなく大学に寄付する。
もしかしたら、受賞の栄誉さえも、こだわりがないのかもしれない。
そういう自然体な方だからこそ、鐘ヶ江さんは、今なお多くの駅伝ファンの記憶に、鮮やかに残っているのだろう。

私は、「文は体を表す」と思っている。
弘山さんは、口数が多い人ではないが、文章はとても饒舌だ。
冷静で論理的な文であることは、きっと誰もが認めるだろう。だが、それだけではない。
淡々と冷静に語りつつ、時折、ご自身の秘めた情熱をのぞかせるように、エモーショナルなゆらぎがある。そのゆらぎが圧倒的に美しく、魅力的なのだ。意識的にやっているとしたらものすごいテクニックだし、無意識だとしたらものすごい才能である。
見学後、競技場に戻る道すがら、私はそんな話をペラペラと山田さんに語りまくった。(謎のテンションに、山田さんはちょっと困っていたかもしれない…)
プロジェクトに掲載された学生さんたちの手記も、一人一人の個性がよく出ている(弘山さんに添削された部分も含めて(笑))。
弘山さんや学生さんたちの手記を読み、勝手にいろんな妄想を膨らませた末に、ここまでやってきた。
来るまでは、何も知らないど素人がやってきて迷惑ではないだろうか、と思ったりもした。
けれど実際につくばに来てみると、「このプロジェクトにはもっと仲間が必要だ」という思いが、さらに募った。

金栗四三氏が100年前にそう感じたように。

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