正座の国の人
何年経っても胸に残る会話がある。
当時の言葉が、度々思い出されることがある。
今年の大河ドラマの中で、印象的なシーンがあった。明智光秀と石川さゆりさん演じる、光秀の母「牧」の会話の場面だ。
於牧の方と光秀さんが座って話しているのだか、於牧の方は立ち膝。正座ではない。
それが、とても美しいシーンに見えた。
江戸時代以前は胡座、立ち膝も日常だったとか。正座がお行儀の良い座り方になったのは、江戸時代以降の事らしい。
そしてその場合から、ふと蘇る学生時代の記憶。
まだ韓流ブームが起きる前の事。
チマチョゴリを展示販売している所を通りかかった。初めて見るチマチョゴリは、色鮮やかで、独特の配色を珍しく感じて立ち止まってジッと見ていた。
そこに女性の店員さんが
「よかったら着てみませんか?」
と、声をかけてくださった。
「私、学生でお金が余り無いので」
と、正直に答えると、
「お若い日本の方に、韓国の文化を知って頂きたいので、買わなくてもいいので着てくださると嬉しいです。学生さんに無理は言いません。10年後にはきっと、韓国と日本はもっと良い関係になると思っています。だから、勉強だと思って試してください。」
と言う。
あまりにも熱心に勧められて、着てみる事にした。押し売りには聞こえなかったから。
展示された中から、私の肌の色に映えそうだという一つを選んで、着付係の元へ連れて行く店員さんは、終始色々と語りかける。
ご自身が韓国の生まれであること、いつか日本と韓国はもっと親密になると信じているから、お互いの国の文化をもっと知り合うことが必要だと思っていること。
着付係の年配の女性と店員さんがハングルで短く会話があり、私の前に着付係の方が立った。
その方は着付けをしながら、時折日本語で私に
「少し手を上げていてください」
などの指示を出す。
「お二人とも、日本語がお上手ですね。」
「着付係の方は、日本統治時代に学校で日本語を学ばれたそうです。そんな時代があったのをご存知ですか?」
突然の、世界史・日本史の授業でも深くは触れない内容に、若干たじろぐ。が、父親との会話の中で幾度か出てきたことなので、うっすらと知ってはいた。
「日本統治時代には、悲しいこともありました。良い記憶ばかりではありません。しかし、日本が韓国に学校を作ったことで、学ぶことが出来た方も居たのです。」
私の祖父母の若かりし頃の時代、日本でも学校に通えない方、文字が読めない方も多かったと聞かされていた私は、引き込まれるように話を聞いていた。
父母の時代でも、高等教育を望めど、かなわない方も沢山居られたとも父親から聞かされていた為、学ぶこと、学べることの有り難さを少なからず感じていた。
「チョゴリは裾が着物より広いでしょう?」
「はい」
「何故ならそこに、座り方の違いがあるからです。」
店員さんは語る。
「日本は正座が正式な作法です。ご飯の時も畳の上で、履物を脱いでゆっくり食べる習慣があります。
韓国は食事の時、立ち膝で片足を立てるのが正式な作法です。着物のすそ幅では、この座り方はできません。出来ても様々問題が生じます。チョゴリは、足が楽に曲げたり動かせるように作られています。
何故そんな座り方をするか、解りますか?」
否と答えると、店員さんは一説ですがと前置きしたように思うが、こう教えてくださった。
「日本は島国、韓国は半島。日本は他国の侵略者が攻め入る場合、かつては船です。数にも限りがありますし、攻めるにも海を渡るリスクもあります。他国からの侵略の確率は、日本の方が低かったと思います。
韓国は大陸からの侵略者が、常々やってくる危機を抱えていました。陸続きだからです。
寝ていても、食事中でもそれは有り得たのです。
いつでも立ち上がって、走れって逃げられる。女性が身を守る為に必要な衣装。チョゴリにはそんな側面もあります。立ち膝から立ち上がるのと、正座から立ち上がるのでは、どちらが早いか、走るのに好都合なのはどちらかは、お解り頂けますね?」
はい、と頷く私に、更に続ける。
「日本には、正座の文化が育ちました。命の危機にさらされる機会が減ったから、とも考えられます。正座で食事ができる、ゆとりがあるのです。」
確かに、草食動物の多くは、捕食者を意識している場合は、立ったまま過ごすものが多いなどと思いつつ、更に相槌を打つ。
「正座で暮らせることは、安心して暮らせることにつながっているのです。正座の国の人達は、そういう意味で、とても幸せなのです。」
そうこうしている内に、着付けも終わり、胸元に飾りも付けられた。
姿見に映る私は、なんとなく不思議で、綺麗な衣装が嬉しかった。
それよりも、この二人の女性に会って、お話しが聞けたことが有難かった。
日本から見た異国しか知らない上に、異国に興味もあまりなかった私。
他国、しかも戦争と言う時代を経て、密接に関係してきた他国の女性の思い、考えていることの一部が聞けたことは、今も貴重だと思っている。それが史実、事実かを判断する知識を持ち得ていなかったが。
あの日聞いた話。
正座の文化の国の人は幸せ
そう言われたことが、当時は衝撃的だった。そして、成る程…そういう見方とあるのだなと、妙に納得していた。
けれど、正座の国では無い国も幸せであれば良い。曖昧にそう思った。
平安時代、室町時代辺りは胡座、立ち膝が正式な作法だったらしい。
江戸時代になり、謁見中に正座をしていることが、いきなり立ち上がって謀反…としにくい事から、取り入れられたと言う説も見つけた。
正座は足が痺れるし、膝が痛んだりする。
けれど、従順や屈伏の証でもなくて…
相手と自身を大切に思う心を、作法と言う形で表現しているものだと思いたい。
建国記念日に、少しだけ日本の過去を振り返る今。
この先に、悲しい歴史は刻みたくない。自国にも、他国にも。
幸せを追求する中において、誰かの人権や利を侵害しないこと。破壊が創造の起爆剤とならない方法を選択する。
どうしたら、そうあることができるのだろう。そう、世界中でそれが成り立つ為には…。
壮大な次元に思える思考を傍らに、食べて寝て、働いて、日常を生きることでいっぱいいっぱいになる。
曖昧な思考を繰り返し乍ら、今日と言う日を終えてゆく。
よろしくお願いいたします。