かぐや姫と、台所
お借りした画像の、我が家感と言ったら。
この状態で娘が友達を連れて来るとちょっと焦る。
連休最後の日は、“かぐや姫の物語”を見た。
姫の“かかさま”となる媼の存在が一番気になるのは、私がもう媼の年齢に近いからか。
何なら私の方が歳上かもしれないが、あんなに老成していない。
連休とか、休みって言うけれど。
シングルマザーだけではなく、殆どの母親に完全に自由な日はない。
料理や洗濯は好きな方だと思う。
人が喜ぶことは嬉しい、大事な役割だとも思う。
だけど、好きなだけではいられない、
義務になっていることに、時々腹が立つ。
あと数年して、娘が巣立っていったら。
今はため息が出ることも、懐かしく寂しくなるのかもしれない。
ただ、そのどちらかしかないのか、
自分の感情すら選べないのかと思うと、腹立たしいのだ。
媼と姫は、翁に付き従い讃岐の山から都に移る。
天から授かった黄金で、大勢の従者にかしずかれ何不自由なく暮らし始める。
翁は、姫に教養と豊かな暮らしを与え、貴公子に身染められることこそ、天からの使命だと説く。
教育係の相模が面白い。
さながらハイジのロッテンマイヤーさん。
媼は屋敷の隅で畑仕事をし、かまどで火を焚く暮らしを“時々”続けている。
姫も、この秘密の場所に逃げ込んで手仕事をして、心を休めている。
こんな、義務ではない家事なら、私もしたい。
姫なら、私の思いを否定するかしら。
“生きていると感じられる”方を選ぶのか。
手習いを始めた頃、姫は教育係の目を盗み、空蝉のように衣を残して笑いながら逃げて行く。
さらに成長してからは、公達や帝に驚き怒り、姿をくらます。
姫の怒りと抵抗、悲しさを、“光る君へ”に重ね、千年先の自分とも重ねて見ていた。
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