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社会的に孤立する人を、少しでも減らすには

川越で無差別殺傷事件が起き、触発されたように埼玉でも刃物を持った男性が捕まり、ネット上でも「無敵の人」という言葉が大きく取り沙汰されていました。
私も事件を知った直後にその名が頭を過り、それに呟いたりしてしまっています。時が経つにつれ、犯人の置かれている境遇なども少しずつ明かされてきていますね。
伯父夫婦と同居で、最近は職に就いていなかったと…
動機などの詳細は不明なままではあれど、やはり「無敵の人」だったのだろうかと想像してしまう部分は否めません。

「無敵の人」という言葉に対して色々という人も見掛けましたが、そこは肝心じゃないなとか、的を射ていないなと思うことが多かったな…と。

正直なところ、私もこの無敵の人予備軍だと言わざるを得ません。
ただ、今はほんの僅かな希望が、出会った、気に掛けてくださった方々の記憶がよく作用しているから、踏みとどまっているだけなのです。
次に何もかも絶望した時、また自殺に走るのか、自暴自棄になってあんな風に多くのものを傷つける道に走ってしまうのか、まだ分かりません。
性別的にも身体能力は男性に劣りますから、やるとしたらきっともっと違う、凄惨な方法になるのではとなんとなく考えていました。どんな形であれ、前触れを感知できない人には避けようがないことになると。

凶行を知った「普通」の人たちは犯人を異常な人だ、気が狂ってしまったんだと思ったかも知れませんが、実際普通に生きている人たちとそこまで違いがあるとは思えません。
人間は元々凶暴な面を持っているし、ネットにいる人は特に、匿名で書き込めるのをいいことにしばしばその攻撃性を顕わにしています。
それが現実のものになるかどうかは、本当に紙一重なのでしょう。
「普通」の人なら守るべきもの、捨てられないものがあって飛び越えられないハードルを、それらを持たない人が何かの切欠を得て簡単に飛び越えてしまう。そういう感じなのかも知れません。

今回の事件に際して様々なネットニュースや記事を見て、こういった事件を起こしてしまった犯人は進学校などに通っていたりしてある程度頭がよかったり、能力があったりするのに途中で挫折し、社会で孤立してしまった人たちも多いのだと知りました。
もし一度や二度躓いても、社会から零れ落ちてしまっても、そこで受け皿になる、受け入れてくれる場所や人、そして新しい活躍の場とつなげられるチャンスがあれば、十二分にやり直せる人たちも少なくなかったのではないかと思います。

けれど実際にはそんな場所も人もなく、死傷者の出るような事件を起こしてしまった。
これって誰のせいなんでしょうか。
勿論、無差別殺人なんてことは人としては言語道断の行為で、裁かれなければならないものです。
でも、犯人がそこまで追い詰められてしまう前に、救いはひとつもなかったのでしょうか?

社会の中で生きている人々やいずれ社会を担うことになる子供たちが標的になってしまったことは本当に悲しく、残念なことです。
犯人だってそうなる前に自分の能力を活かせる場所を見つけられていれば、何もそんな事件を起こすような思いに駆られることもなかったのではないかと、そう思うのです。活躍し得る人材を腐らせてしまっていて、社会としては非常に勿体ないなと。

そういった、道半ばで挫折してしまった、社会から孤立し掛けている人を「なんらかの手放せないものを持つ人」に引き留めさせるのにも、しょぼい喫茶店のような存在は必要なのかも知れません。
勿論、全てのそういった人を救うことは出来ませんし、私自身専門家ではありませんから、助けることが出来るのは全体からすれば僅かでしょう。
それでも、お店に来てくれたことを切欠にしがらみが出来たり、自分が「居てもいい場所」を知ったり、どこか(誰か)につなげて立ち直る手助けくらいは出来るんじゃないかと、そう思うのです。

地道に活動や発信を続けて、躓いた人たちが復帰し易い機運を広めていくことも、出来るのではないかと考えています。
何度か自殺に失敗している自分が言うのもなんですが「誰も死なせない、殺させない社会」を、自分がなんとか出来る小さな範囲だけでも作っていきたいなと、そう思うのです。

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mio(吉田澪)

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アラフォーで会社をクビになってニートになってしまいましたが、えらいてんちょうさんの「しょぼい起業」の理念を知って手許にあるもの・自分で出来ることから生活の糧を得るための活動を始めました。 主に趣味のハンドメイドや、昔取ったライター柄で文筆をします。