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202.音楽 / 変わり目と眠り


昨晩の祝里(のり)ちゃん宅でのBTSナイトからの、今日という今日はこんこんと眠った一日でした。

きのうは祝里ちゃん宅で、夜からレッスン。米津玄師の”レモン”の音楽的な構造をひもといてゆき、身体表現として外にあらわすというとてもむつかしい内容だった。でも、あの曲を、調性や拍、コード進行とメロディーそして歌詞・声などの要素にひとつひとつ分解していってその「成り立ち」といえるエッセンスを抽出し、その上でダンスにしていく、というレッスンの内容そのものがおもしろかった。
情緒的にすばらしいと感じるための、構造そのものの端正な成り立ち。

この拍で、ここに休符があって、このコードがD7であるからという理由で、このタイミングで聞き手であるわたしたち胸は最高に切なくしめつけられてしまう。
音楽は、数学的な正確性でわたしたちの情動と身体を支配しうるものなのだ。


祝里ちゃんははっきりと、一言一句において意味のある言葉を発するひとで、それは解像度みたいなものだ。ものすごく高い解像度の言語を発しているんだけれど、わたしの受発信がまだそこまで発達していないので、すごくざっくりとしか自分の中に入ってきていないことがわかる。

みんな、わかりやすくて自分が理解できて、安心させてくれるものを聞きたがるし、読みたがる気がするけど、わたしはちがう。言っている意味がわからない、理解できないものでないと意味がないと感じる。
意味がわからないし、理解できないし、なんの役にたつのかもわからないのに、なぜか「ここには魂の求めるものがある」という確信が持てるもの。祝里ちゃんそのものがわたしにとってそういう存在だ。

で、レッスンが終わってからがわたし的本番となったBTSナイト。なんてことはない、要は夜に祝里ちゃんとひなつさんと一緒に、祝里ちゃん宅の大画面でBTSを流しまくりながらごはんを食べる会だったのでした。なんか、彼らひとりひとりの魅力について力いっぱい語りながら飲めて幸せだった....。何度もしつこく「ギャア!いま、いまの見た?超かっこよくなかった?死ぬ.....」とかずっと言っているわたしに、ふたりはなまぬるく微笑みながらも付き合ってくれていたのでした。

ほんとうに7人全員が最高でどうしようか。ビルボードでの四年連続の受賞おめでとうございます....。今年は彼らがグラミー賞を受賞したらほんとうに泣いてしまいそうだ。


で、一夜明けた今日は早起きして社会科見学に出かけるかんちゃん(小4息子)にお弁当を作ったら、そういえばオフだったことに気づいて、そのままこんこんと眠る。気づいたら13時を回っていて、4時間も眠っていたことにおどろく。

でも、こういうときはもっともっと一日中眠っていてもいいときだ。なんか、変わり目なんだよな。体調も、流れも。そういうとき、麻酔銃で打たれたみたいな底知れない眠気がやってくる。変な時間に寝ちゃったから、夜に眠れない、とかもなくって、こういうときは夜は夜でちゃんと眠れる。とにかく眠ったほうがいいときってある。
あまりなにも食べず、本も読まずスマホも見ずに。冬眠中のくまみたいに眠るのだ。

夕方にまた目が覚めて「もう今日は大きな露天風呂に入るしかない」という気持ちになったのでそのまま近所にあるスパへ行き、露天風呂に入りながら空を眺める。たっぷり寝て、起きて、露天風呂に入って夕暮れの空を見上げてひと息ついて、やっとこの世にほんとうに戻ってきたような気持ちになった。

あんなに眠れてしまうときは、身体から魂のようなものが離れていって、すごく遠くにいっているような気がする。温泉に入って、生まれてはじめてのアカスリというものまで体験して(すごい体験だった.....羞恥心というエッジがまたぶっ壊れましたw)、ピカピカに生まれ変わったような気分だ。

ていうかアカスリのおかげで、物理的にも心底つるつるピカピカだ。
平安の世界で自分を磨きに磨いて、殿方を待つ夜の準備をしている姫のようだ.....俺はいま準備万端だぜ.....?という妄想をしながら受けていた(いやアレ気をまぎわらせていないととてもじゃないけど平常心でいられない、とんだ羞恥プレイだよ 笑)。


やっぱり月に一日くらいは、近所でもいいので温泉に入れる生活がしたいなあ。



ライティング・ライフ・プロジェクト、第4期は満席となりました。関心を寄せてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
第5期は、今月メルマガにて募集いたします。(そろそろです...)*



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