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012.ケーキのかけらでわかる、世界一簡単なワンネス考

きのう、半分本気と半分本気で(つまりガチ本気で)「スキ」って押せよコンニャロ〜!って書いたら、たぶん当社比2倍くらいの「スキ」をいただきました。ありがとうございますありがとうございます。

わたしの中では確固たる矜恃というか、ある種のアティテュードのようなものをもってこの場をクリエイトしているので、なんかときどきぽろっといただくメッセージとかご感想に、そういうのキャッチしてくれてる方もいて。ほんとに嬉しいです。キスやハグはできないですけど(この騒動が、というよりちょっとテクニックに自信がなくて)、明日もわたしがぱたぱたとキーボードをたたくことができて、画面の向こうでだれかがこれを読んでいる。

という、なにげない日常こそが、良きかなって感じですよ。なんでもない日おめでとう。

で、今日はなんとなくワンネス。というか、全体のための個ってどんな感じなんだろう?と考えていて。あ、こんな感じになると、すごく軽やかなんだろうな、と思ったことがあった。

個は個であり、全体とはいっさい関係がない。っていうスタンスだと、喜びが限定されてしまうのでつまらないと思ったの。

大きなケーキがあったとして、それを切り分けるよね。で、ちょっと大きめなのと、ちょっと小さめのケーキの1ピースになったとしてさ、子どもたちが「わーい」っつって大きなケーキを持っていったとして、ぜんぜんイヤじゃないよね。

おお、たくさん食べな!って思うじゃん?いや、めっちゃお腹が空いてたりとか、こっそり独り占めしようとしてたやつじゃなくてよ。普通のよ?

その特別に大きなひとかけらが、子どもたちのほくほく顔とともに彼らのお腹に入っていくのって、なんか嬉しい。奪われた!って思わないし、アイツのほうが大きいのを取りやがって。って思わない。いつもそう....わたしってこういう目に合うんだよね……とか、ひねた考えにもならない。

子どもが自分より大きいケーキを食べたってぜんぜんかまわないし、むしろ嬉しい。と感じるのは、わたしが子どもと分離されていないからなんだと思う。

子どもの成長が嬉しいのも、子どもが取り分多いのが嬉しいのも、彼らとわたしがひとつだから。身体は別々でも、意識の中でひとつ。


なのに、わたしは他のことだと「奪われた」「ひどい」「わたしの方が小さい、少ない」「自分の分が減ってしまう」と思っちゃう。

同業者とか、似たようなことしてるボディーワーカー/ ナレッジワーカーの人たちがいっぱい稼いでいたり、お客さんとかの数が多いっぽく見えると、とたんに損したような気になったりする。

これって、当たり前のようですごく不思議だなーって思ってて。いや、人間だから嫉妬や妬みもあるよ。あらない?あるよね?

でも、特定のひとに抱くじゃん。で、抱かない人には抱かないわけだよ(例えば子どもとか)。

だから、ワンネスとかちょっと意味わかんないっす。ってなるけど、要するに、なんのことはない。この”子どもとわたしの意識はひとつ”という感覚を拡大していけばいいんだなーと思った。

みんな、大きなケーキ食べて、美味しくて、嬉しかったら、それってわたしにとってもいいことじゃん!というのが、簡易版ワンネスかと。

実は、いまコーチングしてるクライアントさんたちにはもう、とにかくnote推ししてる。それで、実際にいい感じでスタートしてくれてたりするのを目の当たりにして、めちゃ嬉しい。みんなに分けてあげたい大きなケーキのかけらが、いまのわたしにとってはnoteという媒体であり、「書く」という行為なので、それを一緒に「美味しいね、楽しいね」って言ってもらえるのが、わたしにとってのワンネスかもしれない。

そしてそんなひとに対して、大きなケーキは、無限に供給されます。だから奪うも減るも損するもない。どんどん分けてこー。おー。

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