平成墓嵐解散ライブ!?

平成31年7月16日新宿ロフトにてワンマン解散ライブという公演を行いました。

平成30年5月2日阿佐ヶ谷ロフトAにてデビューをした墓嵐ですが、。当初GWの幻として立ち上げた企画。これをここまで大きく、そしてなにより続けてきたのは私の意地でしかなかった。正直、全然無理だったし、ぎりぎり成立させているようにみせかけてきた、それでしかないと思ってたんだけど、たぶん、地下アイドルなんて、どこもそうらしいことに気づけたのも大きな収穫だったかな、

立ち上げ当初はGWのうちは。そして1か月だけやってみよう、そこから3か月で地下アイドルグループが崩壊するまでのを凝縮してやってみよう、という気持ちでやっていたんだけれど、「平成」がデビューからちょうど一年後の平成31年4月30日で終わる、ということが決まり、平成最後の一年間、平成が生んだ地下アイドルというカルチャーになにか貢献して、総括したいと考えて活動してきたんだよね、続けること自体は簡単だった。ただ、人間関係、そしてモチベーション、サークルという形でだれもが目指すものも見ているものも全然違って向上心があった。これらの意識の摺合せみたいなものが本当に難しかったんだと思う。ひとりひとりが。

私自身も生活はガラリと変わったしそれはメンバーもみんなそうだと思う。アイドルゾンビになるだけであっただろう女の子たちがアイドルのやり方を覚えて、やりたいことを口に出せるようになった。これはとても大きな成長で私は才能があると感じた女の子たちの魅力を引き出し伝えたいと思っていたのでこれは叶った。「女の子の魅力を伝えたい」というのは2016年?くらいから始めた主催トークイベント夕月夜会も同じ気持ちで始めたのでやりたいことはおんなじで、形が変わっただけだなと思っています。ただ、人数も増えたのでこればっかりは目が行き届かなくてメンバーには申し訳なかったな、とは思うけれど、私からの評価をやりがいにしてしまうようではアイドルにもなれないよなあという思いもあったりする。みんなが、自分のなりたい姿を目指しつつ、そこでは表現できない別の手法とかを平成墓嵐でやってみる機会になれればいいんじゃないのかなって思ってます。

結局解散したのかしてないのか

「解散ライブ」というのはしなくちゃいけなかった、これに理由なんてなくて、明確なものは何にもないんだけど、一つだけいいえるのは「平成墓嵐は解散しなくちゃいけない」と、メンバー全員が思っていた。

解散ライブをやることだけが、平成墓嵐の目標だったということ。1年間という期限があったからこそ、なんにも出し惜しみせずに全力でライブにぶつかっていくことができた。これはどこのアイドルにもなかったんじゃないのかなあ。解散が悲しいことじゃない。っていうこと。そして、解散とはなんなのか、って私はまだ考えてるんだよね。

ここから先は答え合わせになっちゃうのでみんなには、まだ秘密。これからもたくさん平成墓嵐を通して私はメッセージや問題提起をしていくのでそれをくみ取って考えてほしいし、そういう話をチェキ会とかで私とも語り合おうよ!!

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