umarete

生まれてから

なにひとつ不自由なくめいいっぱい愛され構われ、きょうだいとも仲良く其のきょうだいの中でも一番成績も良く、すでに友人は男の子しかおらず、女の子とはうまく馴染めず、教育方針としてジブリ、ディズニー、遊戯王、クレヨンしんちゃん、バラエティ番組などを禁止され育ち、休み時間は図書室で本を読むような小学生だった。

勉強机は禁止され、どこぞのおしゃれカフェかどこぞのBARか?ってくらい背の高いカウンターで予習復習なんかをしてすごしていた。

流行のお洋服は買ってもらえたし、中学では担任にもひとりだけ佇まいが違うとかいわれたりそれなりにギャルもどきみたいなメイクをしてプリクラとか撮ってた。思い出は、無い。家でエレキベース弾いてたことは覚えてる。

高校ではカースト最上位の男子とだけ仲が良くて彼氏とバンドなんかをやってたし慶応の男子大学生とかとライブとかをやっていたし、その辺からネットアイドルを初めてニコニコ生放送で配信なんかして、写真作品の制作なんかをやってたかなー。

大学は映画を専攻していて映像編集と脚本と衣装メイクなんかの勉強をしてたかな、アートとファッションの座学と、映画つくるのの著作権だかなんだかなんかそういうお勉強とピンホールカメラとか作って写真の現像とか。全く楽しくなかったし、大学で得た人間関係もほとんどない。

そんな大学在学中に演出の授業、いわゆる映画監督になるための実践授業であまりにもプレイヤーとしての学科の生徒がど下手くそで私の方が100億倍良かったのでまたプレイヤーを志したのでした。

もともと3歳くらいのときから思考回路が変わってないんですけど、だからあの頃は〜とかいうのがなくて、いわゆる物心?生まれたときからあったのね、

4歳くらいでもうずっと自分ひとりの一回きりの人生って無理だな、私には私ひとり一回きりなんて耐えられない、役者になりたい、と思ってたんですよね。

歌手になりたい、とか。

ただ3〜4歳なりに「将来女優さんになりたいの!」なんて無垢に発言できるほどばかじゃなかったのがネック。

なんにせよ、常に違和感を覚えて生きていたので本や映画や漫画にはもう夢中だった。今もだけど。アニメも。とにかく娯楽というビジネスを紐解きたかった。その答え探しやどうしようもなくこころゆさぶられてしまう本物を探す旅は大学入ってすぐに気づいた。どこにも本物なんてなかったんだって。

そこからの私は自分の創作活動に仲間を集めて、プレイヤーになるにはアイドルにまぎれるのが手っ撮り早く、人脈をつくるにはもってこいだと思い、アイドルを自称してインターネットに存在を始めた。

すぐにラジオにゲスト出演させてもらったりモデルとして紙媒体にもどこぞの会社のネット媒体にも載ったし、一番好きなインディーズ映画の監督ともお仕事ができた。

一番好きな会社にも大学で培った現場スキルとセンスと努力だけで勤めることができた。つまりは大学生にして就職先第一志望で自分の学歴では到底入れない会社で仕事ができていて、事務所からバンドセットでシンガーデビューしていて、ネットアイドルとして存在し、デザフェスに写真作品を出して飲食店でバイトもしてデザイン、歌手、映像クリエイター、youtuber,飲食店アルバイト、ライブカメラマン、アイドルトークイベントのオーガナイザーなどをやっていたのかよ、怖

そこからライブアイドルやらミスiDなんかを通してアイドル運営になるんですけれども。

夕月未終は親とかいねえしうまい棒も食べたこと無いし終電を逃しがちだけどもまあ、なんか存在してきたわけだけども、とりまく環境とかは変えたいと常日頃考えてたかな、私はなぜかいろんなことをすべて自分でやれてきたけれど、ポテンシャルが高いのに自ら活動を進めていける女の子って少なかったみたいで不安定で爆発しそうな女の子たちの魅力を世に広めたいと思ってアイドル運営とかをやっているけれど。アイドルがもっとアイドルになれるアイドルとして存在してんじゃねえかなって。だとしたら、私はアイドルにとってのヒーローじゃん。

目標とかナンも無いしわっかんないけど、もう少しくらいヒーローごっこ、やってもいいよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?