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「自分の強みをいかす」そんな生き方をしてみませんか?

ここは、島根県最西端の町、津和野町。
人口約7200人のこの町では、教育をはじめ、おもしろい動きがいたる所で起きています。

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(島根県津和野町の風景)

「まち全体が学びの場」
この言葉をきいて、何を思い浮かべましたか?
この言葉は、津和野町の掲げる「0歳児からのひとづくりプログラム」から生まれた言葉です。
「まち全体が学びの場」とは、いったいどのような場なのでしょうか?
学ぶことは、学校の中での限られた空間だけで行うものでしょうか?

さて、津和野町には、様々な立場で活動されている方が大勢おられます。
今回は、津和野町に唯一ある高校、津和野高等学校高校魅力化コーディネーターの牛木力さん(以下「うっしー」)、山本竜也さん(以下「やまたつ」)。町営英語塾HAN-KOHスタッフの玉木愛実さん(以下「たまちゃん」)の3名から今の仕事についた経緯や、やりがいなどを伺いました。
「高校魅力化コーディネーター」も、「町営英語塾HAN-KOH」も聞きなじみのない言葉だと思います。
この仕事の魅力を3人の言葉から感じ取ってください。
そして、少しでも興味の湧いた方がおられましたら、ぜひ仲間になってください!
「We want You!」

津和野高校は、特色のある高校です。多くの魅力が溢れているのですが、魅力の一つに「高校魅力化コーディネーター」の存在があります。
津和野高校については、以下のHPをご覧ください。

同時に、町営英語塾HAN-KOHの果たしてきた役割も見逃せません。HAN-KOHについては、こちらのHPをご覧ください。

それではさっそく!
対談を始めましょう!

【石倉】
 やまたつは、6年前にHAN-KOHのスタッフとして入り、今は高校魅力化コーディネーターという仕事をしていますが、そのキャリアチェンジは、なぜ生まれたのですか?

【やまたつ】
 自分は塾の立ち上げから関わってきました。当時生徒は座ってくれないし、英語もはまっている感じもしないし。なんで英語って決めてスタートしたんだろうって思う時期もあって。
そんな時、当時の塾長に、
「もっと得意なことを活かしてやってみたら」と言われて、小論文の講座や、歴史の講座をやり始めたら、生徒もやる気になってくれて。
 自分の得意なこと活かせば刺さる子もいるんだなぁって思ったのがまず始まりでした。
 その後も何人か「大学行きたいんです」と相談してくれたので、その伴走をしていったのが大きなきっかけになりました。
 僕もやっぱり、個人が成長するとか、やりたいことを見つけて実現するっていうことには、すごく共感するし、その仕組みを作りたい。
 もっと多くの人に届けるためにどうするかという問題意識や、個別化された教育がどう届くのかとか、地域の中でできるのかっていう、そういうことに挑戦していきたい気持ちはすごく強いです。
 そして、僕が津和野に来て4年目の時に牛木さんが来ました。
 今までは、HAN-KOHはHAN-KOHで閉じてやっていたのですが。牛木さんが、先生と一緒に「総合的な学習の時間」の授業を本気で作るきっかけをくれて。古典の先生と図書館の司書さんとも一緒に歴史の授業を作って、まぁ楽しかったわけ!で、しかも今まで接しなかった子達も授業だから関われて。学校に入っていくと、HAN-KOHに来る生徒以外とも関われるんだなぁとすごく思いました。
 その生徒たちがHAN-KOHにも来るようになるわけですよ。ちょっとずつ。あぁこういう影響の及ぼし方っていうのもあるんだなぁということを知りました。
 あと学校の先生って、自分が壁を作っていただけで、対話的にやれば一緒に授業を作れるんだと思いました。そしたらどんどんやればいいじゃんって思って。
 あともう一つは、その振り返りの飲み会がめっちゃ楽しかった。先生達が、「今あなたのことを同僚だと思ってるから学校でも一緒にやろうよ!」って言ってくれて。それでコーディネーターやったらおもしろいじゃんって思ったのが経緯です。
 

【石倉】
 なるほど!もう、いろいろな縁やきっかけが重なって今にいたるわけですね。では、やまたつの運命を変えた一人でもあるうっしーは、なぜ津和野町に来たのですか?

【うっしー】
 4年前に津和野に来るまで高校魅力化コーディネーターなんて全然知らなかったし、島根県がどういう取組みをしているのかも分かっていなかった。でも、教員じゃないのに学校の中で、先生と一緒に学びのプログラムが作れる。探究のプログラムが作れる。地域とつながってそれができるというのを聞いて来ました。来た瞬間から、こんなところでいきなり実践できることにびっくりしたし大満足でしたね。ハイブリッドな立場ができたから。
 あと、僕は「Y-PLAN」というプロジェクト型のコンテンツが最初から頭の中にインストールされていたので、今津和野高校で「T-PLAN」ができている。
 それと僕は、結構マッピング思考なんだと思う。ここでどういう風に関わったらいいのか、各セクターがどうなっているか、そこにどういう人がいるのかとか一覧化するのが楽しかった。コーディネーターは本当に多様なセクターに関わって仕事ができる。それは給料の問題とかじゃなく、そのことをしに来たから大満足。自分のやりたかったこととか、ミッションにすごくつながっています。

Y-PLAN…カリフォルニア州バークレーで誕生した。Center for Cities and Schools(都市及び学校教育研究センター)が提供するプロジェクト型教育プログラム。

 

【石倉】
 うっしーは、最初から自分の「やりたい」や「強み」があって、それを活かせる土壌が津和野町にあったって言うことなんですね。
ところで、たまちゃんは、どういうことがきっかけで津和野に?

【たまちゃん】
 私はもともと子どものファッションやライフスタイル系の雑誌の編集者をしていて。そこでキャリアを積むと本気で考えていました。日常的に3歳から7歳くらいまでの子どもたちとふれあう日々を送っていました。
 撮影の時、スタジオ入りしたキッズモデルの中には、お母さんの後ろにずっと隠れていた子も多くいました。でも、私の関わり方一つで、その後私に指示を仰いだり、遊びを求めたりとか、カメラの前ですごく生き生きし始める様子を見て。子どもとどう接したら、その子の自分らしさを発揮できるんだろうかとか、子どもの成長過程で何が影響するものなんだろう。ということにすごく興味が湧いてきた。
 子どもの成長する過程をみるのが、自分にとって興味のあるものだと気付いて、はじめて教育系のイベントに行ってみました。そのときに教育のことをもう少し知りたいと思って。単純な発想ですが、学校のそばで働けるところないかなぁ。関われないかなぁと思って、検索して出てきたのが津和野高校の取組みだったんですよね。本当にたまたま検索のトップに出てきただけ。
 津和野に来る必要もなかったし、何ができるか分からなかったけどなぜか来てみたいと思った。自分のキャリアの中でここで生活を送ることが、何か新しい世界が広がるって感じて、思い切って来てみました。

【石倉】
 たまちゃんは、うっしーとは反対で、何ができるか分からなかったけれど、子どもの成長をみたい、関わりたいという思いで津和野に来たんですね。

【うっしー】
 それぞれ来た理由はたくさんあるだろうなって。けれどそれで来てから、1年以内かもしれないし何年後かもしれないけど。またもう1回、自分のミッションとか使命とかを再定義する機会があって。それもまた模索しながらやることでもう一回最初の原点に戻って。あ、このために来たんだよなって戻ってくるのかなぁと思いました。

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(左から、やまたつ、うっしー、たまちゃん)

【石倉】
 
たまちゃんは、今はHAN-KOHの中等部のスタッフとして活動されていますが、HAN-KOH中等部のやりがいなど何かありますか?

【たまちゃん】
 HAN-KOHで中学生に関わるのは、基礎学力を伸ばすっていうのと、学力差がある中で、その子にあった学びっていうのを提供するため。一人ひとりを見ることがHAN-KOHでは求められるし、それができるのがHAN-KOHという空間だと思うんですよ。
 また、HAN-KOHだけじゃなくて高校との関わり、教育委員会との関り、中学校の先生とも関われる。
 そう、HAN-KOHとして一番大きいのは中学校の授業に入れるっていうこと。日原、津和野中学校の英語の授業に参加して、子どもたちの学習のサポートや補助をさせてもらっています。学校での生徒の様子を知った上で、HAN-KOHでじゃあ何をしよう?と考えられる。ここが授業でできてなかったからHAN-KOHで重点的にやろう。学校で元気がなかったからHAN-KOHで話を聞いてみようとか、そういった滑らかなラインが作れているのが今のHAN-KOHの中等部。なおかつHAN-KOHで頑張っている様子をこちらから学校の先生に伝えることもできる。それによっては喜んでくれたりとか一緒に考えてくれたりとか本当にシームレスな関係性が学校と作れるのが町営塾としてのHAN-KOHの魅力であり、やりがいだなって思ってます。
 わたしは地元の子を見ている。将来的にツコウ(津和野高校)に入るかもしれない子。でも別にツコウに入らなくてもいいんですよ。だけど中学校の間にできることを広げたいし、大人との出会いもおもしろいなと感じてもらって、自分の進学先に行ってもらいたい。津和野町で挑戦できることはたくさんあるし、進学後も町の地域活動を通して、一緒に学び続けたいと思っています。ツコウにいった子に関しては、また違う関わり方ができるから、そこからの広がりも楽しみ。
 私は、HAN-KOHに籍を置いて津和野町内の中学生を見ながらも、高校の総合的な探究の時間の伴走もさせてもらっています。HAN-KOHにいるだけで高校生から、「こういうことやってみたいんです」って相談を受けたり、そういうことがどんどん増えていっていて。高校では、本当にいろんなことに関わらせてもらっています。
 高校生自身も「玉木さんって何者なの?」って言ってくるくらい。高校生は、わたしの強みをなんとなく分かってくれている。これなら玉木さんに聞くのがいいんじゃないかとか。だから声をかけてくれる。
 HAN-KOHで中高生と触れ合っているとき、年々成長する様子を見ると喜びを感じる。東京で働いていた時に感じた楽しさっていうのを今ここでも肌で感じることができています。
 あと、中高生が地域に出ていろんな大人と会って、いろんな活動をするっていうのは、その子にとって居場所になるし、経験にもなる。今は、ただ楽しいだけでいいかもしれないけど、将来大人になったときに「ここでこういうことしてきたから今の自分があるんだ」と、振り返る時期が将来的にあるかもしれないなって思います。

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(HAN-KOH中等部の授業の様子)

【石倉】
 より、一人ひとりのことを見ることができる立場として関わる。それは、たまちゃんが雑誌の編集者として子どもと関わっていたときにしていたこととつながっているんですね。HAN-KOHのスタッフとしての関りは、個とじっくり向き合える。だからこそできることがたくさんあるのでしょうね。

高校の方はどうですか?取組みも始まって7年目になって、変化を感じることや、こういう人に今後来てほしいみたいなところはありますか?

【うっしー】
 高校生の話で言うと、ぼくが来た時はわりと地域活動においてスターターの子達がいて、その子達がいろんなことを始めていた状態でした。でも草分けの存在なので居心地の悪い思いをしてる子もいるだろうなって。それでぼくの役割はこの子達が変わり者じゃないっていうのを作っていかなきゃいけないんだって思った。
 高校生の中に、なんか地域のことやってる子達が数いなきゃいけないなって思って。地元の子達にも意識的に声をかけていくことをしていくうちに、「こういうことやりたい」って子達が、全然変わり者じゃなく、ぱっと仲間が作れる環境が少しできてきたかなぁっていうのがあるかな。 
 津和野高校のコーディネーターの話なんだけど、ほんとにまったく隙間がないところに隙間を作ってくことがやりたいって使命感を持つ人は、津和野じゃないほうがいいのかもしれないなと思う。
 僕が来た段階でも、ある程度土壌は作られていました。それこそ、頑張ってくれた前任のコーディネーターなんかもいて。その中で、僕のようにスペシャリスト的なふるまいや存在が許される段階にすでにあった。
  で、かつ最初から「教員と一緒に総合的な学習(探究)の授業プログラムを作ってください」というのがミッションとしてあった。教員と一緒にっていうことだったけれど、その中でも教員は忙しそうにしてるし、自分だったらどうやって関わるか悩んで。その結果、プログラム作りを一度任せてもらう方がまずは、関わりやすいなって思った。でも自分だけでやるのは違うので。やっぱりそこにフレシキブルな目線を持ってる人が入るってのが絶対大事なことだと思い、一緒に伴走してくれそうな先生にお願いしました。HAN-KOHのそれぞれのスタッフも当事者意識をすごい持っててくれていました。頼んだことに対しても、それを面白がってくれ、一緒にいろいろ取り組んできました。
 そうしていくうちに、先生との協働が当たり前になってきました。プロジェクト型の総合的な学習(探究)の時間をまずは、一年通してみたからこそ、先生達との対話も深まり、翌年からも活発化している感じがします。
 高校生に関しては、町で活動することが増え、役場とか地域の大人の元へ縦横無尽に行くようになったのもその頃からだったなぁと。

【やまたつ】
 突然地域の人に高校生が突撃するとか思ってもなかった。突撃してちゃんと郷土料理の話聞いたりしてすごいなぁと思う。われわれの許可なしだからさ。いっさい。すごいよ。
 課題自体も本当にアップデートされてるし、どんどん広がってるし、最初の頃とは、違うスキルが求められる次元に入ったなと思ってます。
 学びの土壌が今できつつあるからだし、どんどん高校生が手をあげるようになってきたからだし、大人も変わってきたから。
 だからこれから一緒にやってくれる人には、その人に合わせて何をお願いするかっていうのは柔軟に変化させることができると思う。一緒に自分の強みを活かしてやれることを見つけていける。っていうのはすごい僕ポイントだと思ってます。
 なんかこう自然体でなめらかっていうのもあったんだけど、自然体でやりたいことが増えてくみたいなことの価値が広がっていくことが日本の課題のド直球の所に行ってると思って。
 なんでかっていうとやっぱりその「本気で手あげしようよ!」とか「熱くなろうよ!」みたいなのだけじゃ、やっぱり変わらない、変えられないことがあるので。
 津和野町が今まで大事にしてきた、「丁寧にゆっくり自然体にやる」という環境を作るのに興味がある人は本当に来てほしいし、そういう広がりっていうのを目指していきたいなと思っています。
 とりあえず来てほしいな。その人にあわせてミッションもなんとか工夫できると思うので。

 うっしー、やまたつ、たまちゃん三人の対談は30分にも及びました。
津和野に来た経緯から、活動をする中で感じる思い。これまで多くの人が大切に関わって作ってきた町の風土。学びの土壌。
 高校から始まったこの流れは、少しずつまち全体に広がってきています。もちろん課題の方が、まだまだ多いです。
 でも、様々な背景をもち、課題感を持つ多様な人が混ざり合って対話を重ねていける土壌は確実に育っています。

自分の強みは必ずあるし、それをいかせる。
自分の強みに気付けなくても、津和野町では、誰かが見つけてくれる。

ゆっくり丁寧に自然体に。
津和野町で働く価値を見つけに来ませんか? 

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最後におまけ。
この長い記事を最後まで読んでくださりありがとうございました。
上の写真は、住田桃子さん(津和野町教育魅力化コーディネーター兼グラフィックレコーダー)の「自称」第1弟子の中村純二さん(津和野町統括コーディネーター)が3人の対談をグラレコしてくれました!

 

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