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セミの鳴き声だけが夏を知らせる

セミの鳴き声を聴いてようやく「あぁ、今は夏なんだ」と思う。

ほとんど家にこもっているから、猛暑と言われてもピンとこない。
外が暑いのかさえもよくわからない。
ただ、セミの泣き声だけが、虚しく夏を主張する。

夏らしいことを何ひとつしなくても
夏はいつもの通りやってきて
いつもの通り過ぎていく。


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「夏になれば、気温や湿気などのウィルスに不利な条件が揃うので、コロナも落ち着くのでは?」


春に囁かれてた楽観的な予測はあっさりはずれ、ワクチンや薬がない現状においては、人が活動した分だけそれに等しく感染は拡大している。

新型コロナウィルスが流行し始めた2020年春。
あの頃は感染者数の増減を伝えるニュースを関心を持って見守っていたけど、最近は興味が薄れつつある。


なぜなら「ワクチンや薬が一般に出回るまではこの状態が続くだろう」と随分前に諦めたから。そして巣ごもりをデフォルトにした生活に切り替え、感染対策含めコロナがある前提の日々を過ごしている。
つまり、もうこれ以上コロナに対してできることがないのだ。

なので関心が薄れる。
要はこの生活が日常化したということなのだと思う。


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さて、いつもと違う夏だけど、今では日常になった在宅生活。
それはそれで悪くないと感じている自分がいる。


このコロナ下による「巣ごもり生活」が長い人生の中のごくひと時であり、特殊な時間だとするならば、それを楽しむ方が得策だ。

たとえば、こんなにも映画やドラマ鑑賞に時間を使い、どっぷりハマれるのも、外出や人と会う時間が激減したからで、ある意味この夏だからこそできること。
後から振り返れば、今はすごく贅沢な時間を過ごしているのかもしれない。

そして贅沢ついでにもうひとつ。
もっと考える時間を作りたいと思っている。
巣ごもりの夏だからこその、自分の「未来」について考える時間。


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年を経るごとに時間の貴重さを思い知る。
無限にあるように感じていた時間は刻一刻と消費されている。
「未来は無限ではない」という当たり前の事実に向き合わざるを得ない。



健康に恵まれ、運良くあと50年生きたとして、約18,250日。
40年なら約14,600日。30年なら約10,950日。

日にちに換算すると、思っていたほど時間がないように思える。


ところで先日、100日note連続投稿を無事終え、目標を100日単位で立て実行することは得るものが多いと感じた。なので今後は「100日縛り」で目標を設定してみようと思い立った。


それに習い100日毎に目標を立てた場合、
50年なら182回、40年なら146回、そして30年なら109回。

休憩一切なしで切れ目なく何かを達成しようとしても、100日単位でのチャレンジはもうこれしかできないということ。

そう思うとちょっと怖くなった。

この数を多いと思う人もいるかもしれない。
30年なら100回超、50年なら200弱あるのだから。


でも私は

「もうそれしかないんだ」


そう思った。
むしろ焦っていると言ってもいい。

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一方で、焦っていても、いや焦っているからこそ、未来のことを考えると胸がはずむ。なぜなら未来には少なからず希望があるものだから。

そして、漠然と思う未来より、意識して見据える未来こそに意味がある。そうすることで未来に輪郭ができるし、今何をすべきかが見えてくる。

未来を意識すること。
時間を意識すること。

それが結果として望む未来を作る。つまり希望につながる(はず)。

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2020 セミの声でしか夏を感じない夏。
いつもと違う夏。


でも、悪くない夏。
だと思う。


写真: 夏休み

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