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私の履歴書(同人編)

 こんにちわ。じえいぐみんです。コミックマーケット100が近付いておりますが皆さん如何お過ごしでしょうか。
 本日は予告通り、自己紹介つづきとして、これまでの同人活動について紹介していきたいと思います。

今の創作手法に至るまでの経緯

 私は現状、主に二次創作を展開しております。もう12年にもなる、ストライクウィッチーズ(ワールドウィッチーズシリーズ)の二次創作です。これだけなら他の同人作家と同じかもしれません。
 現在主に行っている創作手法は「キャラに似せてドールを作成し、いろいろなところに連れて行って撮影する、そして写真集にまとめる」と、いうものですね。いわゆるドール写真集というものです。同じ作品の二次創作では、私が唯一この手法を手掛けています。
 だが、この創作手法は最初からそうだったわけではないですし、必ずしも望んで選んだものではありませんでした。
 その理由と経緯を語っていきたいと思います。

ドール写真集以前

最初の同人誌「地平線上の陽光へ」の書影。青橋雨さん、その節はありがとうございました

 私はずっと、文章で表現したくて、特に小説を書きたくて同人サークルを始めました。実際、1冊小説本も出してはいます。
 二次創作小説の題材としては、戦闘だったり、日常だったり、百合だったり、R-18だったり、いろいろなものがあるとは思います。その中でも私が題材として選んだのは「ウィッチと同時代の文化人(作家、芸術家、科学者、技術者……)とが出会う物語」と「オリジナルウィッチ(世界観をワールドウィッチーズシリーズと共有する、創作者独自のキャラクター)」の2つでした。
 今ではやっていないわけですが、前者は自分の思っていた形とは若干違いましたが(エディット・ピアフがモデルのキャラが出てくるのならジャン・コクトーも出てくるものかと思っていました)、ルミナスウィッチーズという形で公式でも実現したわけで、それはそれで幸せに思います。
 そして後者の方はといいますと、もう自分主体ではやりたくないな、と思います。やはり自分が、設定に凝りすぎてしまうからでしょうか。それに加えて、一度書くことを放棄してしまったから、というのもあります。

ある日、突然小説が書けなくなった

 私は就活に失敗したまま、2011年に大学を卒業しました。そして半年のインターンシップと半年のアルバイトを経て、翌年にようやく、神楽坂にある小さな業界向けメディアに記者として、正社員で就職しました。仕事として書くということをできるようになったのだから、それは望み通りだったと思います。当初は。
 しかし、就職直後から、目に見えて読書量は減っていきました。特に小説など、フィクションを読まなくなりました。アニメも視聴数が減りました。それはやはり、記事という「ファクト」のことで頭がいっぱいなのに、フィクションまで頭が回らないという精神状態だったのではないかと思います。そうこうしているうちに、職場で上司と致命的に衝突することがあったり、また試用期間で放り出されたりで、3年間で3回、転職を繰り返しました。
 さて、3社目でようやく気持ちにもゆとりができ、2015年の冬コミ(C89)から同人サークルを始めました。そこから順調に、進むはずでした。
 2017年2月。当時所属していたチームのサバイバルゲームに向かう途中に癇癪エピソードを起こして忘我状態になり無謀運転、結局カーブを曲がりきれず自損事故を起こす、ということがありました。このことをきっかけに精神科を受診したところ、ADHDと診断され、障害者認定を受け、投薬治療が始まりました。チームからも、結局脱退する事になりました。
 そんな状況でもなおも1年、なんとかオリジナルウィッチで小説を出そう、と頑張り続けたのですが、ついにキャラクターがあっても、サークルの他のメンバーが頑張っていても、ついに1文も書けなくなってしまいました。
 そんなわけで、このプロジェクトは放棄することになったわけです。

ドールとの出会い

最初の1/3ドール。まあまさかここまでハマるとは

 現在の表現手法に至る前から(2013年頃?)、1/6ドール、例えばアゾンのピュアニーモなどは何人かお迎えしていましたが、それほどのめり込んだわけではありませんでした。きっかけは、やはり2017年2月の事故からのADHD発覚だったように思えます。
 この時、サバゲチームを先に脱退していた友人が、自分を憐れんでプレゼントしてくれたのがオビツ50のドール(ヘッドはパラボックス)でした。その時は飾っておくだけで、特に外出に連れて行ったり、本格的に写真を撮る、ましてや表現の手段とするということは考え付きもしませんでした。ただ、コピ本のドール写真集をいくつか持っていたところからすると、すでにある程度興味があったのではないかと思います。
 小説を続けていくことを断念した時、その写真集のことを不意に思い出しました。なにか、紀行エッセイのような作品ができないだろうか――時折、私はそのことを「逃げ」と表現するときがあります。自分が表現したいものを表現できなくなったのに、なぜそこまで表現することに固執したのだろうか?今もよくわかりません。

どういうコンセプトを貫いてきたか

個人誌では最新刊の「ウィッチと散歩 No.006」から、エッセイの例

 ここでは専門的な話題(光がどうのとか、ポージングがどうのとか)は全くしません。というか、できません。わかんないもの。

1,文章なしに写真を掲載しない

 あくまで「紀行フォトエッセイ」だと考えています。だからそれぞれの行き先を取り上げた「記事」の巻頭には必ず1ページのその土地にまつわるよしなしごと、その取材に行ったときのどうでもいい話、撮影していく中で降ってきた妄言を取り上げています。最近は1ページでは足りなくなりそうなときがありますが、なんとか食い止めているようです。

2,実用的な話はエッセンス程度

 同様に、ガイドブックになってはいけないのです。どこが絶景ポイントだ、どこの何々が美味しかった、という話で一杯になってしまっては、作る上でも撮影に集中できません。あくまで、撮って歩いている中で、感じたことや体験したことで話を構成していくことを基本としています。

3,関東周辺で日帰りで行ける場所中心

 例外もあります(岐阜県高山とか、福島県大内宿とか)。ただ、関東周辺で(できれば在来線で)日帰り、にこだわっている理由は、過去のツイートを辿ってみたらありました。

大それた夢ではあるんだけど、他の方の美麗なドール写真を見て「自分もこういう野外撮影したい……でも綺麗な服も持ってないしこんな遠くまで行くお金も時間もないし……」ってなってる人が「ウィッチと散歩」を見てそんなことないな、って思ってくれる事が割と自分の目標です。
午前8:30 · 2019年6月7日·Twitter Web App

https://twitter.com/jieigumin/status/1136777423641382912

 さて、この目標が達成できているか、ということについては全く謎です。

4,身構えない、大袈裟な撮影機材を使わない

 初期にはスタンドすら使いませんでした(流石にこれは不便すぎたので、現在では「あそ棒」というなかなか便利で隠しやすいつっかえ棒を使っています)。今でも三脚を使ったことは全くありません。大体、街歩きをしながらのスナップ撮影に三脚を使いますか?
 身構えない、ということに関しては以下の通りです。

実際「旅」ってのはなんか大仰でねえ。なんか行ったまま満足しなけりゃ戻って来ちゃいけないニュアンスあってねえ。自分はたとえ行き先が近所や都内でも、アイスランドやパタゴニアでも気分次第で「散歩」だと思ってねえ。
午後5:52 · 2018年6月16日·on TheWorld

https://twitter.com/jieigumin/status/1007908843215417344

 なお本人はアイスランドやパタゴニアに行ったことは一切ありません。

5,「都市だって絶景だ」という考え

 このことについてはまだ頭の中でうまくまとまっていませんが、一種の都市論的なものがあるのではと思います。とりあえず建前では

絶景は標高2500メートル登らないとないものだ、とは思わないようにしたい。 都市だって絶景じゃないのか?
午後8:06 · 2019年8月21日·Twitter Web App

https://twitter.com/jieigumin/status/1164131655906258944

 と言っていますが、本音は

私が写真を撮る上で「アンチ絶景」なのは、建前上は「どこでも撮れる何でもないものに味を感じたい」って事なんだけれど、本音は「絶景を撮りに行けない、撮れても撮り逃すのが悔しいのでアンチになってる」なんでしょうね。
午前8:34 · 2021年3月31日·Twitter Web App

https://twitter.com/jieigumin/status/1377041531891146753

 ということのようですね。理論武装が足りないようです。ですが、原生林よりも里山に、リゾートの海よりも港湾に、そしてなによりも猥雑な街並みに惹かれる、これだけは真実のようです。

6,結局どういうことなの?

 「すっぱいブドウ」
 「僻み妬み嫉み」
 「初心者のイキり」


以上です。

何を学んだか

 「それだけ時間があるのだから、誰かに就いてちゃんとテクニックを勉強すれば何かしら得るものがあったのに」そうおっしゃる方も多いでしょう。ですが、それを面倒がった(最初にも言った通り、仕事で扱う「ファクト」で頭がいっぱいなのに、違うものを学ぶところまで頭が行かなかった)のが自分の実に怠惰なところです。
 そのかわり、写真論ばかりを吸収してきたと思います。たとえばベンヤミン『写真小史』、ソンタグ『写真論』、バルト『明るい部屋』、中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』、ホンマタカシ『たのしい写真』も読みました。その中で森山大道氏という、作風が気に入った写真家にも出会うことができましたし、今は都市論という新たな学問への興味が芽生え、吉見俊哉の「都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史」を読み進めているところです。読み終えたら感想書きます。
 そして何よりも、写真を撮る、ということが文章を書く上でのリハビリになったと思います。それは文章がダメなのではなく「フィクション」がダメなのだと見据えて、まず「ノンフィクション」に鞍替えし、文章の力不足・魅力不足を写真で補って、まるでつかまり歩きするように練習する。そんな、リハビリの方法です。
 その中で理想の「書き方」も思い浮かびました。まず、書きたいものを、実在するなら実際のカメラで撮る。実在しない、想像の中だけの産物なら心のカメラで撮り、可能な限り実在の風景に近いものと重ね合わせる。それを思い浮かべながら、文字として、文章として、現像していく。
 それが、ひょっとしたら今後はできるかもしれません。そして、この「心のカメラ」という概念が、自分の中で考え始めている「幻視力」という考え方のそれこそ核になるのではないかな、と考えています。

今後の創作の方向性

ちなみに今はコミケ前感染防止対策として禁飲み屋中です

 こうした経験から、文章表現が無理に小説という手段の型にはまる必要はないのだ、と理解できました。評論もエッセイも、また文章表現の、同人で行える手段なのだと。
 今後、小説をまた書くならば、再度「ウィッチと同時代の文化人が出会う物語」の構想を、一つ一つ、形にしていきたいなと思います。ノンフィクションでは、立ち飲みレビューエッセイなんかもいいかもしれません。
 もちろん、ドール写真集も地道に続けていきたいと思います。

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