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なぜ、同人写真集か

「今度は中平卓馬か、難しい写真論ばっかり続くな」と思われそうですが、ご安心ください。今回は自分の同人活動のこれまでと、今後の方向性に関するお話です。

たえざる自尊心の収奪

 まず、自分がこれまでやってきた同人誌シリーズ『ウィッチと散歩』について、最初に自分は

現在主に行っている創作手法は「キャラに似せてドールを作成し、いろいろなところに連れて行って撮影する、そして写真集にまとめる」と、いうものですね。いわゆるドール写真集というものです。
私の履歴書(同人編)、22/8/8

 と紹介したけれど、これやっぱり訂正。今から考えると、やっぱり「ドールフォトエッセイ」とジャンル名をつけたほうが正しかった。ある程度薄々気付いているようではあるけれども(『あくまで「紀行フォトエッセイ」だと考えています』とか言ったり)、いよいよ吹っ切れた。フォトエッセイ、というジャンルに出会ったのは、note始めてからのことになるけれど、自分の「文章と写真を織り交ぜる」ということに関しては、あそこまで文章が多いと、もはや写真集とは名乗れないな、とは思っている。

 ドールフォトエッセイと名乗ることにより、一番良かったのは「もう、ドール写真集という土俵で戦わなくてもいいんだな」っていうことである。正直言えば、私の写真はすごくもないし、上手くもない。撮影のために遠征に行くにはお金が足りないし、山登りは嫌いだし(嫌いになった所以は子供の頃にあるのだが、後々書きたい)、水中撮影なんてできないし、旅行すると人の縁に恵まれないし、写真の修正は下手だし演出は好きじゃないし(最近はPhotoshop2022のおかげで若干マシにはなっているが)、あと機材が、安ぽっちい。オールドレンズばかり愛用しているのはそれしかないからだ。これまでずーっとそのことで悩んできた。

 人と他人を比べるな、とはよく言われるけれども、告知のツイートでもっと上手い作品見本が流れてきたり、あるいは同じ島に並べば、劣等感にさいなまれてきた。でもそんなことはもう気にしなくてもいいんだ。だって自分より上手い人みんな、別ジャンルなんだもの。

いいね、コメント、売上数

 こうして劣等感にさいなまれたのにはそれなりの理由がある。コミックマーケット99で出した、私の個人誌として最後の「ウィッチと散歩 第5号」はそれまでで最高の制作費からの最低の売上額を記録した。確か40部刷って5部しか売れなかったんだったか。あの経験から、自分も訝しむようになった。

「同人という発表手段が打っても響かないものなんじゃないか?」と。

 それから1年が経とうとしている今、自分は作品発表の場をTwitterからInstagramに移している。今週は試しに、5部しか売れなかった件の同人誌の写真を掲載してみた。一番映えるだろうなぁ、と思った横浜中華街での写真である。そしたら、

この写真なんだけれど

42いいねも来た。なんだったんだ、あの惨敗は。
 これだけではない。ものすごく前衛的で、自分ですら「これウケるのかなぁ」と思っていた写真すら、30いいねも来たりする。本当に、これまでと異なり打てば響くなぁ、と感心しきりである。

 とはいえ、だからといって「もう同人誌では救えない!インスタグラマーに俺はなる!」という短絡的な思考には至っていない。それどころか、この成功でInstagramで写真作品を発表する上での「欠点」もしくは「自分に合ってない点」にいくつか気付いた。

1.流行るのも早いけど廃るのも早い

 SNS全てに言えるんだけれど、一番の問題はこれだろうなと。SNSを使って発表していて、もしかして上手くいったらバズって多くの人に見てもらえることも、そりゃあるかもしれない。いやむしろ、バズらなきゃ作品すら見てもらえない。

 自分はInstagramを始めてまだ1ヶ月だけれど、バズまで行かなくても最大50人程度にリーチ出来ているのはまことに幸運なことだ。Twitterではそんなに行かなかったのに。ただ、数日も経つとタイムラインに流れなくなるのか、いいねの伸びも止まる。そこで休んでしまっては一発屋で、名前を覚えてもらったりフォローしてもらったりするにはよりリーチを増やせるよう、次の作品でより工夫したり腕を磨かなければならない……これは、じつに、疲れる。そうしているうち「流行ることが自分の作品発表でやりたいことだったのか?」となる。これがいわゆるSNS疲れなのかなあ。

 なんだろうなあ、打てば響くとはいえ労力が大き過ぎる気がするんだよね。しかも同人誌と違って作品を売って収益化出来るわけでもないし。セルフリツイート/リポストしてセカンドチャンスを狙うのも、やりすぎると白々しいだけだしな。同人誌を出す上でのDTPや執筆作業の労力の方が、毎日やらなきゃいけない投稿よりは楽じゃね?と思っている。

2.長文を掲載するには限界がある

 これは私の表現手法限定の、フォトエッセイ限定の問題になるのだけれど、SNSは本当にこういう用途には向いてないと思う。Twitterは140文字までだし、Instagramは字数制限はないものの2〜3行目以降は折り畳まれる。

折り畳まれた例。

 またTwitterにもツリー機能などがあり、なんだかんだで両SNSは長文を書くことはできる。しかし、恐ろしいほど続きは読まれない(最終的には改善提案を出しているツリーが、単なるアンチコメにしか読解されなくて炎上するのはよくあることだ)。

「1行目で読者の心を掴め」「書き出しが一番大事」これは確かに言われることだ。そして1行目でおちゃらけたり関係ない話を持ち出す僕は、そこからしてまず失格だろう。けど今回言ってるのは「長い、少なくとも1000文字のエッセイを写真につけたい」ということであって、1行目しか読まれないようなインターフェイスを持ったSNSが自分には合わない、それだけのことである。

3.実は欲しかったのは「いいね」ではなくて「コメント」ではなかったか?

 そもそも、作品が多くの人にリーチすること自体が目的ではなく、読者から肯定的なコメントをいただき、人間関係が出来ることが自分にとって作品を世に出す目的じゃないのか?と気付いた。

 しかし自分は、コメントやリプライをもらった回数がこれまで少なかった。普段の呟きはどうでもいいだろうから誰にも反応されないのは当たり前として、質問しても考察しても作品を発表してもネタ募集してもコメントはやっぱり全然来ない。なんでだろうか、ってフォロワーに聞いたことが一度あった。

「そりゃ、じえいさんのツイートは自己完結してるから、コメントのしようがないんだよな」

 だってさ。実際言ってること、書いてることが自己完結で発展性がなく、会話が続かなくて場をしらけさせてしまうのは、自分の本当に良くない性格だと思ってる。それは多分これまでのnoteのエントリーを読んでもわかるんじゃないだろうか。
 そういう意味で、私はコミュ障である。しかも、積極的に話し掛けるタイプの。一番厄介なやつだ。

 だから文字での、また直接の会話が下手な代わりに、せめて作品を通して他人と会話したい、交流したいと強く思う。ただ、これは河岸を替えてもそう環境は変わらないみたいだ。実際、Instagramも出だしは順調だが、いいねは付いてもコメントがなかなかつかない。特に日本人からのコメントは未だ0件である。

 そうするとコメント、感想やお褒めの言葉を聞けて会話できる場所……もう直接、人と触れ合うしかない。普通それが一番ハードルが高い筈なのに。でも一番会話でき、交流できるのはリアルの場になるのだ。同人イベント、ドールイベント、あるいは普段の野外撮影。

 やっぱり短くても具体的なコメントがなければ自分の心は満たされないようだ。いいねの数だけで自己承認欲求が満たされる人を、本当にうらやましく思う。ネットだけで、リアルに交流できる場がなければ、きっと心が折れていただろうな。
 そもそも自分の創作意欲の源流が、自己承認欲求でも作ることが純粋に楽しいってのでもないような気がする。このことは趣旨から外れるので今回は書かないけど、いずれまたまとめたい。

今日、同人活動とはなにか

 でも、SNSで発表するのは、見る側ばかりでなくやる側もタダである。見る側は「わざわざ金出すかぁ、これ」って冒険的な作品も、金銭的不安なしに見ることができ、残念なクオリティのものや難解すぎるものだったりしても「まあ、タダだしなぁ」で済ませられる。やる側は(一回投稿する分には)手間なく、かけた費用が回収できなくなることを恐れなくてもいい。難しい誌面についてあれこれ考える必要もない。
 でも、そんな時代に同人誌を出す理由ってなんだろう?

1.長文を一目で見られるレイアウトにできるのは、今のところ同人誌以外存在しない

(建前としては)まずこれが来る。
 組版をしていて分かったのは、やっぱりB5見開きに入る文字数は相当あるってことだ。やたら文字も大きく、行間も開けて、ってしなければ結構入る。そしてそれを、適当な高さの卓上に置けば、あるいは手に持って目から適当な距離離せば、その文章全体を一瞥のもとに収められる、書き出しからオチまで読まなくても一度にわかってしまう。

 だけれどもこれがWebページだとどうなるだろうか。最近のパソコンのモニターは16:9のものが多いけど、これいっぱいに文章の行が横書きで広がってたら、絶対追えない(だからnoteも横がだいぶ狭いよね!)。
 じゃあより画面が小さく縦向きのスマホならいいかというと、そうともいかない。今この段落の先頭で3990文字目なんだが、パソコンにせよスマホにせよ、ここまで相当スクロールして来たんじゃないだろうか?本なら1ページの文字数は1200〜1500文字って言われてるから、まだ4ページまで行ってない。

2.実は撮影や執筆よりも、組版が一番好き

(本音としては)実はこっちだったりする。自分の組版との出会い、そしてどんなことをして来たかについては長くなるので省くけれど、やっぱり読みやすさやデザインなど、一定のこだわりを持って選ばれたフォント、十分に考えられた写真や図表の位置、ウィットを効かせた飾り文字、そう言った組版を構成するもの達に対するフェティシズムは確実に存在するなあ。

 あとはやっぱり組版ってモノづくりの楽しさがあるんだよね。まあ世の中には「活字を組んで本を作るのが趣味」とか「昔の印刷機を動かすのが趣味」って人も居るしそういう体験もあるし、InDesignでやってる事を「モノづくり」なんて言うと鼻で笑われそうだけれど。でも自分の中ではデジタルでやってたとしても、やっぱりモノづくりはモノづくりなんだよなぁ。

おわりに

 でもやっぱり、今後さらに懐事情が厳しくなって、印刷費もサークル参加費も出せなくなる、そうなる可能性もあるとは思う。そんな時はどうするかなあ。

 そうなったらnoteの有料記事、それも必要最低限の経費分だけを取って、同人誌としてこれまで頒布していたような内容を掲載するのが今ある唯一の方法かと予想してる。いや、そうなったら、同人誌のために撮影ロケに出る。そんなことをできる余裕もなくなるとは思うんだけれど。

 でも、写真も長文も掲載できて、なおかつお金も取れる。それは今のところ、noteしかないなって。

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