テレコーテーション03

 僕の記憶は、幼稚園の制服のボタンをかけるところから始まった。

ずっとそう思い込んでいたが、ここ何日か家を離れてビジネスホテルに泊まり、フードコートの窓辺から小名浜の港や海を日がな眺めていると、記憶している幼稚園とは違う場所で、女の子が僕に靴を履かせてくれて、祖母がその女の子にお礼の言葉をかけている記憶が蘇ってきて、ひょっとしたらその記憶の方が古いんじゃないか、僕の記憶の始まりは後ろに更新したのではないかと思う。

 記憶の原像は意図してない部分が鮮明だったりする。夏の日、少年野球で行った合宿で川底から見上げた空と光の屈折は、事あるごとに頭に浮かんできたりする。

祖母が亡くなった。

向かう特急列車の中で施設の職員から連絡が入ったとき、記憶は小学生に入ったか入らないかぐらいの僕を脳裏に映した。

眠っている僕を祖父が起こしにきて、

「まだ眠らせておいてあげればいいじゃない。」

という祖母に対し、

「かず坊のテレビが始まったんだ。」

と祖父が怒鳴っていた光景だった。

当時、目が覚めたときの自分の家の天井が僕は好きではなかった。だから、祖父母の家に泊まりに行った時に聴こえた祖父母の会話と木目状が波うった天井が幸せすぎて、このままずっとここに留まりたいと願った。

フードコート・バイ・ザ・シー。

ここでは、あらゆる人間が訪れるが、僕は誰とも交わることがない。

家族や友達同士や恋人達の自由な語らいをしている中で、僕は沈黙し、相変わらずマックのホットコーヒーを飲んでいる。

「菊地さん、こんばんは。ラジオネームつかさです。最近ね、大恐慌ネームって勝手に工夫されて名乗ってくれてる方がいらっしゃって、あの、僕が呼びかけたことじゃないからとても嬉しい、ですね。大恐慌ネームでいきましょう。ハハハ。」

菊地さんが笑う。僕のラジオネームが、大恐慌ネームに変わった。昔、粋な夜電波の中で、放送が終わったら、地下ラジオとして続けるというようなことを菊地さんは言っていたけど、まさにこの大恐慌がそうだよな。もし、スタジオが地下にあるんだったらその通りになっている。

「これラジオ放送じゃないからね。大恐慌ネームで統一しましょう。できれば可能な限り年齢と、これ夜電波と同じになっちゃいますけど、僕に関する等級を、フェザーとかヘビーとかありますよね。ご自分の査定で構いませんのでつけて頂けると、話の通りがいいですね。」

粋な夜電波でお便りが読まれるとき、リスナーが階級を自己申告していたのを聴いてたのに、まさか自分が申告することになるとは夢にも思わなかった。粋な夜電波の第一回目は、横浜の関内の高架線下を歩きながら聴いていた。ドヤ街として有名な寿町の職安がある通りから黄金町の風俗街を歩くのが好きで、粋な夜電波はそのどちらにも合っていた。

「え〜、菊地さんにやめろと言われましたが、相変わらず…あぁ!あの人だ!朝マックでコーヒーを飲みながら小説を書いています。はいはいはい。日記も始めました。時々、小説より筆が進んでしまうことがあります。そら、そうでしょうなぁ。」

日記は友達からもらったロルバーンのA5より小さいノートに、2Bの鉛筆で書いている。

小説と比べて日記はなんら衒うことなく書くことができる。その時の感情がそのまま文字になる。しかし、ドラムが思うように叩けないように、自分の感情をそのまま文字にそっくり表すことはうまくいかないものだ。

それまで別の友達といた中学生ぐらいの紺のジャージを着た女の子が、僕の座る前のテーブルにいた女の子2人組の1人に話しかけにやって来た。話しかけられた女の子は、躊躇いがちで、もう1人の女の子ははなから話すつもりがないといった態度でそっぽを向いている。招かれざる客であった女の子は、それでも笑顔を崩さずに話しかけている。何を話しているのかは、距離があったので分からない。僕の目線の先には、ジャージの女の子のいたたまれなさがあった。

「日記は小説より筆進むんじゃない?えぇ、これこそぼくが言うことだと思いますけど。今回久しぶりに質問にご回答頂けるということで、私の母親について菊地さんのご意見をお聞かせください。は、い。」

その場の空気に耐えられなくなったのか、ジャージの女の子は突然紐が切れた凧のように手を振って元の席に戻っていった。元々座っていた女の子2人は二言三言言葉を交わすと、何事もなかったかのように勉強を始めた。そして、僕はそこから視線を外した。

僕の母親は、今はもう見えなくなってしまったジャージの女の子のように、どこにいても所在がなかった。父親といても、祖母といても、しょっちゅう文句を言われていたように思う。母親は母親なりに頑張ってはいたのだが、誰もそれを汲み取ることはなく、もっぱらできないところを責めた。母親が母親らしくいられたのは、敢えていうなら僕と2人きりでいる時だった。それは多分僕が母親のことを悪く言うことがなかったからだ。母親が悪く言われるのを聴くだけだったからだ。だけど、恐らく僕が母親に1番関わりたくないと思っている。

「私が小学生の時から母親は精神のバランスを崩し、今日に至るまで病院に入退院を繰り返しています。あー。入退院を繰り返しているのね、通院ではなく。」

僕が初めて母親がおかしくなったのを見たのは、僕の家で友達とゲームをやっている時だった。

小学生になった僕は、無事に友達ができて、とても気分が高揚していた。

何のゲームだったのかも、はっきりと覚えてる。『Dr.マリオ』だ。

同じ色のカプセルを組合せていくことで、カプセルを消していくテトリス系のパズルゲームがあんまりにも面白くて友達と盛り上がり、僕は口の中に入れていたスイカを母親に吹きかけてしまった。母親は、とても怒っていたが、この時にはまだおかしくはなっていなかった。

僕の記憶は、一旦途切れて、次の記憶の場面では近所に住む幼馴染みの女の子のおかあさんが、おかしくなった母親の肩をさすり心配している。この間に何があったかは記憶から完全に欠落している。

次に思い出すのは、父親の車に乗って母親の見舞いに行く所だ。僕は父親に『幽☆遊☆白書』のおまけ付お菓子を買い与えられていて、後部座席で寝転びながら、おまけのキャラクター人形を動かしていた。下から見上げた視界からはダッシュボードが突き出していて、窓ガラスの先の雲と空の色を眺めていた。ついでに言えば、僕は父親の車内の匂いが嫌いだった。

「え〜と、真面目でありながら不器用な父は、私の前で母を悪く言います。母と一緒に暮らすキャパが、父にはなかったのでしょう。母が寛解して退院になっても、私と父の住む家には戻らず、県外の母方実家に行かされました。誰が?」

母がです。菊地さん、主語が分かりづらいですね。書いた質問が、菊地さんの言葉を通じて僕に戻ってくる時、以前の僕なら耳を塞いで、わぁーー!とかき消してしまいたくなるぐらい恥じてしまっただろう。でも、今は諦めている。仕方ない。これが僕だ、と。

菊地さんは、誰がと言った後に、爆ぜるように笑った。

「この人、小説、ごめんね、おんなじこと言って。小説家、ボクに言われたくないと思うんですけど、誰が何をって、いうのが分かる文章にした方がいい、一読してちょっと読み辛いんで。えっと、母が寛解しても、私と父の住む家には戻らず、その前の行が父親が主語になっているから、お父さんの話だと思って続けちゃうよコレ。あのー、私の前で母を悪く言います。母と一緒に暮らすキャパが父にはなかったのでしょうって締めてるでしょ。で、そのまま続いてるからさぁ、改行せずに。」

図らずも菊地さんに文章を校正してもらっている。これはこれで贅沢なことである。次に質問を送ることがあれば主語は明確にしよう。

穏やかな波が海面を揺らす。ここまで届くはずがないのに、耳を凝らすと飛沫の音が響いてくるようだ。海原とフードコートのあるモールとの間には、スペースをふんだんに使った倉庫の形をした2つの建物と水族館が仕切り線のように並んでいる。この倉庫には、海で取れた活きのいい海産品や土産物、いろいろな飲食店がひしめいているのだが、訪れてみると2つの建物は、明暗を分けていた。片方は大変な盛況で、もう片方は、水を打ったように静かで客はほんの僅かしかいなかった。僕は今フードコートから2つの施設を見下ろしているのだが、気分としては廃れてる方に入りたい。そして隙間だらけの陳列棚や長い間捨て置かれた表面に綿埃が浮いたぬいぐるみを手に取ったりして地方の憂鬱に身を委ねるのだ。

「母が寛解して退院となっても私と父の住む家には戻らず、つって、えぇっ!ってなったんですけれども。県外の母方実家に行かされた…行かせたんでしょ?要するに。お父さまがお母さまを、えぇ〜と、お父さまとあなたが住む家に、戻らせずに、実家に行かせてしまったと。ね。当時生まれてまもない妹を育てるキャパも父には足りなかったので、同じく母方実家が引き取ることになりました。」

妹の誕生が僕には唐突に思えた。記憶は狭い家の中で、父と母が夜中に布団の上に座り、なにやら話し込んでいる姿だった。あの当時、母は35歳を過ぎていて、出産が身体に負担のかかる年齢だった。次の記憶では産院で生まれたばかりの本当に小さい妹が、ガラス一枚隔てた部屋のベッドで寝ている姿だった。母と妹が家に来ることはなく、そのまま母方実家に行ってしまったのだが、それは僕の全く知らないところで執り行われていた。だから、僕は何も知らないままにしておいた。

今日はこの土地にしては珍しく、雨が強く降りつけていた。間断なく雲が空を覆い、外は不吉に黒ずんでいた。

「以来、大人になるまで年に2回、夏、・冬の休みに母方実家に遊びに行くとき、母と再会することがありました。母はいる時もいない時もありました。はいはい。そうでしょうね。母は、直接私に会えることを喜んでいましたが、私は母との間に一線を引いていました。母だけでなく、母を悪く言う父にも、疎遠になった妹に対してもです。はい。大人になってからは、会う頻度が極端に減りましたが、ある事がきっかけで母の病気を調べることになり、どうやら統合失調であることがわかりました。」

僕が母方実家に行く理由は、一言で言えば金だった。僕は常に金欠だった。実際に貧していたわけではない。お金を使っていないと、自分のバランスが取れなかったのだ。服でもゲームでも悪い友人に巻き上げられてもとにかくお金が手元にあり、小学生、中学生の時分は、それを消費することに費やしていた。父親の財布の中の札を取ることも日常的にしていた。

一方で、僕は祖母のことが大好きだった。祖母は僕が来ることを喜び、一緒に暮らしている妹よりも僕のことを大事にしているかのように振る舞ってくれた。好きな食べ物を好きなだけ、望むものは何でも買ってくれた。しかし僕が理不尽なことをすると怒った。母方実家にある怪獣の足のスリッパが何故か欲しくなり、勝手にリュックの中に入れて持ち帰ろうとしたら、祖母にバレた。

「どうして、そんなズルいことするの。あげたお金で買えばいいじゃない。」

祖母は怒ると、鋭く、張りのある声に変化する。僕は祖母に叱られたこともよく記憶している。歳を重ねるごとに祖母には僕という存在がどんどん得体のしれないものになっていたかもしれない。僕が帰る時にはいつもリュックがパンパンになるぐらいお土産を持たせてくれる祖母は、僕のリュックをあたかも自分のものであるかのように開けて中を見ることがあった。僕は当時、大塚英志原作、田島昭宇作画の『サイコ』にのめり込んでおり、それは、カニバリズムや開頭した脳みそを鉢植え代わりにして植栽をする、というようなエキセントリックな描写がオンパレードの漫画だったのだが、祖母は僕のリュックから漫画を抜き

「なんだい、これは…」と息を呑んだような声で驚いていたこともあった。

母親は、ここでも悪く言われていた。祖母からだ。ことある毎に祖母の突き刺すような怒声が母親に向けられ、母親は母親で、言い訳をしたり、取り繕ったり、逆上したりしていた。傍で見ていても、それは気持ちのいいものではなく、日常的にこのような環境にいる妹は大丈夫だろうかと心配になったが、無力な僕にはどうすることもできなかった。

「母親が統合失調症であることを知ったときには駅のホームにいて、まぁ、そうだろうなと思いながら、なんか怖くなって人目を憚らずに泣いてしまいました。ほうほう。」

当時本気で付き合っていた女の子は、僕が母親とのことを話すと、母親の病気が何なのか調べて欲しいと言ってきた。それが2人の今後に関係してくるかもと言われたそのときから、僕には漠然とした母親の病への恐怖感があった。何年か前に付き合っていた別の女の子から、自分は性病を移されたことがあるから、エイズの検査を受けて欲しいと言われたときに感じた恐怖と似ていたが、母親の病の方が、あとに引き摺った。

母親に直接聞いたのか、父親や母親と親交のある伯母に聞いたのかが思い出せないが、とにかく母親が統合失調症であることが分かった。それは職場の先輩の結婚式に出席していた日で、僕は酒を飲み過ぎてトイレの便器の中に飲み食いしたものを全部戻し、式場の待合室のソファにだらしなくともたれかかるといった失態ばかり演じ、ほうほうの体で帰路に着く途中のことだった。

駅のホームで人目を憚らず泣いた僕は、まだその感情冷めやらぬまま彼女にこのことを電話で報告した。

「そう。うん、わかった。話してくれてありがとう。」

応対した彼女の言葉は優しかったが、態度はどこか他人行儀であった。

前も話したとおり、僕は彼女に別れを告げられた。その直接の原因は、僕の弱さにあるが、母親のことも関係しているのかもしれないと少し思うし、それはまぁ無理もないことでもあるとも思った。あるいは、僕は母親のせいにしたいのかもしれない。

「怖くなって泣いたのね。恐怖で泣くってすごいですね。すごい退行感ですけれども。まぁ、それはともかく。え〜最近母の身元引受人になり、入院している医師と話合いをする…入院先の医師ね。入院している医師って、別に文章にケチをつけるわけじゃないんだけどさ、入院している医師って書いたら、医師が入院していることになっちゃうよ。」

はい、入院先の医師です。文章が穴だらけだ。大体、僕はあの時恐怖で泣いたのか。菊地さんの言うように怖くて泣くって相当なことだ。

恐怖、ではない。あのとき自分は、自己憐憫に陥って泣いた。つまり、僕の人生にはこれからも統合失調症の母親がつきまとい、何もかもがうまくいかない。自分の哀れさに僕は泣いた…笑ってしまうぐらいかっこ悪い。

母親が入院している病院を訪れるのは、これで何回目だろう。父親の車に乗り、訪れた病院が1番印象に残っている。

「イクラは、いくら?」

パジャマを着たモディアーニの絵のような立ち方をしている男の患者が父親に問いかける。父親は困惑したまま苦笑いを浮かべていた。

エントランスのすぐ隣が食堂になっていて、母親が来るまでの間、僕と父親は椅子にかけて待っていた。手塚治虫の『三つ目がとおる』を読んでいたのを憶えてる。

母親が言うことは、いつも大体同じようだった。退院して家に戻りたいといった類のことだ。

純粋な願望を口にしているのに母が自分勝手なことを言っていると僕が思ってしまうのはどうしてだろう。幼かった僕は、母親が自分のせいで入院しているのに帰りたいなんて自分勝手な人間だと考えていて、病気が母親をおかしくしていると気づくのは、随分あとになってからのことだった。

「入院先の医師と話をする中で、でしょこれ。母は躁鬱病だと言われました。えー、この時私は不思議と胸がすっとしたんです。母が統合失調症であるよりも躁鬱病であると診断がくだされたのが私には嬉しかった。それで母の状態が変わるわけではないのに。はいはい。菊地さんの育ての親は統合失調であると伺ったことがありますが、この話についてどうお思いになるでしょうか。ご意見賜われば幸いです。因みに私の育ての母と呼べる存在は近所に住んでいた伯母です。はいはい。伯母の作る食事が家庭の味であり、なかなか孝行はできていませんが、感謝はいくらしてもたりません。はいはいはい。」

母親は料理が昔から苦手だった。父親がよく母親の料理を腐していた。僕は僕で残酷で、ある時母親の作った冷やし中華をひと口も手をつけぬまま、残してしまったことがある。ある意味では、僕や父親の言動が、母親を病気にしてしまったのではないかとさえ思うときがある。

小学生から中学生にかけて僕は伯母の家でご飯を食べて育った。伯母の家には伯父と、僕より歳の離れた伯父伯母の息子が3人いて、僕からすると歳上の従兄に当たる3人は、いい距離感で僕と接してくれていた。ただ、伯母が僕のことを4人目の息子みたいなもんだと何かの拍子に言ってくれたことがあったが、僕はそれについては特段嬉しいとは思わなかった。

少年の僕は普通を望んでいた。父親と母親がちゃんといて、妹と一緒に家の中でふざけ合いたかった。僕だけの部屋があり、ベッドに寝そべりながら音楽を聴いたり、本を読んだりしたかった。中学に上がったあたりで、ようやく部屋を与えられたが、父親はことあるごとに僕がしていないことを責めた。それは家事から学校の提出物、電気の消し忘れといったことにまで及び、僕は父親から「出来損ない」と言われたことを今でもまだはっきりと覚えているし、死ぬまで忘れることはないだろう。母親がおかしくなるのもおかしくなかった。実際、僕も小学校高学年から中学を卒業するまではおかしくなっていた。もっともこのぐらいの時期にはおかしくない子どもの方が少ないのかもしれないが…。

雨が強く窓に叩きつける。なにかを訴えているかのようだ。電線に立った鳩が落としてくる糞のように窓にこびりついている。東北大震災があったときに、このあたりは津波が襲い、ここから直線で1キロ離れた祖父母の檀家の寺の本殿も酷い被害があったということだ。

瓦礫にまみれて荒廃していたはずの土地に、今では大型のショッピングモールが建ち、僕はその中でコーヒーを飲んでいる。他所者でありながらその地の再生の経過に感じるものがあったが、残念ながらそれを共有できる相手がいなかった。

「え〜と〜、ご意見は特に、文章に関してはありますけどね、ハハ。あの、要するに精神病の、なんというか、病名、病名ですよね、医者が決定する、医師が決定しますよね。えっと、この方は最初自分で調べたんだよね。自分で調べたら、どうやら統合失調であることが分かったんだと。んで、統合失調だと思ったら、なんだか怖くなって、人目をら憚らず泣いたんですと、これが前段にあって。ところが入院先のお医者様と話したら、お医者様は要するにプロフェッショナルの担当医の方は、躁鬱病だと言ったと。躁鬱病も統合失調も精神病のカテゴリーの中にあります。違う病気ですが。この時、私は不思議と胸がスッとしましたってありますけど、不思議じゃなくない?」

これまでと同じように菊地さんが笑っている。

伝わっていないのだ。無理もない。質問からは、僕の意図は伝わりづらい。

母親は実際に統合失調症だった。僕の思い込みではなく、本人の口から直接聴いたのだ。

つまり、過去に入院した病気の別の医者は母親が統合失調症であると診断したが、今回の入院先の医者は躁鬱病と診断した。僕にとっては、統合失調症より躁鬱病の母親の方が都合が良かった。母親が統合失調症であると打ち明けるのは、神経が相当すり減る告白であるけれども、躁鬱病なら気軽に言えてしまう。

「不思議か。スッとしたことが不思議だったんだ。あの、え〜と、なにが言いたいんだろう。統合失調であると分かったということは、自分がお母様のことを一回統合失調だ、調べた結果、母ちゃんは統合失調だと決めるだけの素材と理由があったわけでしょ。そしたら泣いたわけでしょ。で、お医者様が躁鬱病だと言ったら、普通だったら、僕は統合失調だと思うんですけどって抵抗が生じる筈なんだけど、そうならずに不思議と胸がスッとしたんだと。ということは、躁鬱病だと思ったってことじゃないの?」

そうだ。僕は母親を躁鬱病にした。僕の恐怖は、母親の精神病じゃない。自分の母親が精神病であることを知ったときの周りの反応だった。

中学の時に、感傷的になった僕は、クラスメートの仲良くしていた奴にうっかり母親のことを喋ってしまったことがある。そいつは周りに母親のことを言い触らした。

「おまえの母ちゃん、キチガイだもんなぁ。」

何の脈絡もなく、友達である筈の奴が、僕の心を抉ってくる。僕は適当に誤魔化そうと話題を変えようとする。

「話変えようとすんじゃねぇよ。」

と容赦がない。他の友達である筈の奴らもニヤニヤした顔で聴いている。

他人を思いやる感情が欠落している、どうしようもない奴らばかりだったが、大人になってからも付き合いが続いているのは、こいつらだけだった。

皆、一様に家庭に問題を抱えていた。本人にも問題があった。そして、僕らはお互いにそのことを共有していた。

考えてみれば、家庭なり本人なりの問題は、分かち難くその人間と結びついている。

ある意味において、僕らは他の「普通」のクラスメートよりもお互いを深く理解していた。だから、たまに誰かが僕ら以外の人間を連れてきて、話しをしてても、その僕ら以外の人間はうまく僕らに馴染むことができなかった。たとえ、その人間が家庭や自身に問題を抱えていても、結果は変わらない。

なぜなら、僕らは既に大人になってしまっているからだ。大人になってからの家庭なり本人の問題は、「普通」のことに過ぎない。僕らはお互いが普通でないということで繋がっていた。そして、それは子供の頃から一緒にいることで醸成されていった。

「だから最初自分が調べて思い込んだことが間違いだったってことですよね。」

いえ、違います。僕は僕のために母親の病は躁鬱病だと言うことにしたんです。たまたま今の入院先の医者が躁鬱病だと言ってくれたから、これまでの母親がした行動は全て躁鬱病によるものなんだと言うことにしたんですよ。

統合失調症の母親を持つって嫌じゃないですか。

菊地さんは、実の母親じゃなくて育ての母親が統合失調だから、まだ逃げ道があるじゃないですか。

でも、僕は統合失調症である母親の何にこんなに怯えているのか。自分に遺伝するからか?それとも母親のことで周りから白い目で見られるから?僕の子どもの遺伝子に統合失調因子が刻まれるかもしれない?妹が母親の面倒を見れなくなり、おはちが回ってくるから?

どれも当てはまりそうであり、どれもが1度は僕を悩ませたが、正解は、多分こうだ。

僕には、確たる自己というものがない。ゆえに不安がいつもつきまとっている。不安は不安のまま存在することはない。いつも姿形を変える。精神病の母という存在は、格好の不安材料だ。

つまり、僕は母親を利用しているのだ。

「そういうお話じゃないですか。え〜それはそれでいいんじゃないでしょうか。うーん、自分が調べてこうじゃないかなと思ってた。んで、そうじゃないかと思った結論が、ちゃんと自分で調べて出した結論だけど、その結論が恐ろしかった。そういうことだってありますよねぇ。え〜、で、ちゃんとプロに聴いてみたら、違うことだった。で、まぁ、それで悲しくて絶望する人もいるでしょうし、喜ぶ方もいらっしゃるでしょうし、なんとも思わない方もいると思うんだけど、この方の場合は胸がスッとしたんだと。そして嬉しかったんだと。別に母親の状態が変わるわけではないのに。それはそうですよねぇ。ハハハ。変わるわけではないのにって、通院したり、投薬、治療を受けていれば状態が、病気ですから、状態は変わると思いますけれども。まぁ、意見はない、ですねぇ。」

雨は強風に翻弄され、空は灰色に覆われて暗く、海面は果てることなく波がうねり、ビッグスクリーンのような窓の内側から僕は天候を観察していた。

フードコート内は、悪天候のためか混み出し、僕の周りも人で埋まった。

人々の声は、1つの狂騒のようにあちこちに流れ、やがて曲の終わりのようにフェードアウトしていく。それが繰り返す。

僕は菊地さんに何て答えて欲しかったんだろうか。

「あの、意見があるとしたら、文学はやめた方がいいと思いますね。」

イヤホンからは地響きのような菊地さんの笑い声がこだました。

「あなたの文学性は無駄に文学性だと思いますね、コレ。ふははは…。あの、要するに文学者っていうものの像が、ちょっと作り物めいてんだよ。それで、やめろって言われてもあいかわらず朝マックでコーヒー飲みながら小説書いてんでしょ?ムダだよムダ。」

菊地さんの高らかな笑い声につられるように僕も笑った。おかしはなく、かと言って悲しくもなかった。菊地さんの予期せぬ言葉で空っぽになった頭には、どんな感情もなく砂漠のような茫漠とした空白が漂っている。

悪意は感じなかった。悪意ならこれまでうんざりするぐらい遭っているから鼻が効く。

かと言って、菊地さんが善意で言ってるわけでもなさそうだった。

悪意はどこにだって現れる。悪意と感じたら、それが悪意になるからだ。

僕は、ずっと悪意を避けてきた。

個室トイレにこもり、気がつかれないように姿を消したりした。誰かが僕という存在を諦めるように途方もないぐらい待った。

そうしないと、僕は自分で自分を統御できなくなってしまう。統合失調と同じだ。

友人や恋人に僕でなくなった僕を見せるのが、とても辛かった。

どうしても逃げ場がないとき、言葉を発することもせず、無表情になり、ただ黙って時間が過ぎるのを待った。陰性症状にそっくりだ。

もし、いま菊地さんがこの場にいて、菊地さんが僕の書いた文章をこき下ろし、お前には文学は向いてないから止めたほうがいいと笑い、聴衆もそれにつられて笑ったら、僕は自分の殻に閉じこもってしまうだろうか。

「あのね、小説っていうのは自動的に出てくるものなの。書こうと思ってできるものじゃないんですよ。だから、こういう身の上の方がいらっしゃって、それが文学の素材になることはあるでしょうよ。僕もそれはファミリープロット、ファミリーヒストリーがいろんな制作の素材になることはありますよ。で、そういう方は別に母親が精神病を患っていたっていうことだけではなくて、あらゆる形であると思いますよ。だけど、その、あなたから感じるようなですね、感じることはですね、まず基本的な文章修練をなさることですね。小説を書くので、絶対書くのだと決めているのであれば。日記だったらいいですけどね、なんだって。」

菊地さんの発言に並行して、オンライン上の顔の見えない聴衆は、文字記号を使い、笑っていた。これは、もしかしたら悪意なのかもしれない。

しかし、だからといってイヤホンを外すことはしなかった。

嫌な気がしないわけではない。自分の文章と文学観が真っ向から否定されているのだ。そして、顔の見えない聴衆に笑われているのだ。

でも、僕は続きが聞きたかった。

なにより、これは紛れもない僕の内面を語っているのだ。菊地さんの関心を惹こうとして、フィクションを言っているのではない。

僕は本当に小説を書きたいし、母親は本当に精神病なのだ。

そして、笑いが溢れてくるぐらい文章が下手で、文学性が欠けてるのもまた事実なのだろう。

「それで、文学の素材となるべき、その、まぁ母との問題なんてさ、すごい文学的素材じゃない。だけど、ちょっと何ていうかさ、この話自体はひとり合点というか、一人相撲なところがありますよ。それで一人相撲な問題意識で書いた小説ほどつまらないものはないですから。」

僕の事実が、菊地さんの事実にはならない。一種の創作物として受け止められ、この創作物には文学性がないと言われている。

文学は独りよがりではだめなんだ。

小説は地面を掘ると水が湧いてくるように、自然に発生しなければ完成を見ないんだ。村上春樹が似たようなことを言っていた。

僕が書いていた小説は、小説もどきで、小説自体ではない。

この際、正直に書いてしまおう。

僕は、家庭での満たされなかった過去や今の不満の身の上の隠れ蓑として小説を書くことを利用していたんだ。

小説家になれば、僕は過去の母親の葛藤を乗り越えて、幸福なこれからを送ることができると錯覚していた。

取らぬ狸の皮算用、僕はよく自分が芥川賞を受賞したときの、記者会見の場面を想像する。そして、そこで言う気の利いたコメントを考えたりしている。救いようがない。

気がついたら小説ができていたら、それが小説家だ。

気がついたら曲ができていたら、音楽家であるのと同じように。

これは菊地さんが最初に教えてくれたことだ。

僕が僕であるかぎり小説は書けない。

「ごめんなさいね。ふはははは。これ、でも傷つけようと思って言ってるんじゃないの。ひでぇこというな菊地、と思ってるかもしれないけど、そうじゃなくて。」

ひでぇのは僕の浅はかさです。

そして、僕は小説家もどきの箔をつけるために、また母親を利用した。悪用したと言い換えてもいい。

「じゃあね、じゃあね、例えば、こうね、その、向いてねぇとか自分に酔ってるとかばっかり言われたら腹が立つでしょうね。傷つけないように言ってるっていわれてもさ、嫌だと思うよ。だから、まぁまぁまぁ、こう考えたほうがいいの。ある音楽家であり、文筆家であって、ある程度その人のことを、まぁ僕のことだけど、尊敬してるとか書いてるものが好きとか、嫌いとか、まぁ、なんでもいんだけど。そいつがね、ラジオ番組みたいなものを持ってて、ね。そこに自分は小説家志望だって2回か3回投稿したら毎回毎回小説家に向いてないってそいつに言われたんだと。こういう文章を書いたらこういう風に指摘されて、だから向いてないんだって言われたんだ。言われ続けた、で、腹立ったと。まぁ、立たないかもしれない。あなた今腹立ってないかもね。あるいは腹立ててはいけないと思って、本当は腹立ててるのに我慢してるかもしれない、なんだか分からないけど、ある心的状態になった。んで、また久しぶりに質問のコーナーがあったから質問出してみたら、もっとはっきり向いてないって言われた。どんどんどんどん重ねれば重ねるほど向いてないって言われ続けてるんだよね…これでいいんだ小説は。こういうのをアイデアとか着想というの。この話の方があなたが今どういう物語を書こうとしているのか分かんないけど、この話の方がちょっとは面白いと思う。こんな小説読んだことないもん。自分は小説家志望だ。以下同文ですよ。ねっ。あの、会ったこともない、遠隔でさ、でもすげぇ親しげな状態で直接話しかけられているような感じで、このラジオディズってそうでしょ?それで小説家に向いてないんじゃないかなって、ずっと言われて自分はどう思ったかとか。で、それもし書くんだったら僕が言ったこと全部それに入れていい、喋ったことを一字一句使っていいし、あのー、もし小説的に歪めたかったら、歪めてもいいよ。文句言わない絶対そのことに。もし、あなたがそれで小説書くなら。その…おっおっおー!」

録音機材の倒れた音がする。僕の視界は、何ら変わらず海を見ている。

フードコート・バイ・ザ・シー。

しかし、一方で耳では飽き足らず僕の眼は菊地さんの話を視ている。

「録音機倒れた。えー、それは単純に、もう読みたいって人いると思う、うん。読みたいって思わせなくちゃ。この話面白そうって思わせることが大切で、自分が文学、茫漠とした文学的意欲と苦悩を持って、毎朝マック行ったって、ムダムダ。あの、面白いこと考えればいいんですよ。その書いてる中に自然とあなたの問題意識とかが出るから。ねっ、普通こういうのは編集者がやることで、そういう場合はコンサルタント料取るのですが、無料で結構です。ふははははは。」

大恐慌のラジオディズは、菊地さんの弾んだ笑い声を最後に終わった。

しばらく僕は茫然としていた。相変わらず、フードコート内は、あらゆる年代、あらゆる階層、そして圧倒的なこの国の人間が存在し、声と声が混ざり合い緩やかな波の連なりのようにこの空間を揺らめいている。

僕は立ち上がり、フードコートを出た。荷物は全て置いていった。

何かに当てられたようにモール内を徘徊したが、どこにもたどり着くことができずに幾度か周回して結局またフードコートに戻ってきた。

〈この方のエッセイとかブログとか読んでみたいなぁ〉

コメント欄にあった書き込みが、存外嬉しかった。

僕は机の上にばら撒いていたものをリュックに入れて、フードコートを離れ、外に出た。

相変わらず雨は強く降りしきる。傘をさすと、雨足の衝撃が手に伝わった。

横殴りの雨は容赦なく着ているものを濡らし、ホテルに戻る頃には、上から下まで服や靴がたっぷりと雨を吸っていた。

「お帰りなさいませ。」

フロントの従業員は、ずぶ濡れの僕を気遣う言葉を探しているようだったが、結局何も言わずに頭を下げた。

オートロックを解除して、部屋に入るや、僕は着ている物を全て身体から剥ぎ取った。

備えつけのバスタオルで髪と身体を拭いて、トランクケースの中から新しい服の上下を取り出して着替えた。

冷房がつけっぱなしの部屋は、ひんやりとしていて水槽にいるような気分だった。

窓の向こうでは、雨が粛々と降っている。部屋の沈黙と相まって、空気が重くなる。だから、ビジネスホテルの部屋では、寝るか抜くかしかする気が起きない。

もう一度窓の外を見る。濃い色の雲に空を遮られた海辺の街並みは、雨によって洗い流されてしまったかのように色を失った。

朽ちてない廃墟の体を成していたが、それは僕がこの土地の人間ではない隔たりがそう思わせるのかもしれない。

そして窓には、裸の僕の輪郭が映っている。なだらかな丘陵のような特徴のない身体をしていた。平凡な胸板、人並みの腹筋、平均的なペニス。きっと、僕のあらゆる器官は、こんな感じで平板で奥行がないだろう。そう思うと、胸が少し痛んだ。

ホテルの3階は、大浴場、コインランドリー、漫画だらけの本棚、そして誰にも触れられた形跡のないデスクトップコンピューターがあり、客が行き交う半ば共有スペースだった。

古い家庭用洗濯機と拡張した盤のような蓋をした乾燥機の音が、底を這うように響いている。

僕のほかに人の姿は見えない。海底に眠る沈没船のようなデスクトップを恐る恐る起動させる。

自前のPCが壊れてしまったので、ある時から僕は書いた小説をGメールに添付するようになった。そして、空いた時間があると、漫画喫茶に入り、ネットから小説のデータを引っ張り出し、続きを書くことを繰り返していた。

小説の新人賞の応募枚数は、原稿用紙で200枚からだから、僕はいつも文字数を気にしていた。前に書いた話の内容が気に入らず、頭から書き直しているのに、元々あった部分も残したりしていたから、もうそれは小説以前に読み物ですらない代物だった。

いま、僕の眼前には、僕の書いた「小説」がある。右下の文字数は、41532字をカウントしていた。

応募の規定は、クリアしている。

しかし、僕はこれを送り出すことができない。

菊地さんの言う通りだ。

これは僕の自分勝手なエゴイズムだ。とても見られたものではない。

僕は小説をゴミ箱に捨てた。こんなことをこの10年ぐらい繰り返して、その間、歳を取り、結婚して子供が生まれ、環境ばかりが変わった。

なんていうか不毛だ。

同じところをぐるぐると回っている。諦めたら楽になるかといえば、そうでもない。始めなかったら、始めなかったで、消化不良を起こす。みっともない犯罪を侵すかもしれない。

煙草を吸いたい気持ちが抑えきれなくなった。エレベーターで1Fに降りたところのそばに自販機が置いてあり、僕はラッキーストライクを躊躇なく買った。ホテルの名前が入ったマッチを受付の人がくれた。

ラッキーストライク。これは僕がはじめて吸った煙草の銘柄だ。家に帰る前に、ちょっとした丘になっている公園の石段に座り、静かに煙草を吸った。高校生のときだ。ランクを落とした公立にも落っこち、滑り止めで入った私立の男子校は退屈極まりなかった。

アルバイトは3ヶ月と続かず、家では、父親に毎晩のように否定された。

高校2年のときに、朝会が終わったあと、何に触発されたのか、学校全体で朝の10分間読書という習慣が始められた。

つまらない学校に来るだけでいっぱいの僕は、どことなく反抗的で、その時間も何も持っていかなかったら、担任が一冊の本を貸してくれた。それは辻 仁成の『海峡の光』だった。

僕はいつも先に期待していた。小学生の時は中学に、中学の時は高校に、そして高校では大学に希望を託していた。現在の自分には、何も可能性を見出すことができなかった。

小説を読んでいる間は、とりあえず自分のことは、脇に置いておくことができた。しかし、小説を書こうとすると、自意識が強烈に現れる。だから、自分の好む作家の作品と比較してしまうし、自慰衝動が起こる。

小説家になりたいというのは、小説が書きたいのではなく、小説家としての立場に憧れているにすぎない。つまり、これまで連綿と続いてきた、ここではないどこかに期待をかけていることの延長に過ぎない。

外は生暖かい風が強く吹き荒れて、庇を縫うように雨が落ちる。屋外に設置してある喫煙所には、僕の他にも数人が一定の距離を保ち、黙々と吸っていた。

煙草を吸えば、少しは楽になると思ったが、単に気持ちが悪くなっただけだった。近くにいた年寄りに、良かったらどうぞと箱ごと渡した。

「いいのけ?ありがとね。」

老人は嬉しそうに笑った。

 翌日、天気はよく晴れていた。僕は、祖母が遺した未支給年金の手続きをするために、平行きのバスに乗った。いつのまにか平はいわき市に名前が変わっていた。そう思っていたが、実際は僕が生まれる前からいわき市であったことをウィキペディアで知る。小さい頃、僕が訪れる度に、脳卒中で亡くなった祖父は平のデパートに行くと、僕を車に乗せて連れて行ってくれたから、記憶に刷り込まれでいるのかもしれない。僕はいわきより平が好きだ。

この辺りは、完全なる車社会であるから、バスの乗客なんて自分だけじゃないかと内心決めつけていたが、続々と人が乗り込んで来た。

車窓から見る景色が、僕の住む街と年々重なってくるのが少しだけ悲しい。昔はこの地固有のレストランや地方ならではの雑貨屋があって、子どもだった僕の心を躍らせた。今はせいぜいマルトやヨークベニマルといったスーパーがある程度だ。

年金事務所が開くまで律儀に閉じられたシャッターの前に立っていたにも関わらず、相談には予約が必要であったことから職員の態度は素っ気なく、おまけに書類が全く足りてないことから、無駄な時間を過ごしただけだった。

このままいわき駅の周りを回遊してもよかったが、目当ての映画がモールの中のシネコンで上映することが分かり、いってこいでまたバスに乗り、来た道を戻った。

とりあえず、せっかく許可をもらったのだから、次は菊地さんとの交信を書いてみようか。

バスが揺れたり振動したりするのに身を委ねる中で、僕はそう決めた。

 映画は、とても良い場面とあまりに退屈な場面がある両面性があったが、総じて女優の演技が光っているように思った。


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