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コーヒー豆の物語を見て、ホンモノを知る

「A FILM ABOUT COFFEE」

こんにちは
こがみのりです(=゚ω゚)ノ


今日は、GTのスタッフで
ある自主上映の映画を見ました


「A FILM ABOUT COFFEE」という映画です


私たちの日常の中に
コーヒーという飲み物は当たり前に存在します


道では自販機で
家でも簡単にできるドリップパックもありますし
最近のコンビニでは、なんとも簡単に
本格的なドリップコーヒーを買うことができますね


食事に行けば、当然の如く
食後にコーヒーが出てきます


何なら水よりも安く売ってる場合もあります


私も小さい頃、母親が手挽きのミルで
コーヒー豆をゴリゴリしているのを見ていました


しばらくすると、とってもいい香りがしてきます
でも、その香りにつられてこーひを飲んでみると
いつも裏切られました・・・


まずい・・・( ̄▽ ̄;)


うちの母親の腕も、十分影響しているのでしょうが
それにしても、まずい飲み物だと思っていました


だから、私はコーヒーが嫌いでした


牛乳と砂糖で「あまあま」にしたもの以外は
絶対に飲みませんでした

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全自動のコーヒーメーカーの落とし穴


そんな私がコーヒーを好きになったきっかけは
北極老人でした


コーヒーが嫌いだから、淹れることなどしたこともない
でも、北極老人はコーヒーが好きで
秘書の私には、コーヒーを淹れることも要求されるのです


そこで、北極老人から最初に教わったのは
コーヒーメーカーの使い方でした


ごく普通の、一般家庭にあるような
豆を入れて、スイッチをぽちっと押すだけの
ただそれだけを、教わりました

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最初に北極老人のコーヒーを飲んだ時
自分の予想をはるかに超えて、美味しくて
コーヒー嫌いな私が飲めるだけではなく
「美味しい」と思えることがすごいと思っていましたが


そのコーヒーは、ドリップではなく
コーヒーメーカーで淹れたものでした・・・


つまり、こだわりのハンドドリップではなく

豆を入れてスイッチ「ぽち」で作られたと聞いて、
されにビックリしました


「こんなに美味しいのに、全自動なの?」
「ドリップで淹れてなくて、なんでこんなにおいしくなるんだろう...」


明らかにいぶかしげな顔をしている私に
北極老人は種明かしをしてくれました


「ポチっ」と押す人次第で味が変わる


コーヒーメーカの前に立っている私に
北極老人は、こう教えてくれたのです

「人は意識や記憶を電気信号でやり取りしているから
電化製品のスイッチを入れる瞬間に
押す人の電気情報が瞬時に伝わるんだ


だから、たとえ、コーヒーメーカーであったとしても
スイッチを「ポチ」する人によって味が変わることは
何の不思議でもないんだよ


電気を通して、自分の心が
コーヒーに映るから


コーヒーの味は、押した人の心象風景とも言えるかもね」


驚いたではすまないくらいの
衝撃でした(笑)


なぜなら、私が「ぽち」したコーヒーは
非常にまずく、とても飲めなかったのです( ̄▽ ̄;)


という事は、それは私の心が「激マズ」ということなのだと・・・
その認めがたい事実を突きつけられた私は

それから毎日、コーヒーメーカーの「ぽち」の度に
色々、試行錯誤するようになりました


何も考えず(無心)に「ぽち」したり
神様にすがるような気持ちで「ぽち」したり
とにかく「笑顔」で「ぽち」したり


思いつく限りにやりましたが、変わらず・・・


でも、隣で同じように豆を入れて「ポチる」北極老人のコーヒーは・・・


うまい・・・orz

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コーヒー豆を祝福する

自分のマズイコーヒーを前に
手の施しようがなく、立ち尽くす私に
北極老人はこう言いました


「美味しいコーヒーを入れようとするのではなく
今、自分の目の前にやってきたコーヒー豆を
祝福するような気持ちで淹れたらいい


コーヒーは産地で成長し
人の手で摘まれ
幾人もの人の手を介して
長い旅路を経てここまで来たんだ


その過程で、嫌な思いや
悲しい思いもした事だろうけど


今、ここで祝福してあげることで
コーヒー豆のこれまでのあれやこれやが全部昇華して
光り輝くようなマメになれば
過去の「影」は、この「光」を見つけるために必要なストーリーだった
という事になるから


だから、美味しいコーヒーを入れようとするのではなく
コーヒー豆を祝福する気持ちで「ポチ」したらいいんだよ

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「A Film About Coffee」
この映画を見て、コーヒー豆を栽培する農園の現状や
関わる人たちの事を知りました


今まで、知ってはいた情報だけど
目で見ることによって、より臨場感を持つことができる


世界中のどの国でも
どこでも、いつでも、誰でも簡単に
安価で当たり前に手にすることができる飲み物


そのコーヒーが、自分たちの手元に来るまでに
どんな人たちが触って、運んできたか知らない・・・
という方がたくさんおられるかと思いますが


その当たり前を支えているたくさんの人たちが
どういう国の人で
どういう働き方をしていて
何に喜んで、悲しんでいるのか


それを知る人はほとんどいません


自分にとっての当たり前の背景を感じることなく
その当たり前にあぐらをかき続けていると


いつか、その当たり前が
当たり前ではなくなってしまう日が来るかもしれません


それは、人間関係でも同じです
いつも当たり前に一緒にいる人

家族、恋人、仲間、友達・・・


当たり前に一緒にいるから、ついつい甘えが出てしまって
感情をぶつけてしまう
自分の都合を押し付けてしまう
相手に対する「礼儀・礼節・思いやり」を欠いてしまう


それが続いた結果
ある日突然、その日がやってくるのです


「別れ」


そうなってから後悔しても、後の祭りです
普段から、自分に与えられた当たり前の
人、もの、場所を大切にすること
背景を感じる事


これらを怠らないようにしたいですね

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今回はコーヒーを通してお伝えしましたが


この映画に描かれている問題というのは

なにも、コーヒーだけについての問題ではありません


お茶や野菜、漁業や人と人とのコミュニケーション全般において
同じ問題が起きています

是非皆さんも
自分にとっての当たり前が


実はとんでもない奇跡的な出来事であったという事を
再認識していただけたらと思います!!


それでは
こがみのりでした(∩´∀`)∩

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