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言葉を重くしたい

「書きたいことはたくさんあるけれど、まだこれは書けない」

ここ最近、ライティングや編集についての記事を出していて、そんなことを思うようになった。

それはひとえに、僕が自分の気持ちに嘘をつきたくない人だからだろう。

実感も実践もできていないことを書きたくない

僕は有限会社ノオト(編集プロダクション)に所属するライター・編集者である。メディア業界は今年で3年目であり、これまでほとんど我流で記事の執筆・編集をしてきた。過去には、1万PV以上のバズ記事を生み出したこともあれば、運営していたメディアの月間PVを0から70万以上に増やしたこともある。

でも僕はノオトに入るまでは、企画の立て方も取材アポの取り方も、インタビューの仕方もロクに知らなかった。これまでなんとなく上手くやれていたのも、たまたまインタビューイーが良い人であったり、聞きたいことが世間のニーズに合っていたりしただけのこと。

そんな僕が最近得た知識をもとに「企画において最も大事なことは〜だ」や「インタビューの本質は〜だ」なんてことを断言しだしたら、業界の偉い人達から飛び膝蹴り(心優しいリプ)を食らってしまいかねない。

それに自分があまり実感できていないこと、実践できていなことを書いてしまうと、どうも嘘っぽくなってしまうところがある。すると、どうしても言葉の力は弱まってしまうため、読み手にも伝わらなくなってくる

だから、自分がそのテーマを語るにふさわしいと思えないのなら、無理に出す必要はないのだ。出せないものを無理矢理に出して、強そうな言葉で飾り立てたところで、所詮虚しいだけ。自分自身は嘘だと気付いているのだから。

自分自身が本当にそう思えるのか

しかし僕は、これを万人に適応させるべきことだとも思わない。それこそ、「お前はふさわしくない人間だから、発言するな!」というふうに他人に押し付けるのは絶対に違うと思っている。

僕が伝えたいのは、「自分を偽らなくていい」というシンプルなこと。自分が本心で思っていることはどんどん言っていけばいいし、知識が足りないものであっても備忘録として残していけばいい。たとえそれが分相応でなくても、本当に思っていることなのであれば、紛れもない真実なのだから。

ただ、あたかも「私はその分野に詳しいです」という顔をして、思ってもいないことを口にするのは正直苦しい。発信者は自分の発言に対して後ろめたさを感じてしまうし、受信者もなんとなく察知して反応が鈍くなってしまう。

そうして偽ることを続けていると自信がなくなっていき、言葉もどんどん軽くなっていく。これはこの業界の人間として、致命的だと思う。

アウトプットすることの重要性

もちろん、どんなものでもいいから、とにかくアウトプットすることが必要な場面もある。そういう場合は例外だ。

先にあげた通り、実感も実践もできていないことであっても、自分の思考や学んだことを残すためにアウトプットするのも大事なこと。僕がこのマガジンの名前を「ライター・編集者の備忘録的な何か」としているのも、そういうことを書いていくためでもある。

その際は専門家面するのではなく、いち学習者として表現していこう。そんなふうに自分の気持ちに対して正直であることで、言葉に重みを感じられるようにしていけたらなと思う。

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