若さとはなんだろうか。
若さとは無知である。よく聞く言葉だ。この言葉の続きは、無知とは無謀さであり、そして無謀さとは可能性である。というようなものであろう。
一理ある。僕が今まであった若者はみなこの若さに突き動かされ、そして夢を見、価値を高らかに語っていた。僕もそうだった。形のない大きな何かがこの先に待っているのだと信じていた。
だけど、若さとは永劫ではない。みないつか老いていく。
では一体いつ、老いていくのだろうか?
それはきっと、神を見、虚無をみ、そして絶望を許容し、世界ではなく、自分自身で何かを語り、諦めと冷徹の中に自分の人生を見出したときであろう。
もっと、シンプルに言えば、もう道を歩く必要も何かを渇望する必要もなくなったときだ。
若さとは無知であるからこそ、外部によって定義された何か価値といわれるようなものに陶酔し、そしてそれに熱狂できる。だが、思考することはいつまでも、人に若さを享受できるような甘えを許してくれるものではない。
急がねばならない、多くを知ってしまう前に、多くを知らなければならない。老いてしまう前に、若さを発揮せねば。
僕は老いが悪いものだとは思ってはいない。
老いこそ、人生の始まりだと思っている。
ただ、無謀な若さでしか準備できないものがあるといっているだけだ。
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思考に映す。