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対談1 崔栄繁さんに聞く、就学活動のすすめ

「みんなで就学活動」は、支援の必要なお子さんが小学校に就学する時にご家族が遭遇する困難や悩みを知るとともに、自分たちにとってより良い選択を描きながら就学できるようにするための“こうしよう”術を、みんなで対話し、つくりあげていくプロジェクトです。
ここでは高橋真さんが各分野の専門家を訪ねて聞いた、多様な視点と具体的なアドバイスをご紹介していきます。

崔 栄繁(さい・たかのり)
1969年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、韓国に留学、ソウル大学大学院に在籍(国際法専攻)。現在は特定非営利活動法人DPI日本会議事務局員として、差別禁止法・条例関係、日本障害フォーラム(JDF)障害者権利条約推進委員会事務局を担当し、障害者権利条約に関するパラレルレポート特別委員会のひとり。現職の他、2008年から独立行政法人JETROアジア経済研究所研究会外部委員、2018年より明治学院大学非常勤講師、2020年から2022年まで関西大学客員教授。2021年から明治大学法学部比較法研究所客員研究員。近著に『障害者権利条約の実施ー批准後の日本の課題』(信山社、2018年共著)、『合理的配慮、差別的取扱いとは何か 障害者差別解消法・雇用促進法の使い方』(解放出版社、2016年編・共著)など。

障がい者に関する法律の専門家、崔さん

高橋 真(たかはし・ちか。以下、高橋さん)支援が必要な子をもつ保護者が小学校を選択をするにあたっては、どうしても自治体や日本の現状に合わせて考えがちになってしまいます。しかしこれからの社会で生きていく子どもたちのためには、より広い視点から就学先を選択することも大切だと考えています。
今日はぜひ、諸外国と比較した日本の現状や、世界が見ている方向性など今後の社会についても教えてください。まずは崔さんのご活動内容からお聞かせいただけますか。

崔 栄繁(さい・たかのり。以下、崔さん)主には法律の面から考える「障がい者の権利」と「教育」に関することを行なっています。元々は学生時代に法律を学ぶ中で、障がい者の人権や権利に関して社会的な認知が不足していると気づいたことが始まりでした。大学院でも法律を学びましたが、障がい者の権利については誰も教えてくれなかったんです。日本に戻ってからは、障害のある人の権利の保護と社会参加の機会平等を目的にした国際NGOであるDPI(Disabled Peoples' International/障害者インターナショナル)にスタッフとして参加し始めました。DPIでは4年ごとに国際会議が開催されるのですが、1998年の「障がい者の人権」がテーマだったメキシコ会議に参加する機会があり、それ以来DPIに関わっているんです。

DPIは国連を含む海外の諸団体と繋がりが強く、海外の最新事例や動向に触れる機会が多いのですが、知るにつれ諸外国と日本の現状に大きな差があることがわかりました。日本では2006年に障がい者の人権や基本的自由を示す「障害者権利条約」ができたものの、見聞きする現実はまだ伴っていないと感じています。なぜ海外と日本との間にこのような差があるのかと考えた時、根っこにあるのは教育の違いだと痛感しました。私の専門は「国際人権」でもあるため、権利保障や法律的な側面から教育の問題を見ることにしたんです。

学校教育、世界の方向性と日本との差

高橋さん 海外と日本では、障がい者をとりまく環境が大きく異なるのですね。そうした中、教育の問題に着目された理由は何でしょうか。また具体的には、教育におけるどんな点に違いがあるのでしょう?

崔さん 日本を含む184ヶ国が参加している「障害者権利条約」では、条約で定められた内容が実施されているかどうか、各国を定期的に審査しています。私は障害者全国団体として日本の事例などをヒアリングし、国連に提出するレポートを作成する1人でもあるのですが、審査の結果、日本は条約の24条「教育」のあり方に関して国連から懸念され、勧告事項が出ているんです。
国連の中で教育や文化に関する活動を行なっているユネスコは、どんな人間も等しいことを掲げていて、”何を正常、または特別や普通などと定義することはできない”と明言しています。社会にはいろんな人が存在するのが当たり前であって、国や社会の都合で作られた”普通"や”正常”の枠から異なる人たちを特別扱いすることは、いじめや差別、虐待、ひいては戦争といった考え方に繋がっていくからです。障がいを持っている人も一緒に過ごせる環境づくりに目を向けて、そのためには垣根を取り払い、あらゆる子どもたちが共に学ぶインクルージョン教育が必要である。これが現在、国際社会が向いている方向性です。

高橋さん 日本は障がい者の教育の在り方について問題がある、とユネスコや国際社会に思われているんですね。具体的には世界にはどういった違いがあるのでしょうか。

崔さん まず根底にある「差別の概念」が大きく違うと思います。わたしたちは、「分ける」ということがすでに差別に当たる行為だと認識しなくてはいけません。同じ地域の子どもでありながら障がいのある子どもだけを別の学校に分けることは、不当な差別にあたるんです。まずはみんなと一緒に過ごせる環境作りを考えること。こうした改善が進んでいるアメリカでは、障がいを持つ子どもの95%が一般の小学校に通っています。仮に障がい者用の入所施設などに入る場合も、本当にその必要があるのかどうかを厳密に確認されるため簡単ではありません。
早くから取り組みを行っていたイタリアでは、”ほぼフルインクルージョンを達成している”とされています。特に中学校では障がいの有無に限らず、同じクラスでも個別ニーズに合わせた学習内容が設定されており、学習評価も個人ごとの達成率を評価する仕組みです。イタリアは70年代に不登校の子どもが増えたことをきっかけに社会全体が改善に取り組み、現在ではインクルーシブ教育における先進国として国際的な評価を受けるまでになりました。
一方、日本の学校は今でも学習達成率を優先しています。学習指導要項が重要視され、みんなと一緒に勉強できない子どもを分けてしまう。健常者と呼ばれる子どもたちにとっても、いろんな人と一緒に過ごす機会が奪われています。イタリアを視察した方から聞いた話では、耳が不自由なお子さんのために手話通訳の先生が付いていたと聞きました。おそらくそのクラスメイトたちは、社会におけるろう者の存在を認識し、日常的に接し方を学んで、もしかしたら簡単な手話を覚えたりして友情を育むこともあるかもしれません。

高橋さん 個別の成長を評価してもらえると、障がいの有無に関係なく、子どもたちの自信や自己効力に繋がりそうですね。一方で、イタリアのような事例がない日本では、地域の小学校に子どもたちを通わせることに躊躇する保護者も多いと思います。色んな子どもたちと一緒に過ごすことが本当に自分の子どもにとって快適なのか、不都合はないのか、と不安に思う保護者も多いですが、崔さんはどう考えられますか。

「社会モデル」という考え方を知ることから


崔さん アメリカもイタリアも、障がいが通学や勉強などの不利になるとしたら、それは個人の障がいのせいではなく、環境整備が不足していると捉えています。これは「社会モデル」と呼ばれる考え方で、この土台があることで当事者と家族だけが苦しまずに済み、みんなにとっていい社会に変わるんです。日本の教育を改善するためにはまず、社会モデルの概念をみんなで意識することが重要でしょう。

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高橋さん 諸外国は国際的な教育の流れにあわせて、地域で共に学ぶ方向に変更しているんですね。子どもが学校に合わせるのではなく、学校が子どもに合わせる形になっている。個人の責任ではなく、社会・環境を整えようとしているのが分かります。

崔さん 変えるためにはまず、保護者を含めた私たち大人が、自分たちが受けた分離教育が本当に正しかったかどうかを考えることでしょう。本当に全員が同じ学力を身に付けることが最優先であるべきか、それによって取り残されてしまった人はいないか、と自問することです。文科省は「特別支援教育」の目的を「障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るため」としていますが、本当に全員が”克服”するべきなのでしょうか?じっとしていることが難しい子、呼吸器をつける必要がある子、目の見えない子、耳の聞こえない子といった子どもたちが、そうではない”普通"の子どもたちと分けられて、まるでいないことの様にされてきた教育で本当によかったのか?多様な人たちの中で経験を重ねることが社会をよくすることに繋がり、それは環境の改善によって可能であることを世界はすでに証明してくれています。克服することだけを是として苦しんでしまう前に、社会モデルの認知をしっかりと拡散することが必要だと思います。

高橋さん 確かに難しい計算問題が解けないことや、漢字を丁寧に美しく書けないことをみんなと同じように”克服”しなきゃと苦しむより、社会で生きていくためには、自分の望みや必要なことを伝えるコミュニケーションを身につけた方が役に立ちますよね。そのためには子ども同士が学校という社会の中で一緒に過ごしながら学ぶことが必要で、そうした環境を作ってあげられたらいいと思います。

悩みの整理と仲間づくりをする

高橋さん では障がいを持ったお子さんの保護者は、具体的に何から始めるのがいいでしょうか。

崔さん まずは、保護者の望む就学先を希望してよい、という理解と、その場合に必要なサポートは全て要求していい、と知ること。これは障害者基本法などの法律で守られている権利です。社会モデルの概念の他、こうした法律や条例を知ることで気持ちが楽になることがあるはずです。
例えば、遠足の時には看護師の介助をつけて欲しい、階段にはエレベーターも設置して欲しいなど、遠慮せずに申し出ていいんです。もちろんすぐに全てが叶うわけではありませんが、伝えないと世の中は変わりません。実際に、これまで声を上げた人たちの労力もあってバリアフリー法は改正され、新設の学校はバリアフリーが義務付けられるようにもなりました。2013年に改正された障害者差別解消法では、「障害者ではないものに対して付さない条件をつけること」は不当な差別行為だと明言しています。障害のある子だけ遠足に保護者が付き添わなければいけないのなら、それは不当な差別であり、学校は相当な理由を証明するか、必要に応じて看護師を手配しなければならないし、保護者がそれを求めていい、と法律が言っているんです。
こうした「合理的配慮」と呼ばれることは、これまで不平等だった機会をみんなにとって公平であるよう行う変更や調整のことで、特別処置とは明確に異なります。合理的配慮をしないことこそが差別に当たりますので、現実問題ですぐに解決しづらいことも、保護者と学校が話し合ってお互いに努力をし合うことが必要です。例えば今年は親が遠足に付き添うけど来年からは看護師を手配してほしい、といった交渉を重ねること。その積み重ねが社会を大きく変えていきます。

高橋さん 子どもが学んだり、遠足に行く機会が平等に得られるよう合理的に配慮してもらえるのは良いですね。一方で、実際のところは親の付き添いを求められるケースもまだ多いので、崔さんがおっしゃるよう、段階的に合理的配慮を伝えられるのが良いですね。

崔さん ただし、交渉や要望提出を1人で行うのは非常に苦しいことです。そのために必ず、先に仲間を作り、一緒に行動すること。同じような悩みを持っている保護者は必ずどこかにいるはずです。パートナーや家族とも意見を合わせて協力するようにしましょう。
どこから手をつけていいかわからない場合は、希望を書き出してみることから始めて欲しいです。例えば、地域の学校に通った場合に必要なサポートは何か、国語の授業で自分の子が必要なことは何か、学校行事ではどうして欲しいかなど、何も遠慮せずに書き出すことで、親御さんの中でも悩みが整理されていくはずです。DPIのような障がい者の人権活動を行なっている専門家に相談する場合も、希望や悩みが整理されていることで具体的に伝えることができます。

高橋さん ありがとうございました。世界の教育の方向性や、障がいのある子どもの権利などを学ぶことができました。私たち保護者も、自分たちが生きてきた時代ではなく、子どもたちが生きるこれからの社会に目を向けて、子どもにとってより良い学びの環境を整えられるよう就学活動を行いたいと思います。

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