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美術館から学んだこと。世界を知り、選択する。

3年に一度開催されるヨコハマトリエンナーレは、今年で7回目らしい。前回は2017年「島と星座とガラパゴス」。そうだ、前回行きたいと思っていた!という事を今更思い出し後悔する。やはり気になる事はすぐに実行に移すべし。しかしその時私が行く事を選択しなかったのも、何か意味があるのだろう。

さて、今回の催しのテーマは「光の破片をつかまえる」。展示物の内容は詳しく調べずに行ったが(特に現代アートを鑑賞しに美術館に行く際はフィーリングで選んでいる)インド出身の3人組がアーティスティック・ディレクターを担うとの事で、新しい感性を取り入れる事を期待し、鼓動を高まらせていた。本来であれば7月頭には開催されるはずだったが、新型コロナの影響で2週間程遅れての開催。世の中の動きや人々の意識に共鳴し、よりメッセージ性が強調されていた。

一つの作品に焦点を当て、考察したいと思う。

1:数ある作品で一番印象に残った「ビキニ環礁」についての映像作品

2:つぶやきから感じる今の世界の共通点

3:世界の選択について思う事


1:数ある作品で一番印象に残った「ビキニ環礁」についての映像作品

まずは美術館の入り口にある<回転する森>に目を奪われ、心の満足度はすでに85%程満たされた。(トップ写真)天井から吊るされた、キラキラ美しくポップなものは、おそらく当てる風の向きや光の入り方、バランスよく、美しく見えるよう緻密に計算されたものだろう。おや?よく見るとニコちゃんマークやピースサインもある。遊び心もあるのね、と、心がニヤニヤ。あれ?でもよく見るとピストルもあるわ。何やらただのピースフルな作品ではなさそう。解説を読むと、アメリカ社会の複雑な現実を表しているのだそう。光と闇は隣り合わせで共存し、それは同時に存在するのね。今回の美術展のテーマを印象的に表していた。

さて、見どころたくさんの展示で、私が一番印象に残ったのは「ビキニ環礁」についての映像作品。正直なところ、美術展の目玉では無さそう。展示の終盤で、端の方にある、立って観るタイプの映像作品。沢山の作品を見て頭も心もいっぱい、足も疲れて来た頃で、私はすぐにスルーしようかと思いながら、何気なく観ていた。「ビキニ環礁」それは歴史の教科書で知っていて、綺麗な海が核実験によって犠牲になったって話よね、と記憶の片隅から知識を掘り出しながら観ていた。映る映像は、とても美しかった。人々は自然の恵みを受け、必要なものを必要なものだけ。贅沢な衣服や家も、不要な飾りも、便利な車や機械も、重厚な建物も無く、ただ美しい自然と共存し、笑顔で溢れていた。そこに突然、全てを呑み込む爆風。いつかテレビで観たあの映像だ。人々は美しい土地を不条理に奪われ、実験は繰り返された。そしてそれを隠すように作られた、巨大なコンクリートの蓋。臭いものには蓋をしろ、とは言うが、何とも荒療治。一部の力を持った愚か者達により、美しい自然と人々の自然は奪われた。

自分の無知を再認識したが、こんな事は私も知り得ない所で沢山起こっている。言われていない事、真実をねじ曲げられている事、メディアでの洗脳。無関心であったり、目を背ける事も罪であるのかもしれない。

2:つぶやきから感じる今の世界の共通点

世界にいいね!つぶやき英語 という番組で偶然見かけたテーマ(NHKの番組で、私は時々らららクラッシックの流れで観る)。様々な問題について、世界中の人がTwitterでどのように発信しているか、取り上げる番組だ。今日のテーマは周庭さんと広島の原爆について。二つのテーマに共通する事は、人々は社会や政治、歴史の不条理さに正しく意見を持ち、反抗している事。今の世の中は情報の伝達が早く、国や地域を超えて個の力が大きく働く。これはビキニ環礁のあった時代との違いだろう。権力者に言われるがまま、なす術の無い私たちでは無い。集団の心理と行動力は権力に勝てるのかもしれない、そしてその力を持つ私たちは、持てる力を行使するべきである。

3:世界の選択について思う事

2で述べたとおり、私達は世界を選択する事ができる。仕方ない、と、権力に屈するのでは無く、自分はどのような世界を望むのか。それは個人に当てはめても良い。どの様な人生を送りたいか。(できれば皆が愛に満ち溢れたものであって欲しい)選択する事も、選択しない事も、全ては自分の責任であって人生の設計図である。(3年前に私がトリエンナーレに行かない選択をしたのも、設計図に反映しているのかもしれない)

まずは自分を満たしたら、次は身近な人の為に、すれ違う人の為に、そして世界の為に、地球の為に、自分が何を望み何ができるのか、小さなことから実行してゆきたい。

2020.8.28

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