海外でお金のピンチ!内定取り消しを乗り越えた波乱万丈転職体験記①
日本には絶対戻れない
「ほら見てみろ」
念願かなって転職することになって2ヶ月ほどたった頃、父の声が聞こえた気がした。
転職先が無事決まったものの次から次にトラブルが起き、まるで転職を辞めて日本に帰って来いと言われているかのようだった。
私は今マレーシアで海外就職し、働いている。
30代で日本で何もかもうまくいかず、思い切って全て捨ててマレーシアに行くことにした。
マレーシアに住んで2年経ち、新たなステージを求めてマレーシア内で転職にチャレンジした。
一人娘だった私は、いわゆる教育熱心な家庭に育ち、正社員絶対主義。
こうあるべき、こうでなければならないと教えられ、自分自身もそんな思考が強かった。
いわゆる日本でよく理想とされがちな「いい企業に入って結婚し、家庭を持ち両親を安心させる」という人生からまったくかけ離れている今の私。
海外生活に慣れてきたとはいえ、どこかそんな親の教えが頭の隅に残っているのかもしれない。
ただ、ここで諦めてしまうと、また日本の生活に戻ることになる。
次の仕事が見つかるまでは実家に戻り、両親にこの年にして無職だと小言を言われることになる。
絶対に帰るわけにはいかなかった。
トラブルが続いて絶望的だった頃。
ビザについて質問するため、イミグレ(イミグレーションの略称、ビザを管理するお役所)に行った時、あるマレーシア人の男性に声をかけられた。
※この記事は実体験をもとにしていますが、物語風に分かりやすくするため小説風にしています。登場する人物設定は架空のものです。
このシリーズは動画形式のインタビューでも見ることができます。
強力な助っ人との出会い
「日本の方ですか?」
日本語で話しかけられて、見ていたスマホから顔を上げると、中華系のマレーシア人と思われる男性が立っていた。
え、なんで日本語?詐欺?!
日本よりも知らない人に気軽に挨拶するマレーシアとは言え、日本語で話しかけられるのは珍しいのでびっくりしてしまった。
その男性はスリムでジーンズにポロシャツ姿で、私と同じ窓口の列に並んでいた。
「は、はい...」
おどおどしながら日本語で返した。
「私はKaiと申します。マレーシア人です。」
「日本語話せるんですね。日本に行ったことあるんですか?」
そもそもマレーシア人がなんでイミグレに用事があるんだろう?
警戒していたのと、正直面倒だったので、早く会話を終わらせたかった。たまにgrab(タクシー)のドライバーなどに話しかけられると、一方的に話されるパターンが多かったから。
でもKaiさんと会話をしていると雰囲気が違った。
日本語はかたことだったので、英語で切り返すと会話がスムーズに進んだ。
日本に仕事で何度か行ったことがあり、日本が大好き。
イミグレには職場の外国人スタッフのビザの手続きで来ていることを話してくれた。
外見は30代後半か40代前半くらい?私より少し上に見えた。
「何て呼んだらいいですか?」
「Sakiです。」
「Sakiさん。Sakiさんの番が来たら、私が窓口でマレー語でお話しますよ。」
マレーシアではお役所の書類などはマレー語で、窓口は英語は通じるものの、マレー語の方が有利ではあった。
ただ正直初対面の人にそこまでされるのは何かあるんじゃないか?と思ってしまった。
「大丈夫です。英語で伝えられるので。」
と返して、さらに話しかけられないようにまたスマホの画面を見て忙しそうにした。
すると、Kaiさんは黙って私に話しかけるのをやめた。
それから、無言で列に並ぶこと15分...
私の番がきたので、窓口に向かった。
転職中だけど、訳あってビザに困っていることを伝え、どうしたらいいかアドバイスを求めた。
窓口にいるオフィサーはマレー系のマレーシア人が多く、英語は話せるものの、マレー語でやりとりしている人も多かった。
オフィサーからのアドバイスは、会社に手続きをしてもらしかない、とのこと。
そして、まだビザの期限まで時間があるので、もっと迫ってきたら改めてアポを取って来るようにとのこと。
その会社の手続きがなかなか進まないから困っているのに...
まあ、でもそのことが知れただけでもよかったかな。
不法滞在を免れるには?
自分の手続きを終えて、イミグレの事務所の外に出ると、なんとKaiさんが待っていた。
「うまくいきましたか?」
「はい、でもまたアポをとってもう一回来ることになりました」
「そうでしたか。マレーシアは日本と比べて遅いですからね。」
日本のサービスや対応が海外に比べてスムーズなことも知っているようだった。
「ところで、アポの取り方は分かりますか?」
「メールか何かするんですか?」
「いいえ、ネットで申請して電子レターをもらう必要がありますよ。」
マレーシアはIT化が進んでいるのでアポもネット予約ができるようになっていることを初めて知った。
「え、そうなんですね!サイトのどこを見たらあるんですか?」
こうして、KaiさんとメッセージアプリのWhats Appで番号を交換し、サイトのURLを送ってもらうことにした。
さすが、慣れている人は違うな。現地の友達は多い方がいいし。でもナンパとか詐欺には注意しよう。
そんな気持ちでその日はKaiさんと別れて家に戻った。
サイトのURLを受け取ってアポを取った後も、Kaiさんとメッセージのやりとりをした。
日本語は少し話せても、書くのは難しいようで、メッセージは完全に英語でのやりとりとなった。
「Sakiさんはなんでビザのことで困っているの?」
「私は前の会社を退職して、すでに転職が決まっています。外国人がマレーシアで働くためにはビザが必要ですが、ビザは1つの会社からしか出してもらえません。」
英語だと説明が面倒だけど、今は転職の合間で無職で時間がある。これも勉強と思って続けてみた。
「転職元のビザがキャンセルされて初めて新しい会社が申請を開始できます。ただ、転職元の会社がビザのキャンセルがなかなかできないのです。」
マレーシア人の人とやりとりすることは何度かあったけど、あまりややこしいと途中でメッセージが帰ってこなくなるので、Kaiさんもそうだろう、と思っていた。
ところが、こまめに返信があった。さすが日本好きだな...
「なんでキャンセルできないんですか?」
「今日のようにアポを取ってキャンセルをする必要があります。それがイミグレの予約がいっぱいで、ビザが切れる1月末のギリギリになってしまうのです。」
「ぎりぎりになると都合が悪いですか?」
「ビザを申請してから承認されるまでは1ヶ月強かかると言われています。それまでに私のビザが切れてしまうのです。」
「2月はマレーシアはチャイニーズニューイヤーで役所仕事が遅くなる時期ですね。」
私のビザは不運なことに、2月2日が期限。
日本では考えられないかもしれないが、お休みモードにはイミグレ含めてマレーシアのお役所関係は仕事が遅くなるのが慣例だった。
「新しい会社からは、2月2日までにビザの申請さえ開始すれば大丈夫と言われているけど、人によってはビザ切れで不法滞在になって罰金を取られたという話も聞いて。」
「そうなんですね。」
「それで、個人でも何かできることがあるか、聞きに行きました。」
今まで正直、マレーシア人とは言語の壁もあり、やりとりが途切れることが多かった。
ただ、Kaiさんは私のブロークンな英語でも意図を汲み取ってくれた。
「なるほど、スペシャルパスを発行してもらえばいいですね。」
Kaiさんの話によると、職場の外国人の同僚も去年のコロナ禍でビザ更新が滞ってしまい、イミグレに駆け込んでスペシャルパスという滞在を伸ばせる特別ビザを発行してもらったとのこと。
なるほど、だからアポをサイトから取るのとか詳しかったんだ。
「今日は会社にスペシャルパスを発行してもらう必要があると言われたので、もう一度確認してみます。」
とその日のメッセージのやりとりは終わった。
大雑把なイメージがある外国人でもまめな人はいるんだな、とびっくりしている私がいた。
コロナと貯金ゼロと帰国
「なんでSakiさんはマレーシアに来たの?給料は日本の方がいいですね?」
Kaiさんとその後もメッセージのやりとりは続いた。
びっくりするくらいマメに返信がある。
後で分かったのが、こちらの人たち、特に中華系の人は友達や家族との連絡頻度がかなり多いようだ。
「よくマレーシアの人にそう言われるけど、日本の仕事はかなりストレスが多いですよ。日本で色々あって、のびのびできるこちらに来ました。」
こちらでは日本製品が広く出回っている。マレーシア製より割高なことが多い。
なので、日本には高級なイメージがあり、日本の方がいい生活が送れるイメージを持たれているようだった。
「もしビザが切れたら一度日本に帰ってまたマレーシアに戻りますか?」
「コロナがなかったらそうすると思います。でも、今私たちのような外国人はビザなしで帰国すると、新しいビザが出てマレーシアに戻れるまで長くかかってしまいます。」
転職活動が落ち着いた時、実は一瞬一時帰国を考えた。
ビザが切れたら一旦日本に帰国すればいい。ただ、周りに話を聞くと、コロナの影響でイミグレの動きが遅くなっているとのこと。
マレーシア内で待つ外国人の方が優先され、マレーシアの外で待つ人の方が時間が多くかかると聞いた。
こちらの生活と日本でビザを待つ生活を考えた。
短期間なら大丈夫。日本で会いたい人もいるし、家を空けて忙しくしていれば親と関わる時間も少ない。ただ、問題は長期化した時。
無職でいつ出るか分からないビザを、肩身狭くニート状態で待つなんて...
想像しただけで耐えられない気持ちになった。
「日本に帰れなくて寂しいですか?」
「日本を離れて2年近く経つので会いたい友達もたくさんいます。ただ、お金や家庭の問題もあります。」
「日本は家賃も物価も高いですからね。」
「お金が沢山あれば、実家にいずに部屋を借りてもいいかもしれないです。日本に長期で戻るとなるとハードに働かないと。」
マレーシアに来る前にはフリーランスに失敗し、借金の返済をしていた私は、日本円の貯金はぼぼなかった。
「日本に帰るとしたらこちらの家賃と、日本での家賃をダブルで払うことになりますしね。」
「そうですね。でももし帰国するならマレーシアの家は解約すればいいです。Sakiさんの荷物を私が預かりますよ。私は不動産の仕事もしていますから。」
「えっ、それは頼りになります!でもそんなの悪いですよ。」
「新しく部屋を借りたい人がいたら、私に言ってください。」
(ここで宣伝するのが、商売人だなぁ笑)
日本人で知り合ってまもない人だと、お金のことは恥ずかしくてなかなか話せないけど、不思議とKaiさんには話している私がいた。中華系の人はお金とか給料の話をオープンにする傾向があるのかもしれない。
その後もやり取りが続き、マレーシアの人もコロナ禍で仕事がシビアなこと。
外国人が入ってこず、家賃が下がってオーナーも不動産業者もつらいことなどを話してくれた。
ん?でも不動産の仕事でなんでイミグレに行くんだろう?怪しい?!
「イミグレで会った時外国人の同僚がいるって言ってましたね?」
「外国人スタッフは、私の上司が経営するレストランにいます。コロナの影響でたくさん辞めて帰国しましたけどね。」
こちらの人はひとつの仕事だけでなく、いくつもビジネスモデルがあるのは当たり前なのか。
辛いのは私だけじゃない。こちらの人も頑張ってるから、まだ仕事がある私は弱音をはいている場合ではないな。と思えた。
まさか!転職活動が振り出しに
そんな中、転職先から連絡があった。
面接から期間があいたので担当者から挨拶をしたいという内容だった。
面談が始まると、前回面談した人とは全く別の担当者が現れ、次々に面接のような質問が始まった。
この時点で不穏な空気だったので、何か嫌な予感がした。
後々リクルーターの担当者とやり取りを続けていると、なんと内定したポジションの採用が見送りになったということが分かった。
つまり実質内定取り消しということ。
連絡を受けたのが1月5日。
前職のビザが切れるまで1か月をきっていた。
(続く)
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