比べることは悪いことじゃない時もある

毎日noteのおかげで精神的に進化していると勝手に自己満足している今日この頃です(笑)

またしても昨日の投稿からの気付き。

昨日は「ほっとくとついつい頑張っちゃう性分の人(自分含む)」についての考察でした。自分を客観視しないと自分の立ち位置がわからなくなる…といった話。(ちょっと言葉変わってる。連想ゲームの恐ろしさ。笑)

客観視をするということは、データがないと客観視できないと思いました。要するに「平均的なデータ」が必要。

昨日書いた話だと育児の話になるんですが、

「子育てを頑張り過ぎてるつもりはない(普通だと、むしろ自分は手抜きだと思っている)」→他人のたくさんのデータを集めると、あれ?私って他のママさんより頑張り屋さんかも?って気付く。

ちょっと子育ての話が続き過ぎたので今日はもっとグローバルな話にしたいと思うのですが、

今日も日常の中でふと、

「私って今、どのあたりにいるんだろう??」

って疑問に思ったのです。どのあたりって、別に具体的な市町村何丁目何番地ではないです(笑)

私の今現在のホットな悩みは「仕事せっかく増やそうとした矢先に腰痛」「色々やるべきことがあるのに捗らない」なんですが。(もっと壮大な悩みもありますが、とりあえず目先の悩み)

そんな自分の立ち位置ってどのあたりなんだろうかと、夕暮れ時に帰路に着きながらふと考えました。客観視をせずに自分のことだけを見つめると、せっかくやろうとしていたことが思うようにできないから絶望の極み…なんですけど、それよりももっとしんどいことは人生にたくさん訪れた(今後も訪れる)わけで、今までもそれなりに乗り越えてきました。

考えると、「自分だけじゃない」という事実は私の場合は時には励みになります。例えば花粉症の人が周りに誰もいなかったら、誰にもわかってもらえない分私の場合はつらさが倍増しますが、今のご時世右も左も花粉症患者なので、共感し合えるだけ少し気持ちが軽くなります(根本的解決にはならないけど)。化学物質過敏症の患者さんは周りになかなか居ないので、なかなかわかってもらえなくてしんどい思いをします。

そう考えると「腰痛」もなかなかの患者数なので、「腰痛が悪化して」なんて誰かに話すと、「ああ…自分もなったことあるからつらさがわかります」と本気で理解してもらえて、少し気持ちが軽くなります。

周りと比べた結果、気持ちが軽くなるのであれば、比べるという行為もうまく取り入れていくのが良いかなと思いました。

反対に、比べた結果がますます自分が落ち込む原因を作るのであれば、無闇に比べない方が良さそうです。

私は女性であり、年齢は40代、子供1人を育て中。昨今の世の中はジェンダーレスであり年齢も関係ないし、子供がいようがいなかろうが皆の命と生き方は尊い。しかし、境遇が近いというだけで共通するという項目は少なからずあるので、自分とそもそものデータが近い人とは共感できる内容が多くある可能性は高まります。ですので、このnoteでも子育てママさんの投稿なんかはとても共感するものが多くて、読んでて泣いてしまうものもあるし、そうだよね、そうだよね…とスキ100回くらい押したくなります。

なので、やっぱり、リア友さんだと息子と同学年の子を持つ近所のママ友さんとは気持ちが通じることは多いです。

そして、全く共感する部分が同じということではない。

趣味つながりの友人も複数います。その友達もまた、子供がいるいないは関係なく共通の価値観があり、気持ちが楽になることが多いです。

「女性は共感を求める生き物」の傾向があると言われていますが、今までお会いした人はだいたいそれに当てはまることが多いと分析しています。

もちろん多数には当てはまらないという人もいて、その人はまた類稀な特殊な能力の持ち主の可能性もあり、尊い存在です。しかし、「この境遇の人には〇〇の傾向の人が多数存在する」というデータはとても役に立っています。

人のことを「役に立つ」だなんて失礼な言い方ですが、誰かを利用するという意味ではなく、「データ分析を人類の悩み解決、幸せのために役立てる」という意味で考えています。

ですので、私が「やりたいことがたくさんあるのに腰痛で絶望的」という自分のことだけ考えたら絶望感溢れてしまい、ネガティブ街道まっしぐら(実際に先週はそんな気持ちでした)な状況ですが、ふと客観的に見て、

「腰痛って大人あるあるだよね〜」

「とりあえず早めに気づいたし今は良い整体院もたくさんあるしね〜」

「悲観的になるような内容ではないと思う。人類の全体像を見たら」

と。周りと比べるということで自分を励ます。

うーん、でも…なんか今日の内容、書いててわかりにくいし説得力薄いような気がしてきた…(汗)

とりあえず、例えば今「成績が思うように上がらなくて絶望的」とか「毎日が忙しすぎて絶望的」とか「恋人と別れて絶望的」とかたくさんたくさん人は悩みを抱えながら生きていると思うけれど、

「みんな、生きてて、時にはそんなことも、ある」

ということが、自分を励ましてくれやしないだろうかと思ったのだ…。

うーん…

今日は(今日も)、説得力ないなぁ…ごめんなさい…涙。

とりあえず腰痛は人類あるあるだから(2足歩行がそもそも無理ゲーらしい)、どうにかこうにか対策を練って、また人生やりたいこと頑張るしかない!!!

お読みいただき、ありがとうございます。

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