個星(こせい)
「こせい」とは、「個性」と書くのが一般的で、辞書には自分らしさと意味付けられている。ある日、高校の同級生から励まされた時のこと。「俺は個星と書くんだ」と言われたことが、今だに忘れられない。
昨日、僕のnoteのタイムラインに、フォロワーの柊木マキさんの最新noteが流れてきた。
ここ1年ほど様々なジャンルのYouTube映像を僕は拝見してきたので、興味津々で再生ボタンを押した。およそ30分ほどの動画。もし仮に映像が見られないとしても、音声だけの聞き流しで楽しめる内容と感じた。
※なお、この本文を読み切ってからでも、柊木さんの動画へ進めるよう末文付近にも動画リンクは貼っております。
個性を育みにくい国
その内容で、日本の学校教育に関するお話をされていた。日本の学校教育は遅れている。AI時代の到来と言われているのに、今だに暗記を強いる教育であること。
苦手な科目の点数を上げ、平準化するように教えられる。例えば30点を50点まで上げさせる努力を強いるため、勉強が嫌いになり、全体の点数が下がる悪循環。
逆に、世界は好きな科目に力を入れさせる教育。70点取れる好きな科目を100点に伸ばすように追求させる。得意科目が伸びると、学ぶことが好きになるから、他の教科も伸びる好循環。
また日本は個性がない、消されてしまう教育現場とも。ここに、僕は最も共感を抱いた。
自ら学ぶ習慣を育もう
ここからは僕の意見である。個性がない。この象徴と僕は思っているのが、制服だ。その容姿を見ただけで、学校まで判断ができてしまう。毎日同じ服。右も左も同じ色。少しでも装飾しようものなら、校則に反するからと生活指導の先生から怒られる。怒る当人は、毎日違う色のスーツを着ているにも関わらず。
さらに、遡ると小学校のランドセルだ。現代でこそ、カラフルなランドセルが見られるが、僕らの頃は男子は黒。女子は赤と決められていた。しかも日本全国。この右ならえ右の教育方針が、今。強いて言えば、日本型雇用を維持するための教育方針が、世界からどんどん取り残される現実を生んでいる。
では、これからどう対処すべきか。動画の中でも触れられていたが、『自分から学ぶ習慣を身につけていくこと』だ。今はいつでもどこでも年齢も関係なくスマホさえあれば、学べる世の中。極論、学校は不要になる。先生で生計を立てている方々がいるので、学校がすぐに無くなることはないだろう。
しかし、学校に行きたくなければ、行かない選択肢があって良い。オンライン上で得意をドンドン伸ばせば良い時代。義務で学ぶ時代は終わった。自ら主体的に学び、創造性を発揮できるように努めるべきだと僕は思う。
ただ、右ならえの教育で長年培った習慣は、簡単には直らないので、猛烈な努力は必要だと心得るべきではある。
個星を発揮し、己の道を明るく照らせ
そして、冒頭の『個星』である。同級生は僕にこう告げた。「個性ってあるじゃないか。俺は「個」に「星」って書くって思っているんだ。個性って宇宙(そら)に輝く星のように、それぞれが輝くものだから。その輝きを放つには、努力を重ねたり、工夫したり、時には耐えたりしなくちゃならない。今のお前(高志)を見ていて、残念だけど輝いているように見えない」と。
厳しい激励だった。でも、こいつの友達であることを感謝した。
僕の好きな著書「嫌われる勇気」にも、こんなキーワードが登場する。それは「導きの星」。これは他者貢献を意味するのだが、この言葉にも「星」という文字がある。
小学校の時、星は空気の澄んでいるところほど、多くの星が見れると知った。その輝きは多ければ多いほど、夜でも歩くのに不自由しないほど足元を明るく照らす。
つまり、個星を磨き輝きを放てば、やがて周囲に影響を与える。すると、周りも輝き始め、夜空の星の如く、たとえ暗闇でも自分の歩く道を明るく照らしてくれる。我が視界が開けるのだ。視界が広がれば、勇気が出る。
さぁ、今日も個星の輝きを磨いていきたい。
🙇♂️ただただ🙇♂️お願いします