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優柔不断だった僕が3秒で正しい選択ができるようになった理由

迷う迷う

私は優柔不断である。
気になる服があった時にどっちの色にしようかすごく迷う。ラーメン屋に行った時も大盛りにしようか並盛りにしようかすごく迷う。しかし醤油か塩かで迷うことはない。ラーメンは醤油派である。
友人との会話の中で何ラーメンが好きかという話題になることがある。友人:「僕はまぜそば派かな。」私に言わせればまぜそばはラーメンではない。ギリシャヨーグルトとブルガリアヨーグルトくらい違う。ギリシャとブルガリアは763.2kmも離れている。ブログで書くことがなくて困っている人は「ギリシャ ブルガリア 距離」というキーワードで書けば、今なら1PVがもらえる。
要するに私は優柔不断である。

自分は周りの寄せ集めでできている

私が高校生の時、国語の模試か何かで出てきたとある文章が未だに忘れられない。「人間は周りの人間の寄せ集めで出来ている。」題名は忘れたが確かこんな感じだった。

あそこのラーメン屋、この前テレビで紹介されていたから行ってみよう。あの俳優の服カッコいいな、同じやつ買ってみよう。いい大学を出ていると社会から認められるのか、頑張って勉強しよう。

あなたの行動や性格はすべて外部から影響されて決定されている。一見、自分で決めたことのように見えても、どこかで外部からの影響を受けている。アメリカの起業家ジム・ローン氏もこんな言葉を残している。

あなたはもっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である。

この言葉からも、自分は周りの人間から影響されてできていることが分かる

自分らしさって何なのか?

「自分」というものが周りからの寄せ集めでできているのであれば、自分らしさなんてのはないのではないか。そう考えてしまう。しかし、自分と全く同じ人なんてこの世に存在しない。では、自分と他人に違いを与えているモノは何なのか?それは洗濯である。

Aさんは3日に1回洗濯をする。Bさんは毎日洗濯をする。このような洗濯の頻度・使う洗剤・ドラム式orタテ型などによって自分と他人を区別しているのである。

勘のいい方ならお気づきかもしれないが、選択と洗濯を間違えている。「せんたく」と打ったら「洗濯」と変換されてしまった。

小学生の時、問題を解いてもし自分の答えが間違っていたとしても消さなくていいと教えられたはずだ。間違いを残しておくことで、自分がどう考えて間違いをおかしてしまったのかを振り返ることができ、二度と間違わないようにすることができる。

子供にはそう言って教育しているのにも関わらず、大人は自分に不都合なことがあるとすぐに隠そうとする。これは良くない。私も23歳になり、これからは教えてもらう立場ではなく教える立場に回ることが多くなってくる。そのときに自信を持って子供たちに指導できるように、ここではあえて間違いを残しておくことにする。二度と間違わないように。

話を戻そう。自分と他人に違いを与えているモノ、それは洗濯である。夏休みに行った沖縄の高級ホテルの朝食バイキングを思い出すと分かりやすい。並んでいる食材1つ1つはホテルから提供されたものであるが、客の皿の上を見てみると自分と全く同じセレクトをしている人は1人としていない。

つまり、選択こそがあなたをあなたらしくしているモノなのである。

自分らしく生きる

自分らしさを表現するための方法が「選択」であるとすると、選択を他人に委ねてしまっては自分らしさを表現できないことになる。

これからの人生の中で迷うことはたくさんあるだろう。それが人生に大きな影響を与える選択であるほど迷いは大きい。しかしあなたの選択に間違いなんてない。あなたが決めたその選択こそがあなたらしさであり、あなたの人生そのものであるからだ。

もし間違いがあるとすれば、それは選択を他人に委ねたときである。


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