難民フォトグラファー
みなさん難民って言葉を知っていると思います。
ニュースなどで聞いた、または学校で習ったとか。
難民にお会いした事ありますか?
日本では難民受け入れはおろか、海外移住者の受け入れ
就労ビザ関係に関しても非常に閉じた国なので、
日本で難民に会う事は、そうそうないでしょう。
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今回は私がトロントで出会った
難民フォトグラファーの思い出話です。
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2013年、冬。
-20℃くらいのトロントのダウンタウンで
私が一人雪の中を写真を撮ってたら、
カメラを片手に持った、ヒゲモジャの男の子が
話しかけてきました。
すごい強いアクセントで
「Do you like taking photos?」
多分、季節も夏で人もたくさんのトロントのダウンタウン
だったら、怪しんで無視してたと思う。
でも何でか、その時、彼が薄着だったからか、
他に人がいなかったからか、
ダウンタウンでもしんしんと静かに降る雪だったからかなのか
今考えても分からない。
その時は英語も下手で、人と話すのが嫌だったから、
普段なら間違いなく無視したと思うけど
何故かその時は「Yah, you ?」
とか返してたと思う。はっきりは覚えてない。
お互いコミュニケーション取れる程でもなく
でもその日少し、一緒にphoto walkをした。
別れ際にケータイの番号を交換した。
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後日また、photo walkした。
その時、彼が「I am a refugee」
と言った。何 refugeeってその場で調べたのを覚えてる。
refugee=難民
え?難民?何でこんなとこで写真撮ってんの?
よー分からんけど、まぁいっか。
その時、あまり深く考えなかった。
仲良くなるうちに写真撮る合間にカフェとかで
お互いの話をするようになった。
そこで私が聞いた話は
自分は難民で、とある中東の国から従姉妹と
難民支援団体の支援でパスポートを持たずカナダへ亡命し、
カナダへ難民申請して、今ここにいると。
彼は中東からカナダへのいくつもの国境、海を超えた。
彼の家族、両親は中東の国にいる。
家族の話をする時はいつも泣いていた。
私より若い男の子だった。
内戦の傷、心の傷。
私の想像を絶した。
彼が持ってたカメラは父親から亡命の際に譲り受けた
古いCANONのフィルムカメラ。
彼は日本の事も少し、知ってた。
凄く日本を称えていた。
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出会った頃の彼は、難民としてカナダ政府に保護され
basic incomeをもらって、英語の語学学校もカナダ政府の
難民支援プログラムで通っていた。
その頃の彼が住んでた家は、トロントの外れの
治安のよくない、ベースメントの家(地下室)
いくらカナダ政府からbasic incomeをもらっても
トロントの物価は高い。
身辺調査の間は仕事などもできない。
basic incomeで食べ物と、フィルムを買ってた。
現像は仕事を始めたらするんだって。
そして家族にいつか見せるんだって。
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1年くらい経って、就労が認められ、
彼が最初についた仕事は、2014年トロントのダウンタウンが
アジア人投資家によってどんどん建てられた、
ビル、コンド建設の際の内装の掃除係り。
やはり言葉の壁が大きくて、そういう肉体労働でも
苦労してそうだった。
とにかく這い上がりたくて、昼も夜も掛け持ちで働いてた。
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そのうち彼は頑張って、ダウンタウンの外れの地下室から
ちょっと市内の駅路線の、もう地下室じゃない、ちゃんと窓のついた
外も見えるアパートに引っ越した。
遊びに行ったら、よく彼の母国の謎のご飯を作ってくれた。
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彼が働き出して、写真を撮る機会は減ったけど、
月1くらいで会った。
会う度、彼は炊飯器買ったよ!掃除機を買ったよ!
テレビを買ったよ!Netflixってすごいね!
最近は映画を見ながら寝落ちするのが好き。
内戦、宗教対立の国で育った彼には
カナダでの自由が全てが新鮮そうだった。
そういう彼のカナダでの新たな生活の進展が私は本当に嬉しかった。
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2016年彼はカナダ永住権が認められた。
彼は永久的に安全にカナダに住める。
でも永住権だけでは、まだ彼は家族に会えない。
パスポートがないからだ。
永住権とカナダ国籍は違う。
彼は次は、市民権=カナダ国籍=カナダパスポート
まだ家族に会えない。
カナダパスポートを持ってカナダ市民として自身の国に入国しなければ
亡命の罪で一生牢屋、または殺される可能性がある。
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彼は働きながら、写真を撮って市民権を待った。
仕事も相変わらず頑張って、車も買った。
2016年には出会った頃にはお互い思いもしなかった、
彼のドライブで郊外へ写真の冒険へ出かけた。
その頃にはお互いの英語もマシになって
良く話した。
彼の国の事、宗教、日本、カナダの事。
将来の夢。
楽しかった。
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昨年彼は無事にカナダ市民権を取り、パスポートを受領した。
カナダ国籍として亡命した母国へ
カナダで撮った写真を持って、家族に逢いに行った。
無事、ご両親に再会を果たした。
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先週、そういえばあの子どうしてるかなと思ってメッセージした。
返信なくて、ちょっと気にしてたら昨日返事がきた。
山奥でキャンプしてたって。
トロントは冬が長くて、夏が本当に短い。
彼はトロントの夏を楽しんでいた。
そして、コロナが収束したら、家族呼び寄せプログラムで
両親もカナダへ呼ぶと。
その為に、もっと働くと。
両親を無事呼んだら、大学に行くのが夢と言ってた。
私の友達、難民フォトグラファーは強い。
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