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恋人が全てだった頃@6YEARS

こんにちは、サバトラです。
今回はNetflixで観た『6YEARS』の感想です。
1時間20分と短めでサクッと観れるので微妙な隙間時間などにどうぞ。

6YEARSのあらすじ

2015年のアメリカ映画で監督はハンナ・フィデルといって当時30歳の若手監督のようだ。主演はタイッサ・ファーミガとベン・ローゼンフィールドの二人で、あまり馴染みはないが爽やかな美男美女。

メル(タイッサ・ファーミガ)とダン(ベン・ローゼンフィールド)は付き合って6年になるカップルで同じ大学に通っている。元々幼馴染だった二人の交際は順調に思えた一方で深夜に大喧嘩をしてメルに突き飛ばされダンが頭を切り病院に行くという事件が起こったり、二人の付き合いには意外と安定感がなく時折不穏な様子。
ある日ダンはメルをインターン先のパーティに誘う。乗り気でないメルを1杯だけ!と説得してパーティに参加するが、結局内輪のノリについていけないメルは先に帰ってしまう。メルが帰ってしまった後、ダンは同僚のアマンダと出来心でキスしてしまい、そのことがひょんなキッカケでメルにバレるところから物語は加速していく。

全体を通して丁寧な映画

全体的に派手さはなくて、若くて美しいカップルがキレイに切り取られてる。無音でちょっとおしゃれなバルとかで流してそうな感じ。
でも、結構細かいところに情緒があって真剣に観ると結構起伏がある。例えばダンがアマンダとキスしてしまった翌日、普段は用意しない朝食があることにメルが驚きながらも喜ぶがダンはその姿をなんとも言えない表情でやり過ごしている。メルは二人の関係になんら疑いを持っていなくて、ダン自身もその姿を眺めることで自分たちの関係に問題はないと言い聞かせているようだ。

他にも『6年も続いてるとセックスに退屈するはず。刺激が必要』などと周りに煽られたメルがAVを観ているところにダンが帰って来てしまい、挙動不審さから一連の次第がバレてしまうシーンなんかも青くて、若くて、いじらしい。

こんな調子で自分が10代や20代の頃に隣で起こっていたようなことだったり、まさに自分が体験したようなことが散りばめられている。
少女漫画の実写化映画を観るようなキュンキュンを求めると退屈な映画かもしれないが、一人で静かにちょっと感傷に浸りながら観るにはぴったりなのだ。

少女たちの試し行為

はっきりと描かれていないがメルの家庭は父親がなんらかの理由で不在のようで、家を処分することを随分前から検討していたくらいには訳有りの様子だった。

ほとんど妄想めいているが、生まれ育った家庭で寂しさや愛情の不足を感じる少女は反動で恋人に病的な承認欲求をぶつけたり、幼児が母親にするような試し行為をしがちだと思う。ただし、少女たちは幼児ではないので、大抵やらかしてから物凄く自分に萎える。そして相手に見放されるのではないかと取り乱して、必要以上に縋ったりしてメンヘラと呼ばれたりする。

メルにもそのような匂いがする。
『私が正しい。私から離れるなんてありえない。常に私を優先順位の一番上に据え置くべき。』というヒステリックは一見非常に自己中心的に見えるが、『私がどんなことをしても相手が受け入れてくれる。……くれるよね?』という承認欲求が根底にあって、自己肯定感の低さや承認欲求の強さの現れでおおよそ自己中心的という言葉とは正反対のメンタリティなわけだ。

自己肯定力というハイヒール

今回はそんな危うげな少女だったメルが一つ大人になるまでの話で、きっと彼女はちょっとずつ自分で自分を承認してあげられるようになる。そして時々幼い試し行為をぶり返し、自己嫌悪する。それを繰り返して自己肯定力を養っていくんだと思う。

自己肯定力はハイヒールみたいなもので、全女性の強い味方だけど履き続けるのは足が疲れるしシンドイ。修造を心に住まわせて自分を鼓舞し続けるのは時々シンドイ。でもシンドイを乗り越えるとちょっと自分を好きになれる気がする。メルを観ているとそういう藻掻いていた頃のことをちょっと思い出した。

シナモンをかけたホットココアをお気に入りのマグに淹れてチビチビ飲みながら。

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