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レポ=人工股関節全置換術

★人工股関節全置換手術 =4= 手術

=手術前日=

入院は手術の前日でした。いくつかの検査や爪を切る(家で切っていたのでナースに合格をもらいました)というのがありました。帝王切開のときのように剃毛もあるのかと思っていましたが、それはなかったです。(少なくとも後方アプローチには関係なかったらしい)

そういえば手術の十日ほど前、肺のレントゲンや心電図、血の止まりやすさ、HIV感染など複数の検査を受けました。全身麻酔や手術そのものにたえられるかどうか、というものでした。前日は採血はあった記憶がありますが、大きな検査はなく、ごはんも普通に出ました。

朝一番の手術でしたから、夜10時以降は固形物禁止、0時以降は水分も禁止でした。

点滴がひとつつきました。点滴についてはあまり細かくは覚えていません。ただわたしは血管のつくりが網目状でものすごく点滴にいい場所を探すのが難しくて、ナースを悩ませました。なので一度うまくいったところは、点滴をつなげないときもテープやネットで大事に温存していました。

院内完全禁煙。春までにたばこやめといてよかったです。

=手術当日=

説明書には「歩いて手術室に行きます」とありましたが、ドラマのような動く手術用のベッド(ストレッチャー)に乗っていきました。そしてストレッチャーから手術台には自分でじりじりと移動したのですが、狭い!きっと足を動かしたりしやすいように身体の幅しかないんでしょうが、わたしでこんなに狭いということは、もっと太った人なら平均台の上に乗ってる気分じゃないかと思いました(笑

驚いたことがひとつありました。

書かなくてもいいことですが、書いちゃいます。わたしは更年期障害というかもうほぼ月経が来ない状態で、一般的には一年に一回来なくなったら「あがったとみなしていい」くらいなのを2~3年過ごしていて、少なくとも今年はもう春先に「やっぱり卒業じゃなかったのかー」っていうのがあったばかりだったのでまさか、このタイミングで来ると思ってなかったのですが、それなりに緊張していたのですね。

五日ほど前に生理が来てしまいました。もう経血はあるかないかだったのですが「気になるようならT字帯じゃなくていいですよ」とナースが言ってくれ、自分のショーツで手術室に入りました。ただ目が覚めたらちがう何かになっていました。(おそらく紙おむつじゃないかと)。あまり記憶が定かではありません。

そういえば、台に移動したときすごいことが起きました。

「あららら!これどうしたのかしら。めっちゃ血みどろなんだけどどこから出てるの?」

ナースの冷静なんだけど慌ててる声。

たどると点滴の針からだらだらと流血していました。しかしいろいろ引っ張ったり押したり(かなと思う)脱脂綿で拭き取ったりしてみると「点滴漏れじゃなく、血管から血が漏れてるみたいね」

という結論に。

「これ、今すごく血だらけな状態なんですよ。ただ今は処置しないで後で目が覚めるまでにはきれいにしておいてあげますから、安心してくださいね」

と、言われました。

「じゃあ、はじめますよ」

と先生がおっしゃり、わたしは「よろしくお願いします」と、部活の後輩のような声で言いました。

次に記憶に残っているのは、全身麻酔前の背中への麻酔です。

お得意の横道にそれた話をします。

それは十四年前の帝王切開の日。やはり背中(背骨の隙間)に麻酔を打ったのですがともかく双子がおなかに入ってるもんだから「背中を丸めて~」って言われても全然曲がらないわけです。

「猫みたいに丸めて~」

という先生のお言葉にわたしは思わず反応しました。手が・・・・肉球の形をかたどって握られていた。

しかし先生は冷静に言った。

「手はいいです」

あのときの先生、普段はなよなよした頼りない感じだったけど、メス持つ日はすごくしゃきっとしてたな。自信に満ち溢れているというか。医師っていうのはやっぱり「これが好き」というものがないとできないハードな仕事だと思うので、あの先生の場合オペが命だったんだろうなと、思ったり。

さて。

話は戻りますが、今回も股関節痛があったので、本来の柔軟性からみてあまり背中が丸まったと思えませんが、麻酔には困らなかったらしく注意を受けることなく、あの気持ち悪い・・・いかにも急所を突かれたっぽい感覚とともに、もうその時点で麻酔の海に眠っていきました。

あれ・・・わたしってこんなに麻酔ききやすかったっけ・・・。

って、自分で思った記憶があります。

上記のホームページは麻酔や術後の痛み止め(PCA)の説明が詳しいです。

麻酔からさめ、気づいたら、肩をたたかれ「終わりましたよ~」ってナースに言われました。すでに右足が感覚が戻り始めていて、足先までちゃんとつながっていることがわかりました。切った痛みはなかったので、手術をしていたこと自体がすごく不思議な感じでした。

音楽がかかっていてそれは「俺たちひょうきん族」のエンディングのEPOの「ダウンタウンに繰り出そう」でした。それをきいて「EPOが聞こえる」とわたしが言いました。言いながら(先生なにげに同世代だなたぶん)と、思いました。たぶん手術中テンションをあげたりするためにかけてるBGMなんだと思う。あの時代の曲を選ぶってことがもう、仲間です。なんだか術後にもかかわらず、すごく幸せな楽しい気分になりました。

「無事終わりました。成功してますよ」

と、先生が言いました。

わたしは次の心配を口にしました。

「全身麻酔のあとって、せん妄状態になったりしないんですか?」

いきなり聞かれてナースは「この時点で大丈夫っていうことはきっと大丈夫ですよ」ってまじめに答えてくれた後「そんなご心配なさるなんてよく知ってますね!」って笑われました。そして「え?なんておっしゃったの?」「せん妄状態を心配されたのよ?」「えー、なんか通ですね」と、ほかのナースにも笑われました。

子どもが小さいとき全身麻酔をすることがあり、そのとき眼ざめになる場合があると説明を受けたことを突然思い出したのですが、わたしは何故この瞬間に思い出したのでしょうか。そんなこと事前にきいておくべきことです。

ただ今考えると「足をしばらくは動かしちゃいけないんだよな」という気持ちが「もしせん妄状態とか寝相が悪いとかでいきなり大暴れしたらどうしよう!」という不安につながって思い出したんじゃないかと思います。

手術台からストレッチャーに移されるときあまりにも軽々移動したので「皆さんすごいですね」といったら執刀医が

「普段は6人ですが8人で動かしました!」

と、やたらと胸をはっておっしゃったことが印象に残りすぎました。いくら6kgダイエットしたといっても、6人じゃ動かせない重さなんだなと思うとまた笑いたくなりました。

今思うとちょっとハイだったのかも。

ただ部屋に戻った後、すごく寒くて気持ち悪い感じになり、ぶるぶる震えがきました。毛布やいろんなものをかけてもらい、「お休みになっていいですよ」って言われて、いっぱい寝ました。

沢山管がついていました。尿管、背中の痛み止めの管、点滴の管、手術した脚からの出血を受け止める管、ほかにも呼吸や心拍をはかるものなど、ほんとうにじゃらじゃらついてて、おまけに腿は四角い枕で固定され、たしかベッドは少しだけ起きた状態に上げられていたと思います。

=手術翌日=

「褥瘡って何日目からつくんだろう?」って心配になるくらいじっとしていた気がします。自分がこんなにもじっとしていられる生き物なのが不思議でした。おなかもすかないし、のどもほとんどかわきません。すいのみを使って少し水を飲んだ気がしますが、ベッドを電動で起こしたり寝かしたりしただけで、ほとんど動けませんでした。

夫がテレビを見たらとかスマホを見たらとかいろいろ準備してくれていましたが、本当にただただ、眠っていて、考えるというような作業もなにもしなかったと思います。

また帝王切開の経験になりますが、あのときは術後子宮の戻りの痛み止めを副作用のおそれあり使えなかったので、本当に痛くて大変でしたが、その時から比べたら、すごく楽でした。ただ機械的な足のマッサージだけ、あまりツボとは関係なく圧を与えてくるので「どうせならもっと足裏マッサージみたいに気持ちいいのがいいな」って思った記憶があります。

だけど実際にはもう翌朝から、いきなり普通のご飯を起き上がって、自分で食べなくてはいけませんでした。起き上がってと言っても電動ベッドを上げるのですが、ふとしたはずみで切ったところに痛みがくるので、何もかもスローモーションでした。

まだ手術痕からの出血があったので、手術翌日はその管は抜けませんでした。採血をしました。

朝一番には温かいタオルが配られ、わたしは拭くのを手伝ってもらいました。このときもとても心が静かだった記憶があります。手術後はわりとハイだったのに、そのあとは波がまるでない、なぎの海のような状態が続きました。

ごはん140gって献立に書いてあったけど、半分も食べられません。糖質制限ダイエットにちょうどいいな。と、ぼんやりと思いました。

=術後2日目=

病棟の主治医が来て「採血をしたけど貧血はないようですから、もう血を抜く管は取りますね」と、言いました。ナースが「まだ車いすは無理だと思うので、お小水は管から抜けるけど、便はおむつにしていいですよ。リハビリは明日からになるので、そこで車いす移動の練習をしましょうね」と、言いました。

さてここまででわたしは気づいたことがあります。

病棟において手術室もそうですが、ナースの役割が十四年前出産した時よりずいぶん大きくなっているということです。例えば点滴も、以前は夜勤の医師が変えてくれないと差し替えられなかったり、入院生活の指示や段取りなど以前なら聞き取りはナースがしても、最終的には医師が説明していたようなことも、「ナースで相談して決めます(場合により医師も同席しているのでしょうが)」という言葉がよく聞かれることでした。

(このあたりの境目は表から見ていることと内部が違ったり、専門用語を聞き違えている部分もあると思うのであまり詳細には書けません)

ナースの特定行為の拡大についてその利点や問題点についてまとめているサイトです。

https://www.min-iren.gr.jp/?p=24383
(民医連新聞 第1602号 2015年8月17日)
10月スタート看護師の特定行為に関わる研修制度
どうなる?ねらいは?

ナースはなんでも相談に乗ってくれるし、わたしが入院した病院はわりと人手不足という雰囲気もなく、もちろん大変そうではあるけれども充実した看護だったと思います。だからこそ、彼女たちに「簡単だから」と仕事を重たく増やしていくことはどうなのか?という疑問も持ちました。

それから三日目にはリハビリに入ります。病人然としているのは、本当にここまででした。そしてだんだん周囲のことも気になるようになってくるのですが、次回に続く。

自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。