透明人間の独白

自分の姿を見たければ、ひとは鏡の前に立つのだろうが、僕の部屋にあるのはマジックミラーのみで、厄介な事に、そいつは僕の姿を映さない。

名前、性別、家族、過去。好物の食べ物、着る服、恋する相手。そのどれもが一瞬ごとに移り変わるため、意地くその悪い魔法鏡と同じように惑わしてくるので信用がならない。

その「移り変わる事」こそが、鏡の伝えたかった「僕の姿」だと気づくまでしばらくかかってしまった。マジックミラーだと思っていたものの正体はきちんと正直な普通の鏡で、何も映さないのはぼくが透明人間だったためだ。

様々な天気や色を見せる空が本当は無色みたいに、絵の具をといて変化してゆく水のように、色々な温度で吹き付けて香りを運ぶ風のように。

自分でさえ見ることの叶わない透明人間の顔はどんな表情、どんな顔つきをしているのかさっぱりわからないし、仮にもしスワンプマンが入れ替わったとて、死んで幽霊になっていたとしても、やっぱりぼくにはわからないのだろう。

鏡の前に居るのかも定かではない透明人間がぼくでありそこに居ると確信できるのは、描いた絵がそこに増えてゆくからだ。他人のものでは無いぼくだけの絵が描けることは、戸籍や家族なんかよりずっとずっと強く「ぼくが存在している」と示してくれる。

コールタールに体を突っ込めばひとと同じく手足が見えるようになるのか、と悩んだ夜が無いわけでも無い。透明人間も不便なのだ、ひととはぶつかるし、今のぼくのように、自分の生を忘れて不安になるばかりだから。

そういう意味を第一に持つのが俺の絵なので、誰かに想いを伝えようだとか、見たひとにこんな気持ちになってほしいだとか、そうしたことを考えて絵を描く余裕は正直、まったく無い。生きるか死ぬかの瀬戸際で必死に溺れかけながら呼吸をしているのに、横の誰かに人工呼吸なんかとてもじゃないができやしない。他人のために絵を描くのは、そんな理由で諦めました。

感情も表情も見えない、存在の定かではないこんなぼくが、自分が安心するためだけに描く絵を見た誰かが「いいな」と思ってくれるのは、嬉しいです。

ฅ^•ω•^ฅ

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