Mark Speer~ビートルズでさえできなかったことをやったKhruangbinのギタリスト〜①

 mineoのギタリスト列伝第二回は、昨年のフジロックではトリも努めたアメリカのトリオバンド、KhruangbinのMark Speerさんです。

Khruangbinとの出会い

 最初に、YouTubeでやっているNPRのTiny Desk Concertでこのバンドを初めて見てその音楽を聴いた時、”まだバンドやってて全然いいんだ”と思った。リアルタイムで聴いてて心からかっこいい、とても良いと思えるようなバンドなんて最近滅多にいなかったし、いたとしても短命だったりして、でもこのバンドはバンドという形態で明らかにこれまで聴いたことのない音楽をやっていた。斬新、新鮮、何かものすごく得した気分というか、こういう気持ちになるために常日頃から色々な音楽を聴いているんだと改めて思わせてくれた。

 アメリカはテキサスの出身、2018年頃から前述のもの以外にもピッチフォーク、KEXPなどのプログラムに出演してあれよあれよで人気に火がつき、昨年のフジロックに出演する。巷ではタイファンクに根ざした、とか言われているがそれ以外にも古今東西の様々な音楽の要素をヒップホップやハウスのマナーで3人でまとめあげてしまう。アルバムは年に一枚ペースでシングル単発も多いがどれを聴いてもブレることのない哀愁アジア基調のごちゃまぜKhruangbin節を聴かせてくれる。前述の映像をリアルタイムで見てからしばらく会う人会う人に"Khruangbinむっちゃいいよ、聴いたほうがいいよ、絶対クるから"と布教していた身としては、たいへんうれしい。

これまでのバンドと違う曲の作り方

 まず、曲の作り方があまり”バンド”らしくない。

 ギターマガジン2019年7月号のインタビューによると、ギタリストのMarkが古いソウルやファンクから集めたドラムのサンプルをまずベースのLauraに送り、それにベースが載せられて送り返されたものにギターを重ねていく、という方法だそうだ。パソコンでDTMをやるような感じで、とても現代っぽい。ギターとかヴォーカルが曲を作ってメンバーに聴かせてスタジオで詰める、みたいなことをやらないで済む。そういう手法というのはバンドならではのサウンドを追求するために行われるものだろうけど、パートごとに別録りが主流の現代ではあまり意味を成さないようにも思う。反面このバンドは、そうした無駄な部分を省きつつも構成と音楽性を活かしたまとまりのあるサウンドを聴かせてくれる。ドラムは音源でもライブでも最低限のことしかしていなく、それでいてギターもベースも聴いた印象以上に動きがあるので3人とは思えない厚みのアンサンブルになる。

 そしてこういう手法であれば、今のように訳あって分断されてしまった世界でもいくらでも新しい面白いものを創りだしていける、という可能性を大いに秘めている。

コピペではなくサンプル&リミックスの音楽性

 欧米のバンドが世界各国の民族音楽を取り入れる、という取り組みはビートルズの時代からなされてきたことだ。ロック黎明期に西洋の音楽の枠組みを離れて、インドのスィタール奏者ラヴィ・シャンカルに弟子入りしているときから楽曲にインド音楽のテイストを加えたりしていた。しかし、ある程度民族音楽というものに触れると、それがいかに上っ面なものであったかがわかる。要は、今までと同じ作法で作られた曲にちょっとだけ民族楽器のサウンドを足したりしかしていない、ということだ。今風に言うと、文化の剽窃ということになるだろう。

 それに気づいてからというもの、個人的に西洋のバンドで民族音楽を取り入れているものはかなり敬遠しがちだった。かろうじてジョン・マクラフリンなんかがインドのミュージシャンたちとコラボしてアルバムを出したりしていたが、結局Mahavishnu OrchestraもShaktiもどちらかの音楽性に寄りすぎていた。ひとつだけ、民族音楽とバンドサウンドの融合という点で思いつく成功例を挙げるとすれば、西洋のバンドスタイルとファンクを自身のソウルで昇華させたFela Kutiだろうか。欧米や日本でもかなり有名なミュージシャンだが、しかし彼はナイジェリアの出身である。

 そのようにして、これまで数々の欧米のバンドがやろうとして形にならなかったものを、このバンドは形にしてしまった。

 まず言えるのが、一聴しただけでは絶対にテキサスのバンドだとは思わないだろう、ということ。なんの情報もなしにこの音楽を聴かせたらきっと、多くの人が東南アジアもしくは、そうしたどこか西洋ではない場所を思い浮かべるだろう。かといって、東南アジアの有象無象のバンドのように(プロダクション的な意味での)サウンドがいなたいわけでもなく、洗練されたまとまりを保っている。

 次に、あらゆる音楽の要素を全部ぶった切ってごちゃまぜにしたということ。気になったのでタイファンクをいくつか聴いてみたけれど、確かにそういう要素はある。しかし、日本のシティ・ポップのようなラウンジ的に垂れ流していられるような感じもあるし、かと思えばアイズレーブラザーズばりにフェイザーを効かせたカッティングも出てきたりする。ダブのようなルーズさもある。繰り返しにはなるが古今東西様々な音楽の要素があの弛緩したサウンドの中に詰まっているのである。

 そのようにして、元がわからなくなるぐらいまで色々なものをぶった切ってミックスさせておけば文化の剽窃みたいなことにはならなく、誰にも文句を言わせない。何を盗んでいるのか、それすらわからないけれど空気的には様々なものを感じる。それでいてそのまとまりがKhruangbinというバンドのサウンドに昇華されている。それはある意味、黎明期のハウスのDJたちがやっていたことに通ずるものでもある。音楽を創る手法すらサンプリングしているのである。

 次回はいよいよギタリストMark Speerについて書いていきます。②へつづく。

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