Kid Creole&The Coconuts 〜パラレルワールドのPrince&The Revolution〜

 平成5年生まれが80年代の音楽を語るシリーズ、今回は1980年から現在にわたって活動しているニューヨーク出身の男女人種混成トロピカルディスコバンド、Kid Creole&The Coconutsについてです。

1980年前後のニューヨーク

 先日書いた記事でWas(Not Was)のことを紹介したが、このバンドも同じアナのムジナ、ZE Records出身のバンドである。ZE Recordsについてはまた別の機会に詳しく書くとするが簡単に紹介すると、フランス出身のミシェル・エステバンとイギリス出身のマイケル・ジルカらが70年代末のニューヨークで出会いそのふたりによって作られたインディーズレーベルである。70年代末から80年代初頭のニューヨークというと、ストレートなパンクが衰えCBGB勢のトーキング・ヘッズやテレヴィジョンなどのバンドがブイブイ言わせはじめていた時代である。歴史は繰り返す哉、彼らもそれまでのロックをぶち壊そうと様々に実験をして斬新なサウンドを聴かせていた。そして彼らほど緻密で技巧的ではないにせよ、ZE Recordsの面々というのもJames Chanceにはじまり、もっとアンダーグラウンドな場所で実験をしていた。トーキング・ヘッズやテレヴィジョンが構造を解体して再構築する、みたいな内省的でナイーヴな部分で実験をしていたのに対して、ZE Recordsの面々はニューヨークに辿り着いて成れの果てとなったディスコ音楽を基調としつつ、他の文化などを外から積極的に取り入れてクロスオーバーさせながらの実験であった。その実験の最たる例がこのバンドであるともいえるだろう。

バンドの音楽性

 なるべくひねりを削ぎ落としたディスコのビートを、ビッグバンドの形式を取り入れつつカリブやラテンアメリカの音楽性でもってトロピカルなテイストに仕上げているのが彼らの音楽の基本だ。踊れるビートの中にゆるさがある、というある意味相反する要素が共存しているのである。バンドの中心人物であるオーガスタ・ダーネル(August Darnell)はこのバンド以前にも1970年代にDr. Buzzard's Original Savannah Bandというラテンの要素を取り入れたバンドで活動をしていたが、シンディ・ローパーのBlue Angelしかりいかんせん早すぎたのか、"Cherchez La Femme/Se Si Bon"というヒットを1曲だけ残しているだけである。が、しかしそこで培ったメインストリームとは少し違った方向性のセンスをこのバンドで開花させた。

 ワールドミュージックと西洋のポピュラー・ミュージックとのクロスオーバーという話になると、おそらくまずニューヨークが取り沙汰されるのだろうが、フランスはパリも植民地がらみなどもあってか、かねてから多民族の音楽文化を寛容に受け容れてきた。そういう意味ではフランス人のミシェル・エステバンがこのバンドに目をつけたというのもうなずける。

Princeを彷彿とさせるステージ

 デカいつばのハットにダボッたズートスーツでいつでもキメてるシンガーのKid Creoleことオーガスト・ダーネルを中心に、通常のバンド編成に加えてホーン隊とセクシー踊り子兼コーラス3人組、そしてヴィブラフォンプレイヤーのくせにいつもアホのフリをして(本当にアホなのかもしれない)でしゃばっているCoati Mundiらでトロピカルなエンターテイメントを発散させるのが彼らのライブの定番だ。PVも見ているとだいたいそんな感じである。日本だとよく米米CLUBがパクったとも言われているその演劇的なステージ演出は、同時代に活躍していたPrinceを彷彿とさせるものがある。アフリカ系アメリカ人のバンドマスターがときに秩序だてて、ときに混沌の中へとステージをコントロールする。ただ、Princeのステージはマスターベーション的であるのに対して、Kid Creole&The Coconutsのステージはいわば乱交パーティー的な全体感がある。Princeからは”絶対に俺から目を逸らすな”というような一方的なエネルギーを感じるのが、Kid Creoleからは”みんなのこと見えてるぜ、一緒に踊ろうぜ”的なインタラクティブさを感じる。(ちなみにコラボレーションも果たしており、1990年の"Private Waters In The Great Divide"というアルバムにはPrinceが提供した"The Sex of It"という曲が収録されているが、どう聴いてもPrince寄りで"Graffiti Bridge"から漏れたとしか思えない仕上がりの曲である)

未だに聴いていられる理由

 このバンドのサウンドはとても80年代らしいのだけれど古臭さを感じたことはなく、むしろ結構な頻度で聴いてしまう。当時としてはある意味かなり斬新だったんじゃないかと思うのが、生バンドでクラブミュージックをやっているという点だ。

 どの曲を聴いてもドラムとベースは基本的にずっと同じ繰り返しで難しいことは特にせず、ギターもカッティング一筋、リズムに徹している。そうした単調なビートを、Kid Creoleの歌とパフォーマンス、ホーンセクションでもって緩急をつけながら盛り上げていく。ライブでの"The Lifeboat Party"などがいい例で、ドラムはドンタッドンタッの4つ打ちで曲の大半を乗り切り、ベースも基本的なフレーズを崩さない。それでいて盛り上がりにまったく欠けない。この点でいうと、Was(Not Was)やSuicide、Junie MorrisonなどのZE Recordsのほかの面々はかなりクラブミュージック寄りなサウンドでもって聴かせていたところ、このバンドが際立って聴こえる理由でもある。

 そして、ゆるいパーティみたいな音楽なので何も考えずに楽しく耳を委ねられるというのも大きな理由だとは思うが、80年代のバンドなのにシンセのサウンドが全面に出てこない、というのも同じくらい重要な要因だと思う。アナログな楽器が未だに淘汰されずに演奏され続けているのには、そのサウンドが完成された普遍的なものでなおかつ良いものであるという認識がどこかにあるからだと思う。テクノロジーと直結しているシンセサイザーやサンプラーのサウンドは、テクノロジーの変遷を理由にどうしてもその時代の流行りを感じがちになる。

 60年代以降の音楽を盛り上げ彩ってきたミュージシャンがどんどん天国へ昇っていくことが多くなった現代だが、Kid Creole&The Coconutsはファッション含め見た目が変わらないオーガスタ・ダーネルを中心に未だに精力的に活動している。一度は生で見に行ってみたいと思う。そういうことが自由にできる世の中に早く戻ることを切に願っている。かしこ。

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