ニューウェーブとハードロックへの優等生による感想文 - "Race" / Pseudo Echo, 1988 - 前編

 〜平成5年(1993年)生まれが80年代の音楽を語る連載第一弾は、1988年にリリースされたオーストラリアのバンドPseudo Echoの"Race"というアルバムについてです。〜

 このアルバムは再生した瞬間から、80年代に包まれる。

 ゲインをフルアップさせたスタックアンプに繋いだスーパーストラトが(注1)、ザクザクと捻りのないリフを刻んで幕を開ける。そして、歌が入ってくると(ある意味)サブイボが立つ。ドラムも無駄なオカズなし、ベースも無駄な動きをしない。なにかと安心感のある"Layla"(Derek and the Dominos)の後半部分みたいなピアノのサウンド。それらが足取りを揃えながら段々と合流しておキマリの、シンガロングするサビへ突入する。それがこのアルバムの1曲目、"Fooled Again"だ。それに加えて、控えめでいて目立つべきときは前に出るシンセサイザーが加わったサウンドがアルバムの終わりまでずっと続く。

 この曲を初めて聞いたのは、大学生の頃に深夜のNHKでやっていた古い洋楽のビデオを垂れ流している番組だった。家族も寝静まり自分は暇を持て余した学生の身なので夜ふかし、テレビなんてただなんとなく点けているだけだったのだけれど、この曲が流れ始めたときに半ば無意識にテレビに釘付けになって画面の中にバンド名と曲名を探していたのを覚えている。未だに、この曲を聴くとそのときと同じ瑞々しい感覚を覚える。バンド名と曲名は確認して機会があれば図書館でCDを探してみようと思っていたのだけど、図書館にCDが無くて財布も寂しい学生の身としては他に優先する物事があったのだろう、当時はついにアルバムを耳にすることはなかった。まだストリーミングサービスが出てくる前の話だ。

 それが去年、今まで加入することに億劫になっていたSpotifyをようやく利用し始め、今まで聴けずにいた音楽を片っ端から探していたところこのバンドとこのアルバムを思い出した。目当ての曲が1曲目だったのでとりあえず続けて聴いていたところ、気づいたら最後の曲を終えてまたアルバムのはじめからリピートして聴き入っていた。

ニューウェーブかハードロックか

 高校生の頃はWeezerをよく聴いていて、大学に入ってからThe Carsにどハマり、といった具合にパワーポップ周辺の音楽は指折りで好んでよく聴いていた(もちろん今でも好きだ)。Weezerのリヴァース・クオモなんかはデスメタルとかを好きだって言うし、The CarsのリフワークとかEliot Eastonのギタープレイも限りなくハードロック的だし、パワーポップというのは結局のところニューウェーブとハードロック・ヘヴィメタルの折衷案なんじゃなかろうか。そういう意味でいうと、Pseudo Echoというバンドは私にはど真ん中で響くものがあった。

 80年代というのはどういう時代かといえばひとつは、ロックが権威を失い、それでもバンドをやりたいやつらがなんとか頭を使って別の形でそれを再構築していた時代なんじゃないかと思う。The Carsはアメリカ東海岸とかイギリスののヘンテコニューウェーブを西海岸の爽快なサウンドでもってそれをやってのけたし、XTCもブライアン・イーノと共にThe BeatlesとかThe Beach Boysのオルタナティブな手法をあの時代のサウンドで再現してみせたように思う。そうした、練りに練られた音楽はコンセプト面で聴く意義は大いにあるし、なによりとても面白い。変態的であるからして。で、Pseudo Echoがこのアルバムでやってのけたのは何かというと、良くも悪くもそういう時代を終わらせたということだ。

次回へ続く


注1:

スタックアンプ:アンプ部とスピーカー部で積み重ねられたギターアンプのこと。

スーパーストラト:フェンダーという会社の伝統的なモデルであるギター、ストラトキャスターを様々なメーカーが模して造ったモデルの総称。ディンキーとも呼ばれる。


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