mineoのギタリスト列伝〜第一回"Ritchie Blackmore"〜①

 mineoのギタリスト列伝第1回目は、イギリスのハードロックバンド”Deep Purple”や”Rainbow”などでの活動でお馴染みRitchie Blackmoreさんです。

出会い

 中学生当時、オレンジレンジやYuiなどのJ-Popが大流行りしている中、”こいつらこぞってこんなもん好き好んで聴きよって、アホくさ”とか周囲の友人知人に対して思っていたひねくれものである自分はまず、かねてから父親が車の中で流していたテンプテーションズやスモーキー・ロビンソンといったブラック・ミュージックに慣れ親しんでいた。もう少し言えば、おそらく母親の胎内にいるときからそんな音楽を聴かされていたのだと思う。幼少の頃は受動的にそうした父親の好みであるドゥーワップ、ソウル、R&Bなどを聴いていたが、それと同時に父親はThe Beach Boysも好んでよく聴いていた。自分は黒い音楽よりもその爽やかさが好きで、小学校高学年にもなるとThe Beatlesなどとあわせて父親からCDを借りてよく聴いていた。

 そんな折、キムタク主演のドラマ”プライド”がやたら流行って、自分はドラマ自体は見もせんかったけれど主題歌であったQueen(というかFreddie Mercury)の”I Was Born to Love You”がテレビのコマーシャルなどで流れまくったためやたらと耳に残ったので、家から自転車で15分ほどのところにある古本市場でPSPのモンハンを買いに来たであろう歳の頃同じほどの少年を横目に”Jewels”というベスト盤を買った。無論中古で。mineo史上初めて自分で買ったCDである。中古でも1000円以上した覚えがあり、中房にしたらかなりの出費である。調べたら日本独自のベスト盤だそうだ。選曲はだいぶ初心者向けだ。
 ホクホクの体で帰宅、比較的耳馴染みの良い曲ばかりを聴きながら童貞少年mineoはとりあえず一緒に入っていた歌詞カードつき冊子を読みまくる(うちはネット後進家庭だったので、当時家に自由に使えるパソコンとインターネットがなかった)。各々のメンバー紹介の頁に、各小咄とともに出てきた”Led Zeppelin””Deep Purple””Paul Rodgers”などの名前が目に入る。どうやらこれらもバンドだったりするようだ、聴いてみたい。しかしこのアルバムを買ったことによってもうその他のレコードを買う資本を持ちあわせておらんかった童貞は、まだえろが9割方を占める脳みそで考えに考えた結果、”図書館へ借りに行く”という方法を捻出する。いわば時間と空間の制約があるSpotifyである。

 後日放課後。また自転車をかっ飛ばして隣の市の図書館へ行ってみると、あるわあるわ。とりあえずDeep Purpleのベスト盤とLed Zepplenのファーストを借りて自転車で家へ戻り、それらのCDをプレーヤーへかける。Led Zeppelinはなんだか小気味の良い曲もあるが("Good Times, Bad Times" "Communication Breakdown"など)、そういった曲がしばらく続いたのち”ビヨヨーン”とか”ボワーン”とかいう陰気臭い曲(”Dazed and Confused”とか”Baby I’m Gonna Leave You”)が入るので、童貞の中学生には退屈になる。反面Deep Purpleはというと、”そうだ、俺が求めているのはこれだよこれ”と言わせんばかりの疾走感のある曲や、ギターとドラムの派手な曲などばかりである。当たり前である。ベスト盤であるからして。

 そこで、生まれて初めて何かこう、とてつもなく強く、”こういう音楽をやってみたい”と感じた。しかしそれは決してまだ”おれにはギターしかねえ”とか、”やっぱりロックじゃないとね、ロック”とかそういう具体的な感覚ではなかった。そういうこと言う彼奴らがたまにいるけども、僕にはその気持ちはわからない。あれは嘯いてんじゃねえかとさえ思うね。

 当時は吹奏楽部に所属してバリトンサックスを担当、頻繁に肩をこらすなどして何かと音楽には触れてはいた。そして、そうした活動はけっこう楽しみながらやっていた。
 しかし、Deep Purpleを聴いた途端、なんだかこっちのがもっと楽しそうだしかっけぇし、なんならモテそうだし、吹奏楽だと部長の藤井さんには逆らえないけどバンドとかなら自分がリーダーになってあれこれ好きにできるんとちゃうの、とか色々なことが頭を過ったのである。半分以上不純だ。

 そうなってからは早い。

自分のギターを手に入れる

 当時はバリトンサックスのほかに個人的にトランペットも習いに行っていたのだが、その教室の最寄りの巣鴨駅改札前でときたま海賊版DVDやCDの露店があるのを知っていた。講習が終わると普通に夜なので、大体その近くに住んでいる祖母と一緒に池袋の東武デパート上階にある不二家レストランなどで肉々しいステーキが乗ったジャンバラヤなどの夕飯を食べたりしていたが、ある日巣鴨駅で露店がやっているときを見計らい、祖母と同伴、かくかくしかじかの理由で私にはこれが必要です、ということを熱弁しDeep Purpleのライブ映像などが収録されたDVDを購入してもらった。
 ちなみにこの流れもネット環境の不備による案である。YouTubeなんてものは(存在していただろうが)まだ知りもしなかった。フラッシュ動画なんぞが流行っていた一寸後の時代だ。

 帰宅して親が寝静まったのを見計らい、プレステ2で早速DVDを見てみる。CDで聴いた時と比べ、更に強く具体的に衝動が襲ってきた。”ギターだな”と。”ギターしかねえな”と。
 新旧織り交ぜたライブDVDだったが(なので、”Speed King””Woman From Tokyo”とかそういう大曲をスティーヴ・モーズが弾いてたりする)、70年代ぐらいの映像では、ハレーション気味のボーッとしたステージ上でギターのリッチー・ブラックモアのまあ目立つこと。ソロ回しにしても大体一番長いし、カメラワークもリッチーのときだけやたら凝ってるし、このバンドは彼のためにあったと言っても過言ではないほどだ。しまいにはギターもアンプもぶっ壊すし。
 それで騙されて、自己顕示欲もえろも結構人より強かったし、他のどの楽器でもなく自分はギターをはじめることにした。リーダーになれる可能性も結構高そうなイメージだし。一番目立ちそうだし。
 もうひとつ理由としては、吹奏楽部が使う楽器などを保管しておく部屋である音楽準備室に、誰のかは知らないが恐らく日本製のやたらと使い方のよくわからないスイッチのついた、もう今となってはビザールギターと呼ぶべきようなギターがあり、それをなんとなく雰囲気で弾いて遊んでいた、というのもある。チューニングもままならない初心者ではあったが、なんとなく弾けてしまった。しかしそのギターはもうペグ類もユルユルで、どんなに頑張ってもべんっ、とかびりん、とかいった情けない音しか出ないので(ギターアンプではなくキーボード用のアンプにぶち込んでいたこともある)、自分のギターが欲しい、と思い始めた。

 中2のゴールデンウィーク明け、今度は父親同伴で池袋へ上京、東口パルコ別館の石橋楽器さんへ赴きすぐさまギターを購入してもらった。一番安い入門用である。
 当時はまだPlayTechなどではなくて、”Selder”というメーカーの入門セットが一番目立っていた。ギターに加え、ピック数枚、ケースとストラップ、チューナーそしてケーブルとアンプまで付いて2万円しないセットだ。そのメーカーの、リッチー・ブラックモアがDVDの映像で使っていたサンバーストのストラトキャスターを選んだ。今思えばリッチーというとどちらかといえば、いや断然白に黒いピックアップのストラトキャスター、というイメージだがそういう意味では偏りのあるDVDだった。多分大体のライブでサンバーストのものを弾いていたんだと思う。版権とかそういう問題だったのかしらんけども。
 なにはともあれ、こうしてmineoはただの童貞から童貞見習いギタリストへの一歩を踏み出した。

次回へつづく

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