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「習い事」をするのは何のため?

習い事においてはご家庭によってもいろいろ考え方があると思います

先生についてレッスンを受けるかどうか
はたまた独学でどんどん伸びていくか

そこはもうほんとうに個人差があるので
絶対的な方法というのはありません

しかしあらゆる機会は多いほうがいいですから
もし習うか習わないかで迷うなら
一度やってみて様子を見ればいい

もしその子があまり上手にならなくても
本人が楽しんでいるならそれでいいんです

でもそもそもなぜ習い事をさせるのかというと
「その子の成長の機会を増やすため」のはずです

親が望むのは我が子が成長し、
得意なことで輝いている姿ですから

そう考えると「習い事がすべて」にはならないほうがいいなと思うんですね

成長のチャンス、それを見つける場所、タイミングなんていうのは
習い事だけではないはずです

例えばお友達との関わりの中だったり
親戚との関わりだったり
旅行だったり
夏休みにすごしたいろんな場所だったり
もっと日常のなかで自然に成長の機会を見つけられると良いなと思うんです

だから習い事が先にあるんじゃなく
いろんなつながりのなかで見つけたことを「もっと深めたい」と思ったら
それについての習い事に通う、というのが
理想的な形だなって思います

なにかを極めるために習い事をするんじゃない

習い事は

成長するため
社会を知るため
自分自身を知るため

そのひとつの機会としてあるだけなんですよね

だから何度も言うようにベースにあるのはやはり親子の対話です
それがないと一方的に習いにいけと命令された子どもは
「なんで?」と思いながらも
行きたくないって言ったら叱られるから……というような
悲しい状況になってしまいます

きっと子育て中のお父さんお母さんには色々迷いがあるでしょう
でもその子の成長や幸せにつながらないのなら
退く勇気が必要なときもあります
やるからには極めなければいけないとか
友達と一緒に行ったから我が子だけやめるのは裏切りみたいだからとか
そんな“こだわり”で
子どもの将来を習い事に懸けないほうがいいなと思うんですよ

親御さんを見ていると「楽しむ」のではなく
子どもと向き合いすぎて責任や心配ばかりが先に立って
イライラしている方もいるように思います

なぜそうなるのかというとやはりそこには「欲望」があるから
親が「我が子にこうなってほしい」という欲望ですよね
そこにしっかり気づく必要があります
そのために親が向き合うべきは「自分自身」です
いつまでも子どものあとを追いかけているわけにはいきませんから
子どもが育って、その先どうなっていたら幸せか?
考えるべきですね

あと習い事って大人になってから
「やっててよかったな」とか
「またやりたくなった」とか
思ったりするものなんですよね
やりたかったけどやらなかったことを
大人になって実現させたいというのは
往々にしてあると思います

大人でも習い事をする人ってたくさんいますが
それこそが「自分と向き合っていく」ということに他なりません

大人だって育ち盛りですから
大人になっても自分のすべてを知り尽くしている人なんていないし
人間ってもっと可能性があるもののはずなんですよ

人間は生きている限りにおいては
自分を喜ばせることとか高めていくこととかを
ずっとやっていく生き物なんです
子どもの頃には「学校」とかある程度決められたものがありますけど
大人になると自由に自分で選択できますよね
そのときにきちんと選択ができるように成長していくことが理想的です

「習い事」においてもそんな「成長」の機会のひとつ
そんな機会に恵まれたこと自体がすばらしいし
子どもの頃にはすぐやめてしまったとしても
大人になってやっぱりまたやりたいと思うかもしれない

そんなふうに自分でなにかを判断したり選択したりする力を
身につけていくのが「成長」です

習い事を1つするか5つするか?
それは本人の選択ですから
親は子どもに関わりすぎることなく
「本人が自分で選んだ人生が一番幸せだ」ということを
理解しておかなければいけませんね

運を天に任せましょう
それこそが我が子を信じるということ

人は自分が何が好きで何が得意かなんてやってみないとわからない
わからないからこそやるんです

そしていつ何が実るかもわからないですから
長い目で、親子いっしょに楽しんでいきましょう

2021.6.10
下向峰子

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