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花板さん

コツコツバタン。「あ、花板さんだ。」私はドキドキが収まらなかった。「おはようございます。」彼が朝の挨拶をしてくれた。「あ、おはようございます。」私はなんだかしどろもどろに返事をした。彼の名前は花板さん。ではなく、私は彼の名前を知らない。同じ会社の飲食部の、背の高い板前さんだ。私は彼に一目惚れした。
私は入社したばかり。本社勤務だ。名前が分からないものだから、花板さんと影で呼んでいる。会社が飲食店も経営しているのだ。まさに、ときめきの毎日だった。
ある日、彼は私にメモを渡した。時はバブル崩壊後まもない頃。そこには彼の名前と家の電話番号が書かれていた。「よかったら電話してください。」私は嬉しくて飛び上がりたかった。その夜、彼に電話した。彼も私にあだ名をつけていたそうだ。もっとも、彼の方は私の名前を調査済みだった。私達はデートを重ね、付き合う事になった。旅行もしたし、高級レストランに遊園地、夜景。凄く幸せだった。「僕と付き合って下さい。」そう言ってくれたのは、観覧車の中だった。
だけど、「今夜は仕事なんだ。」そう言ってデートを断られることが2回続いた。「ほかにできたんだね。」なんだかそうピン、と来た。そして、合鍵を握りしめて彼のマンションへと向かった。「スー。」私は深呼吸を数回、彼の部屋のドアの前で繰り返した。「ガチャ」思い切って中に入った。私は一目散にゴミ箱を漁った。レシートが数枚。その中に、ダイニングバーのものがあった。メニューを見ると、ドリンク、生中ビール、カクテル?カクテル‼︎?彼はカクテルは飲まない…。ほろほろと涙が溢れた。まだ付き合って半年なのに…。彼に書き置きをした。「鍵を返します。今までお世話になりました。」彼が別の女性を好きになったと感じたのは、私に急に冷たくなってしまったからだ。追いかけても仕方がない。潔く切腹するのだ。「ごめんな。」彼が電話をかけて来た。「何が?」私は勝ち気に応えた。「ごめん…本当にごめん…。」「別に好きな人ができたのね?」「そうなんだ。」彼は遠慮なく答えた。「いつから?」
「実は、君と付き合ってすぐくらいからなんだ。積極的に俺に来てくれて、魅力的だったっていうか…。
」なんていうことだ。私は覚悟して尋ねた。「私のことは本気じゃなかったってこと?」「いや、最初の方は本気だったよ。」絶句した。これが23才の悲しき恋のストーリーの結末だった。
帰宅して、私はドラえもんのあらかじめ日記を参考に、日記を書いた。私は幸せな結婚をして、赤ちゃんを産みます。フランスに行きます。金持ちになります。

なんでフランス?という感じだが、憧れているからだ。それだけだ。そして、何十年かしてから、これらのことは全て現実になった。人生って、美しいのだ。


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