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できる『なでしこ』なら知っておきたい『クラブ哲学』の意義

今回は抽象度について、少し深堀します。


『抽象度とは世の中に存在する概念に階層性があるという前提における、情報量の大小関係のこと』


と、こんなことを書いても『なんのこっちゃ?』という反応がかえってくると思うので、サッカーで例えましょう。


サッカーにおいて、一番高い抽象度は『クラブ哲学』です。



哲学というのは見えない、触れない、とても抽象的なものであり、情報量が少ないです。このことは直感的に分かると思います。崇高な感じがしますよね。


しかし、『クラブ哲学』は情報量が少ないですが、これが下の階層を包み込みます。


下の階層とは『クラブモデル』『自分たちのサッカー』『ゲームモデル』『プレーモデル』『プレー原則』『特化トレーニング』のことです。下にいくほど具体的に展開していきます。

ゲームモデル


たとえば、名門『FCバルセロナ』のクラブ哲学を一言で表すと『クラブ以上の存在(Mes que un club)』というモットーに行きつきます。



ただし、一言と書いたように、その崇高な哲学の本質は本来は言葉にできません。感じることしかできないのです。



崇高な本質にはFCバルセロナが拠点とするスペインのカタルーニャ地方の歴史や文化・慣習、現地の人々が考える神との関係などが深く関わっています。




カタルーニャは伝統的にスペインからの民族独立、自治意識が高い土地柄です。カタルーニャの人々は、自分たちはスペイン人ではなく、カタルーニャ人であると思っている人が多いです。4年前に私もバルセロナに行きましたが、そのことを肌で感じました。


この肌で感じたという、言葉に表せない現象がクラブ哲学の本質の一部です


民族独立、自治意識の高揚は、スペイン政府からみれば脅威だったのです。このためから、文化や慣習の骨幹となるカタルーニャ語が禁止されるという弾圧を受けました。



弾圧に対して象徴的な事件が起きます。1925年におけるFCバルセロナの試合にて、スペイン国家が演奏された際に、サポーター(カタルーニャの民)がスペイン国歌に対して大ブーイングを起こしました。カタルーニャの人々にとって、スペイン国歌は、いわば忌まわしき曲だったのですね。



この大ブーイングは、弾圧に対する抵抗の意思を如実に表しており、以後、FCバルセロナはカタルーニャの人々にとって、スペイン中央政府に抵抗するシンボルとなりました。



現代では、その解釈が若干違うようですが、もともとは、スペイン中央政府に抵抗するシンボルに象徴される、誇り高きカタルーニャの体現のために『クラブ以上の存在』という一言で表されるクラブ哲学(ただし、その本質は感じることしかできない)が誕生したのです。

FC バルセロナ

※『あなたのクラブの哲学は何でしょうか?』もしかしたら、まだ言語化されていないかもしれませんが、必ずあります。ぜひ言葉にしてみましょう



この『クラブ以上の存在』というモットーが表す哲学のもとに、今後のクラブの在り方、どんな監督を選び、どんな大会に参加して、どのような試合日程を組むのかなどのクラブモデルがあります。



さらに、このクラブモデルの下に、試合を支配して、敵を圧倒して、美しく、そして華麗に魅せて勝つという、FCバルセロナが理想とする自分たちのサッカーが存在します。これは理想のサッカーと換言してもいいでしょう。



この自分たちのサッカーを成すためにはどうすれば、いいのか? ということで、ボールを支配率を高めるというポジショナルプレーに代表されるゲームモデルがつくられます。

女子サッカー練習


4-3―3、3-4-3などのフォーメーション『0トップ』『偽9番』『偽サイドバック』などの役割は、すべてこのゲームモデルを成すために存在します。ただし、厳密にはゲームプランに該当します。この点はまた詳細を説明します。



ゲームモデルやフォーメンションを機能させるために、ボール保持率を高めながら敵陣に切り込んでいく、守備では高い位置でプレスをかけるという、プレー原則が決まります。



プレー原則は、攻撃、守備、守備→攻撃(ポジティブトランジッション)、攻撃→守備(ネガティブトランジッション)の局面において、選手がどういった動きをするのかという行動規範を決めます。プレー原則には主原則・準原則・準々原則があります。


プレー原則を機能させるために、『特化トレーニング』が定まってきます。これはチーム全体のときもあれば、ポジションごとの連携、各選手ごとに練習メニューがあります。


以上、FCバルセロナを例に、抽象度の説明をしてみました。



クラブ哲学は、その本質は言語化できないといった具合に、極めて抽象的ですが、下の階層になるにつれて『選手おのおのが何をすべきなのか?』と役割が明確(具体的)なっています。


また上位概念(クラブ哲学)から下位概念(選手一人一人に特化したトレーニング)まで、一本の軸で明確につながっています。


すると、『なんために今この練習をするのか?』と迷いが総じても、おのずとその答えがみえてきます。



また、一本の軸でつながるとは、練習での一蹴りが、言葉にできない崇高な本質、(あえて言語化すればカタルーニャの体現であり、クラブ以上の存在)につながっているのです。



実は、このつながりを明確に意識して練習して、体得すると、それ以前とは違った感覚を覚えます。

※このつながりを意識することを、私はあなたに体得してもらいたい


ブログのコンセプトにある松江ハナツバキSCであれば、練習の一蹴りが、古事記や出雲の神々とつながっているといった感覚です

この感覚は何かの答えは、また別のお話で…。



今回の記事は、ちょっと難しかったかもしれません。でも、この意味が理解できるまで繰り返し読み込んでみてください。間違いなく、あなたの抽象度が上がります。



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